第四十話 妹の記憶
3歳年下の妹、白井風結はここ7,8年ほど、ずっと入退院を繰り返していた。
彼女は幼い時に災害で大怪我を負い、歩けなくなってしまった。
そんな彼女はもぐもぐと朝ご飯を食べていた。そして、仕事に出ようと準備する俺に話しかけてくる。
「お兄ちゃん、今日は私も牧場の手伝い、ついていきたい」
「え? あぁ、分かったけど……いつも思うんだけど、見てるだけだとつまんないんじゃないか」
俺たちは叔父母の家で生活していた。
過去、村を襲った事件。それは、俺たちの両親を奪い、妹から歩くことを奪った。村は住めるような場所ではなくなり、俺たちは叔父に引き取られたのだ。
「ううん、そんなことない。牛とか、馬とか……見てるだけでも楽しいよ。それに……」
「それに?」
「私、歩けるようになったらお兄ちゃんと牧場で働きたいから」
にこっと彼女は笑い、ごちそうさま、と手を合わせた。
俺はその食器を片付けはじめながら、ズキリと胸が痛むのを感じた。
俺は、彼女に負い目がある。
なぜだか分からないが、あの災害は、自分が原因な気がしていた。
自分だけが無傷で生き残ってしまったという罪悪感。それがそういった勘違いを引き起こしている、と精神科の医師は言っていた。
そう、彼女が身体に大きな傷を負った代わりに、俺は精神に大きな傷を負った。
災害の時の記憶を喪失し、過去の記憶も断片的になった。俺は、その事件について、原因も、何が起きたのかも何も覚えていない。
残ったのは、死んだ両親の墓と、重傷を負った妹だけだ。
「……んじゃ、行くか。準備しな」
「うん!」
スルスルと慣れた手つきで車いすを動かしながら妹は自分の部屋へ戻っていく。さすがに10年近くも車いす生活をしていれば、着替えも一人でお手の物だ。
というか、二年ぐらい前に「もう着替えとお風呂の手伝いはお兄ちゃんはいらないから」と拒否された。お兄ちゃんは悲しい。……と、そんなことを考えていたら突然背中を叩かれた。
「おーいユキト、なにぼーっとしてんだ」
「叔父さん」
「なんだ、フユのことか。どうせまた着いてくるってんだろ? アイツの方が跡継ぎに向いてるかもなあ! ユキト、そうなったら働き先ないぞ!」
ガハハ、と豪快に笑う叔父さんは性格とは真逆で、かなり細身で長身だ。
「なに言ってんのアンタ!」
キッチンで皿を洗いながら、叔母さんが叔父さんを叱責する。叔母さんはかなり恰幅がいい。叔父さんの倍は言い過ぎだろうが、かなり横幅がある。
彼らには子供がいなかった。そうでなければ俺たち2人を養うなんて出来なかっただろう。
「というかユキト! あんた、進路届け実家を継ぐって書いたんだって? 先生から連絡が来たわよ!」
「げっ」
「げっ、じゃないわよ、げっ、じゃ!」
皿を洗い終わったらしく、叔母さんは手を拭きながら俺に向き直った。
「あんた、大学に行くお金は姉さん達の残してくれたお金があるから大丈夫って言ってるじゃないの! 私立だろうがFランだろうが平気なぐらいにはあるのよ! 何遠慮してるのよ!」
「いや、遠慮してるわけじゃないけどさ……」
ぽりぽりと俺は首の後ろを掻きながら目を逸らした。というか、俺が確実に国公立には受からないと分かっていらっしゃる。
「別に行きたい大学もないっていうか……」
「嘘付け、ユキト。お前、テレビに東京が出るたびに食い入るように見てるじゃないか。東京に行きたいんだろ」
「うっ」
実は、俺は東京での生活に憧れがあった。
というよりは、北海道の片田舎のここよりも、東京ならフユにいい治療を受けさせられると思っていた。東京の大学であれば就職活動も東京でやれる。就職できたら、東京に妹を呼んで、なんてことを考えてはいたのだ。
だが、そうすると牧場の跡は継げない。
それに、4年間妹の元を離れることになってしまう。
それは、できない。
「東京はいいぞ、俺も昔は東京の大学に通ってなあ」
「その話はもう100回以上聞いてるよ、叔父さん」
「ん? そうだったか?」
はて、と叔父さんは首を傾げた。まあいいか、と話を続けようとする叔父さんを叔母さんが遮る。
「ユキト。あんたたちを大学に行かせたいっていうのは姉さんたちも言ってたのよ。もう少し良く考えなさい。うちの跡を継ぐとかは気にしなくていいんだから」
「……分かったよ」
だが、妹を置いては行けないのだ。
多分、高校を卒業したら、俺は跡を継ぐのだろう。そう思っていた。
**
「お兄ちゃん、東京、行ってもいいんだよ?」
「は?」
手伝いの途中。のんびり飼い葉を食む牛を眺めながらフユは言った。俺はブラッシングの手を止めて、彼女の方を振り返る。
「いや、だから。大学行ってもいいんだよって」
