第四十一話 狼は意外と心配性
数分後。
未だに俺はニナに殴られている。
「く、クモちゃん」
「こればっかりは主殿が悪い。大人しく殴られておけ」
「こりゃ酷いね」
おやおや、と誰かが寄ってくる。顔を上げ、そこにいたものを見て絶句する。
黒い髪。狼のような耳と尾。見間違えようが無い。
「お前っ……餓狼!」
「あ、主殿。違うんだ。此奴は主殿を助けるのに協力してくれて……」
どういうわけかクモちゃんが慌てて取り成そうとしたが、餓狼はそれを遮った。
「いいや、この状況を作り出したのは私だよ。白井ユキト君」
「……お前……、なんなんだ? 村を襲って、オデットを殺して、俺を襲って……何が目的なんだ」
俺は身体を起こそうとしながら腰の鞘に手を伸ばし、そこに刀が無いことに気付く。慌てて見回すと、餓狼の向こう、数十メートル先に転がっているのが見えた。そうなれば俺はただ餓狼を睨みつけることしかできなかった。
「くっ……うお!?」
そこで、すがりついたままだったニナが無理矢理俺の身体を押し倒す。
「違うの、ユキト! オデット様は死んでないの!」
「え」
「全部この人がユキトを試すためにやった芝居だったんだって……」
「え、は…………はぁ?」
困惑しながら餓狼を見上げる俺。
餓狼はというと、肩をすくめながら肯定した。
「……言わないで良かったんだけどね……こうなったらこじれても面倒だし説明するかあ……そういうことだよ。村を襲ったのはマジだけどね?」
「おい」
そこはマジなのかよ。
「というか、ボクは毎回あの村に行くたびに襲ってるし……」
「おい」
「もはや村人的にもアトラクションになりつつある」
「あの村は……」
思わず頭を抱えてしまう。確かにあの暇を持て余している村人たちなら、襲撃されても嬉々として戦いに行くかもしれない。
いや、今はそんなことはどうでもいい。
「お前……俺を試すってどういうことだ」
「……」
餓狼は押し黙る。そして、目を瞑りしばらく尻尾を振り回していた。なんとなく犬っぽい。
「もう一回説明するのめんどい」
「ふざけんな」
「もうニナちゃんとかから聞いてよ〜」
「ふ、ざ、け、ん、な!」
とりあえず吠えてはみたが、俺がいくら怒ってもおそらくコイツは聞く耳を持たないだろう。しょうがなく、ニナとクモちゃんの方をちらりと見て説明を催促する。
「うーむ、とはいえ妾もよく分からんのだが。主殿を発狂させて、断片としての性能をテストして、世界の敵にさせるとかなんとか?」
「オデット様も関わってたとか? 私たちの村もユキトのためのものだったとかなんとか」
「なんだそれ」
全く訳が分からない。まず、発狂させて断片としての性能をテストするというところから分からない。
「発狂するとねえ、リミッターが外れるから残滓でも断片並に力を発揮できるんだよ。だから世界の敵になれるかどうかテストしたってワケ」
「人類の敵って……」
そんなの、もともと俺はそうだというのに。残滓の性質はどうやったって変えられない。これがある限り人類の敵なのだ。
「あぁ、違う違う。人類の敵じゃないよ。世界の敵。残滓なのは人類からの迫害の対象ってだけでしょ? ボク達が君になって欲しいのは、世界をマジでぶち壊す世界の敵なんだ。この作戦のために、3000年もかけて準備して来たんだからね」
情報が多すぎて整理しきれない。
俺が混乱しているのに気付いたのか、餓狼はふっ、と表情を緩めた。
「まあ……まだ理解できなくてもしょうがないよ。どうせこの迷宮を出る時には意味が分かる。そのとき君がどうするかは君次第だけどね」
「なんだよ、それ。結局何も分かんないぞ」
「いいんだよ、それで。君はまだ幼い。あまりに幼い。そもそもボクは反対だったからね……たかが19歳にこの使命は重すぎる」
「……お前、心配してくれてるのか」
なんだかその口ぶりに優しさのようなものを感じた気がして、そんな言葉が思わず口をついて出た。餓狼はビクン、と身体を跳ねさせる。
「な、なにを……そんなわけないでしょ」
「ユキト。この人はね、嘘が下手だよ」
ようやく俺から離れたニナがぐしぐしと目を拭って言った。
「……心配なんか、してないよ。アイツが選んだんだ、この作戦は絶対に失敗しない……」
「いや、そっちじゃなくて、俺の心配」
「もう一回、戦おうか? 今度は本気でさ」
それは流石に勘弁願いたい。俺はからかうのをやめた。
というか、そもそもさっきまでの戦いも本気ではなかったのか……。
「さて」
餓狼がふっ、と上を見上げた。
「ん? どうした?」
「いや、そろそろ帰ろうかなあってさ。目的は達したし?」
「そうか。じゃあまたな」
そう俺が言うと、餓狼は顔をしかめた。
「あのさあ、君たちいくらなんでも馴れ馴れしすぎ。ボクは最強の断片、大量虐殺連発の最悪の断片だよ? それに、君たちを殺しかけたんだよ? そんなんじゃ、地上に出てからやっていけないよ」
彼女はそう言って俺を睨んだ。鋭い、まさに狼のような眼光。だが。
「いやさ、戦ってる時から思ってたけど……お前からは悪意を感じなかったよ。殺されかけたのはそうだけど、死んでないし。何か分からないけど理由があったのも分かったし。それに……」
「それに、何さ」
「世界の敵だの作戦だのはよく分からないけどさ。その作戦の中に俺が入ってるならまた会うこともあるだろ。つまり仲間ってことだ」
