第四十五話 地獄の記憶
現実世界に帰って来たのか?
だが、なぜここに来たのか?
ここにはもう何年も来ていない。帰ってくる場所としてもおかしい。
俺は、逸る心を落ち着かせるように深呼吸し、まずは状況を確認した。
ニナや八雲はいない。ここには俺だけだ。
辺りを見渡すと、なんだか懐かしい光景が広がっている。
遠くからはトラクターのエンジン音が響いていて、人の姿もまばらに見えた。
いつもの風景だ。
だが、それはあり得ない。
この村は、あの災害の日、誰もいなくなったと聞いている。
「……これは、俺の記憶か……?」
どうやら現実に帰って来たわけではなさそうだ。
とりあえず、俺は探索を開始した。
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のんびりした田園風景の中を歩いていると、どこかから小学校のチャイムの音がした。
しばらくして、帰宅する小学生の姿がまばらに見え始める。
その中に、見覚えのある顔があった。
『やめてよ……』
数人のグループにいじめられているそいつは、どう見ても昔の俺だった。
ランドセルを蹴り飛ばされつんのめる。見ていられない。
「おい! お前ら!」
思わず駆け寄って、昔の俺を助けようと手を伸ばしたが、俺の手は彼の身体をすり抜けた。声も聞こえていないようだ。
「干渉は……できないのか」
これが俺の記憶だというのならそれもそうかもしれない。
俺は黙ってその様子を見ている事しか出来なかった。
小学生の俺は、なんども転ばされながらもどうにか家に逃げ込んだ。
『……』
家に閉じこもり、鍵をかける。そうすると、彼は玄関で座り込んだ。
『なんでいっつも僕ばっかり』
ぽつり、と呟いた言葉。
『でも、我慢してれば……我慢してれば、いつか大人がたすけてくれるんだ。僕だけがやられてるなら平気なんだ』
自分に言い聞かせるように彼は呟き続ける。
そんな姿を見て、心が苦しくなった。
そんなことはない。大人は助けてくれない。誰も助けてなんてくれない。自分で動くしかないんだ、と今の俺ならよく知っている。
『ユキト! おかえり……また怪我したの!』
そこで、家の奥から女性の声がして、誰かが駆け寄って来た。
「母さん」
久しぶりに見る、生前の母親の姿。
思わず感慨極まって、涙が出そうになった。
『ちょっと転んじゃって』
昔の俺は、へへ、とはにかみながら嘘をついた。
たしか、この時の俺は両親を心配させたくなかったのだ。いじめられていることを知られたくなかったのだ。
だから、いつもこうやって嘘をついた。
『まったくもう。ほら! 絆創膏貼ってあげるからこっちきなさい……ところでフユは一緒じゃないの?』
『え?』
『まだ帰ってないのよ……どこにいったのかしら』
それを聞いた瞬間、昔の俺の表情が凍り付いた。そして、ランドセルを放り投げ玄関を飛び出して行く。
『あ、ユキト!』
母の言葉を尻目に、ひたすら駈けていく彼を俺も追いかける。
そうだ、この日は、この日は――。
次に俺の目の前にあったのは、路地裏で倒れている妹の姿だった。
まだ小学生に上がったばかりだった妹。
誰よりも大切だった妹が、全身血まみれで横たわっていた。骨も何本も折れてしまっているだろう。脚に至っては、あらぬ方向に曲がってしまっている。
昔の俺に対する迫害が、妹に強烈に及んだ日。
それが、今日だ。
もしかしたら妹は俺の事をかばったのかもしれない。
それで危害が及んだのかもしれない。
けれど、妹は何も悪くなかった。
近くで車の音がして、慌てたように急発進するのが見えた。車には血痕がついていて、少しバンパーが凹んでいた。
ゆっくりと、昔の俺は顔を上げる。
そして何かに気がついたように「あぁ」と息を吐いた。
『*****』
昔の俺は、何かを呟いた。何を言ったのかは、まるで靄がかかったように聞こえなかった。
そこで、景色が切り替わる。
次に俺の目の前にあったのは地獄だった。
むせかえるような血の匂い。
燃える家屋、サイレンの音。
必死で救出活動をする消防隊。だが、その消防車や救急車に書かれた町名はこの町の物ではない。
『なんなんだ、これは! 市にも応援を頼め!』
『どうして病院も動いてないんだ! 何が起こったんだ、この町に!』
慌ただしく走り回る人々の中で、ぽつりと動かない人影があった。
昔の俺は、重傷の妹を背負って立ち尽くしていた。
目の前に転がる母親の死体をただ見下ろすその表情には、生気という物が感じられなかった。
この光景は知っている。
よく、知っている。
辺りの家は全て同じような状況だ。
民家も、学校も、病院も、警察も、消防署も、この村のものは全部なくなった。
『おい! 君! 大丈夫か!』
立ち尽くす昔の俺に数人の消防隊が気付いて駆け寄ってくる。
だが、昔の俺は反応を返さない。
『君! 君! 怪我はないようだが、後ろの子は……まだ生きてるな! 誰か! 受け入れ先の病院探せ!』
『余ってますよ……皆、病院なんて必要ない! 死んでますもん……』
『本当に、何が起きたんだ……!』
消防士は妹を俺から引きはがし、担架に乗せた。それでも一切動く気配がない俺に対し、何か違和感を感じたらしい。
『この子……担架をもう一つ頼む』
『え?』
『この子も駄目だ。心がやられちまってるよ』
がくん、と俺が崩れ落ちる。その顔からは一切の感情を感じず、何かが抜け落ちてしまったようにも感じられた。
ここまでが、事件の記憶だ。
実際に何があったのかは俺は知らない。
「うぷ……」
見たくもなかった記憶を引きずり出された影響か、凄まじい吐き気が俺を襲った。
「げ、ぇえっ」
嗚咽とともに吐瀉物を吐き出す。が、吐き出したはずの吐瀉物は空気に溶けて消えた。
『Don’t look at the reality.Look at the truth』
そこで、何かが聞こえた気がして顔を上げると、目の前の地獄は消えていた。
辺りを見渡すと、なんだか懐かしい光景が広がっている。
遠くからはトラクターのエンジン音が響いていて、人の姿もまばらに見えた。
「クソッ!」
最初と同じ光景。
どうやら俺は、延々とこの光景を見せられ続けるらしい。




