第四十六話 地獄の記憶② 思わぬ手助け
★106階層 ニナの場合
「ここは……」
真っ白い光が消え、おそるおそる目を開けると見慣れた風景が広がっていた。
ここは、私の故郷。あの森がある階層だ。
「100階層まで……飛ばされた……!」
まさか、最後まで行ったら一からやり直しだというのか。
あまりに意地の悪い仕組みに憤りそうになったところで私は異変に気付いた。
「ユキト……? 八雲ちゃん?」
106階層まで一緒にいた2人がいない。
ランダムに転移させられた? 慌てて私は気配感知スキルで2人の場所を探るが、彼らの気配は全く見当たらない。
それどころか、この階層に一切生き物の気配がしない。
「なんなの……ここ」
とにかく一度オデット様の家に戻ろう。そこであの人に相談したら何か解決法が分かるかもしれない。
そう思って私は移動を開始したのだが、すぐに何か違和感を感じ始める。
見慣れた景色のはずなのに、何かがおかしい。
知っている建物からは違和感を感じる。知っているはずの建物がないこともある。知らない建物からは妙に懐かしさを感じる。
嫌な感じだ。
それに、すれ違う村人の様子がおかしい。
そこまで親しくなかったとはいえ、迷宮に潜ったはずの私を見かければ流石に反応ぐらいは返すはず。なのに、見向きもしない。
そして、気配がない。
まるで死人だ。
「なにがあったの……」
とにかくオデットの家に急ぐ。オデットなら何か知っていると信じて。
『……本当に行くのじゃな』
オデットの家まであと少しというところでようやく聞き覚えのある声がした。オデットの声だ。
「オデット様!」
思わず駆け出してしまう。そして、角を曲がって家が見えたところで、私は硬直した。
『うん、だって……このままじゃ駄目でしょ、お母さん』
そこには、オデットとネル、そして死んだはずの両親の姿があったのだ。
**
私はしばらく動けなかった。
約150年ぶりに見る両親の姿。
ぼろぼろと涙がこぼれ、駆け寄りたい衝動に駆られる。
でも、それは叶わない。私はもう気付いている。
これは、過去だ。私の記憶だ。
皆気配がないのも、皆私に気付かないのも、私がこの時の存在ではないからだ。
このときの私は、オデット様に抱えられているあの小さな子狐なのだ。
彼女たちは何かを話し合っている。
これは、あの日だ。両親が私を置いて迷宮に潜り、二度と帰ってこなかったあの日だ。
『村の人たちのためだ。このまま迷宮の中になんていられない……いずれ破滅する』
父が決意に満ちた口調でオデット様を諭している。
一方で、ネルはその場にいながら何も言わなかった。ただ、黙って立っている。
母と仲間だったという割には無表情で、両親を止めようともしない。
『そうか……なら、仕方ないな』
オデット様の表情はなぜか読めない。何を考えているのか全く分からない。
『うん、お母さん。じゃあ、行ってくるよ』
両親が踵を返して歩き始める。
待って、お母さん、お父さん。
そう叫びたくなったが、意味はない。
この記憶は、変えられない。
『じゃあね、ニナ……******』
『きゅう! きゅうー! きゅううー!』
悲しく子狐の泣き声だけが響く。
あぁ。なんなんだろう、これは。
106階層は、私に一体何を見せようと言うのだろう。
そして……ユキトは、八雲ちゃんは無事だろうか。
**
「……」
同じ光景がエンドレスで続く。
いじめられる俺。暴行を受けた妹、母の死体。
何度も何度も繰り返し、変化はない。
もう何十回、何百回見たのだろう。最初のうちは吐いた。何度も何度も吐いた。だが、もう胃の中は空っぽだ。ただ嗚咽だけが止まらない。
「なんなんだよ……もう……」
『Don’t look at the reality.Look at the truth』
また、景色が巻き戻る。
そして、またいじめられる俺の姿が目に映る。
家に帰り、妹の不在を知らされ、妹の無惨な姿を見て、次の瞬間には母が死んでいる。
『この子……担架をもう一つ頼む』
『え?』
『この子も駄目だ。心がやられちまってるよ』
「……もういいよ」
口から無意識に言葉が零れる。
「もう……もういい、勘弁してくれよ……」
目の前の死体から目を背けた。見るも無惨な母の死体だ。
「うぷっ……なんなんだよ……! なんなんだよ、いい加減にしろよ! こんなもん見せて何が楽しいって言うんだ! クソ!」
この迷宮を作った何かに対して憤りだけが募る。何が世界の敵だ、何が俺のためだ。こんなものを見せられ続けるぐらいだったら一生この迷宮に引きこもっていた方がマシだ。
「チクショウ、チクショウ……」
耳を塞ぎ、目を瞑る。
もう何も見たくない。何も聞きたくない。
いっそこのまま、暗闇の中で……。
「見てられないね、『俺』」