ぽかん、と餓狼は口を開けた。
「なんかおかしいこと言ったか、俺」
「いや、おかしいっていうか、さ……君、自分が世界の敵になるって言われてるんだよ? 抵抗とか、そういうの……ないの? なにさらっと受け入れてるのさ」
「いや、抵抗とかはないよ」
そもそも、俺はこの世界に来て最初にやられたことは脚を折られて即廃棄である。世界に味方する理由なんてどこにあるだろうか。
それに、どんな形であれ、自分が必要とされているということは嬉しいことなのだ。
「……そっかあ。まあ、いいんだけど。その方が、説得とかしなくて済むから楽だし……ほんと、君らといると調子狂うよ! 帰る!」
「というか、帰るってどうやって帰るんだよ?」
そもそもこの迷宮に出口は無いはずである。100階層の上はまるまる水没しているという話だったはずだが。
「いや、ぶち抜くんだよ、普通に。水があろうがまっすぐ上にぶち抜けばせいぜい数分息止めてるだけで越えられるじゃん」
とことん規格外な奴である。聞いた俺が馬鹿だった。
「そうかい……じゃあな、餓狼」
「……あのさ、仲間だって言うんなら餓狼って呼ばないでよ」
「っつてもさ、名前なんていうんだよ?」
「最初にも言ったよ。エリノア・ルー。エリノアを略してネリーとか、ネルとか呼ばれてた。まあ、好きに呼びなよ」
そういえば、最初の名乗りで言っていた気がする。すっかり忘れていたが。
「じゃあ、ネル」
「うん、餓狼よりはよっぽどいい。じゃあ、今度こそさよならだ。ここの竜共は殲滅しといたからゆっくり休みなよ。素材も大量にあるだろうから持てるだけ持っていくといいよ、地上に出た時売れば金の足しになるでしょ。ちゃんと食べて寝なよ!」
そう言って、ネルはひらひらと手を振って去って行った。
俺たちはしばらくその姿を見送って、次に周りに散らばる竜の死体を見渡した。
「……なんか、案外親切だったね」
「……確かにあの者がいなければ、これだけのドラゴンの群れは越えられなかったな」
「……というか、最後の台詞さ」
そして、俺たちは顔を見合わせて同時に言った。
「お母さんだね」
「お母さんだな」
「お母さんだわな」
**
「あー、疲れた」
だらだらとボクは階段を上る。
とりあえず適当に走っていたらもう100階層に続く階段まで着いてしまった。相変わらずぬるいダンジョンだなあ、と一人ごちる。
階段を上り切ると、100階層への出口に誰かが立っていた。
「ありゃ、オデットじゃん。お出迎え?」
「なわけあるか。勝手なことをして……」
オデットは耳を立て、8本の尻尾すべての毛を逆立てていた。かなりおかんむりのようだ。こういうときはさっさと逃げ出すに限る。
「じゃっ!」
「待たんかい」
「ぎゃん!」
ぐい、と尻尾を掴んで引き戻された。尻尾は弱点というわけでは無いが、敏感なのでやめてほしい。
「い、いいじゃん。龍種も殲滅したからあの子たち進めるしさ、そもそもあそこの試験担当が死んで逆に難易度爆上がりしちゃったのが悪くない? 断片としての性能も分かったんだし、ね? ね? いいでしょ?」
「良くないわ! 紛らわしいことをしおって! お主が来なければもっとちゃんと準備して安全に進めたんじゃ! ニナ達が死んだらどうするつもりだったんじゃ!」
オデットはボクの耳を両手で引っぱりつり上げた。ボクがSSSランクでオデットがSSランクとはいえ、痛いものは痛いのだ。
「いたいいたいいたい! 殺すつもりはなかったし……ていうか、ユキト君じゃなくてニナちゃんの心配なんだね?」
「……む。悪いか?」
「悪かないよ。ぜーんぜん。ま、計画よりも家族の方が大事になっちゃったんだなあってさ」
ボクの耳を掴むオデットの力が緩む。その隙をついてボクはオデットの手を振り払った。
「まあ、オデットは昔からそういう狐だったけどね。だからこの、ユキト君を育てる階層を任されたんだしさ。とにかく、お疲れさま。あとは例の106階層だけだから、戻ってくることはないはずだよ。君たち一族の仕事も終わりだ」
オデットはふう、とため息をついた。
「ま、そうじゃな」
「うん、そうそう。じゃ、そういうことで!」
ダッシュで脱兎のごとくボクは走り出そうとしたが、またも尻尾を掴まれた。
「待たんかい!」
「ぎゃぅん! なんだい!」
「お主、毎回毎回来るたびに村を荒らして遊びおって! お主が壊した村の修繕。手伝わんかい」
思わず「は?」と聞き返してしまう。
オデットたちの役目は終わった。ユキトを待つという使命が終わった以上、ここに残る意味はないのだ。
「何言ってんのさ。もう出て行けばいいじゃん。上の階層の水を抜いてさ、地上に出ちゃえば村の修理なんて……」
「分かっとらんのう。これだから放浪娘は」
「放浪娘言うな」
「放、浪、娘、には分からんかもしれんがな。誰にでも、帰る場所は必要なのじゃ」
オデットは、やんわりと微笑んで言った。
帰る場所。
それは、確かに……あって、困るものではないだろう。
「……あっそ。好きにしなよ」
そう言って、ボクは踵を返す。
「ネリー」
「……また来るよ」
とん、と軽く地面を蹴って、天井に向かおうとして―—。
「いや、いい話っぽくして逃げようとするな。手伝いはしていかんかい!」
「いーやーだー!」