轟々と燃え盛る火の音の中で、聞き覚えのある声がした。
反射的に顔を上げると、心が壊れていたはずの昔の、10歳ぐらいの俺がこっちを見ていた。
「おま、え……」
「本当に見てられないから出て来てあげたよ」
彼が軽く手を振ると周りの景色が停止した。まるで一時停止ボタンを押したかのように。
この記憶の中では干渉は出来ないのではなかったのか。
それなのに、向こうから干渉してくるなんて。
そう思うと、どうやら俺の思考を感じ取ったらしく彼はニヤリと笑った。子供らしくない笑みなのに、妙に似合っていた。
「生憎、ここは『俺』だけじゃなく僕の記憶でもあるからね。『俺』と話すためにちょっと記憶の中の身体を借りたのさ」
そう言うと、彼はもぞもぞと動いて分身した。幽体離脱でもしたかのようだった。あとには停止した昔の自分が残され、分身した方は俺に近づいてくる。
「やあ、昨日ぶりだね。『俺』」
「……なんのつもりだ、『僕』」
俺は、こいつに昨日乗っ取られかけたばかりということもあり身構える。
二重人格の自分。
ニナたちの話では、俺よりも澱みに特化した存在であり、俺の知らない異世界のこともなぜか多く知っている存在。
「そう構えなくてもいい。今は乗っ取れないよ、悔しい事にね。それ以上に、どうやらここは脱出できた方が面白そうなんで協力してあげる事にした」
「面白そう……? ふざけるな! お前も俺だったならこれがどんなに辛い記憶か……」
そう叫ぶと、彼は俺を睨みつけた。
「辛い?」
その冷たい目線に思わずたじろいでしまう。
「君、本当にこの辛さが分かるのか?」
「何を、言って」
「……まあいいか、言ってもしょうがない。とりあえず脱出方法を教えよう。といっても、もうとっくにヒントは提示されてるんだけど」
ヒントがもう出されている?
俺はしばらく考えて、ふと気付いた。
ヒントと言えるものはアレしかない。
入り口に書かれていた英語、何度もループするたびに聞こえる言葉。
『Don’t look at the reality.Look at the truth』
「現実を見るな、真実を見ろ……?」
「正解」
彼は指をパチン、と鳴らして笑った。
だが、そう言われてもどういう事か分からない。
「真実を見ろって言ったって……これが真実じゃないのか?」
だが、彼は首を振ってそれを否定する。
「いいや、違う。人間の記憶っていうのは曖昧なんだ。些細な思い込みがありもしない出来事を作り出す。トラウマが記憶を誇張する。そして、嫌な事は忘れてなかった事にする。君にも覚えがあるだろう? この事件の後、君はどうなった?」
俺はこの事件で心を病んだ。そして、一時期精神病院に通院していた、はずだ。
それから、その影響で……。
「事件に関する記憶が、飛んでいる」
「そうだ。そんな風に記憶っていうのはすぐに壊れてしまう。そして、今回は飛んだ記憶や僕が知らなかった出来事の中に真実がある。これは、飛び飛びの記憶で構成されたまがい物の現実に過ぎない。脱出するにはこの記憶が補完する必要があるんだよ」
だが、これは俺の記憶のはずだ。覚えていない部分を思い出すことなんて出来るのだろうか。
「それは違う。これは正確には、現実にあったできごとを再生して、オマエの記憶にあわせて作り替えてるだけなんだ。現に見てみなよ。君、あの救急車に書いてある町名なんて覚えてなかったよな。これが現実に忠実に再生している証拠だよ」
彼が指差した方向を見ると、確かに救急車があり、そこには知らない町の名前があった。それがはっきりと読み取れるという事は、この風景が俺の記憶に基づいていないという証明になる。
「……ていうか、そこまで知ってるんならお前はこの事件についての真相を知ってるんじゃないのか? それを教えてくれれば」
すると、彼はふん、と鼻を鳴らした。
「確かに君が忘れている事を僕は知っている。でも自分で探すフローを経ないとクリアできない。手助けするのは脱出してもらわないと乗っ取る事もできないからだ。君を助けるのはそのためであって、そこまで助けてやるつもりはない」
そして、僕は君の事が嫌いだからね、と付け足した。
それはこっちも同じである。この目の前のクソ生意気なガキは好きになれない。
なんだか分からないが、どうも受け付けない何かが昔の自分にはあった。
敵意を示すように睨みつけると、彼はそれでいい、と不敵に笑った。
「馴れ合うつもりはないけど、今は脱出だ。真実を探せ。ここには実際にあった出来事を再現するだけの情報がある。風景をよく見ろ。なにかがおかしいはずだ。何かが原因になっているはずだ。ここには僕と君の記憶だけでなく、全部の出来事が記録されている。忘れた事も、知らなかった事も全部暴いて、この事件の真実を見つけ出せ」