「何言ってんだよ。俺は……」
「お兄ちゃんが私のために残ろうとしてるのは知ってる」
思わず息をのむ。
「何ビックリしてるの。それぐらい分かるよ……お兄ちゃん、過保護なんだから」
「いや、そんなことは……」
「あるでしょ。私に責任感じさせたくなくて、嘘つくのも分かってる」
彼女は、聡い妹だった。今思えば、俺の考えることなど全てお見通しだったのだろう。
「私もさ、お兄ちゃんの重荷にはなりたくないんだよ。お兄ちゃんはずっと、ずっと私のためにこの10年頑張ってくれた。そこは感謝してる。けどね、お兄ちゃんはそろそろ自分のために生きてもいいと思うんだ」
「で、でも」
「私、もう一人で着替えられるよ。一人でトイレも入れるし、お風呂……はまだ手伝ってもらってるけど、もうそろそろ一人でもできそう。だから、大丈夫だよ」
「フユ……」
また、ズキリ、と胸が痛んだ。
「だから、東京生活を楽しんできてよ。私は平気だから」
「……」
「なんて顔してるの、あはは! そろそろお兄ちゃん、妹離れしなきゃ駄目だよ!」
妹は俺の顔を見てけらけらと笑う。
だけど、そんな妹の顔を見て、少しだけ気分が晴れた。
「妹離れってなあ……あぁ、分かったよ! ……卒業したら、お前を呼ぶよ。そしたら、脚もきっと治せる。治して、一緒に牧場をやろう」
「だからそういうのはいいって! それにそれ、結局妹離れできてないんですけど」
「……」
辛辣な妹である。俺は何のために東京に行くんだ?
「そんなの、楽しそうだからでいいんだよ。ちょっとは楽しまなきゃね、お兄ちゃんもさ! 昔から……大変だったんだから」
そうだ。
昔いた村で俺は、なぜか分からないがイジメを受けていた。
その影響で妹にも危害が及んだこともある。その記憶は、朧げながらも残っている。そのとき俺は、どうしたのだったか。
「フユ。俺を……恨んでないか?」
「突然何言ってんの、お兄ちゃん。変な漫画でも読んだの?」
「……悪い」
そこで、ブモー、と俺の後ろで牛が鳴いた。『はよ撫でろや』みたいな感じだったので、ブラッシングを再開する。
「モー(ええぞ、そこやで)」
「ふふ、さすが撫でマスター白井」
「その名前で呼ぶな! お前も白井だろうが!」
結局その後、俺は東京の大学に行った。
ただ、何の目標も無く行った大学は、遊ぶにも、学ぶにも、俺には合わなかった。
そもそも、俺には遊ぶという意識が無かったのだ。
ただ、妹のために生きて来た俺は、ただ楽しむために大学に行けと放り出されてもなにもできなかった。
そんな俺が学校で浮くのも仕方の無いことだったのかもしれない。
ついでに言えば、浮いたもの同士でつるむようになるのも。
「白井……いくと? 殿ですかな? 初めましてですな」
「ユキトだよ。ええと田中……だっけ? いつも一人でスマホいじってる」
そのとき、俺は食堂で一人でカレーを食べていた。そこに、太っていて、眼鏡、ボーダーシャツの男が声をかけて来たのだ。
そいつには見覚えがあった。不良だらけの治安の悪い学校で、珍しく大人しい奴だったから覚えていた。要はオタクである。
「心外な覚えられ方ですなあ! というか田中では無い! 山田ですぞォ!」
「で、なんか用?」
「いやあ、いつも一人で食堂にいるので声をかけてみた次第でござる!」
どうも傍から見れば俺も同族だったらしい。
「……うん、たしかに心外な覚えられ方だわ……いつもスマホで何してんの?」
「よくぞ聞いてくれましたなあ! これはあのラストファンタジアのソーシャルゲーム版、ラストファンタジアダイヤモンドダストなんですぞォ! 来年には7も出る予定ですし胸熱ですぞお!」
「ごめん、俺まったくゲームしないから分からん」
「なぬぉおおおお! これは布教しがいがありそうですぞおおおおお!」
「え、いや、俺は……」
「さっそく今日はマイアパートでラスファン1からぶっ続けプレイですぞおおお!」
「ええ……」
こうして、俺には初めての友達が出来た。
結局、ゲームにドハマリしてしまい大学をサボったりなんだりとしてしまうわけだが、それでも楽しかったように思う。
「……お兄ちゃん、さすがにそういう方向に楽しんじゃうとは思ってなかったよ」
とは、後に俺のアパートに叔母と遊びに来た妹が、大量に積み重なるゲームソフトを見てため息をついた時の台詞である。
そしてそれが、召喚される前に最後に会った妹の姿である。
今、彼女は元気だろうか。
俺がいなくなったことはもう知ったのだろうか?
彼女は、今——。
**
「お、あぁ、あ……?」
ガクン、と青年の膝が崩れ、澱みの槍が空気に溶けるように崩れはじめた。
「おっ?」
狼の少女はそこで攻撃し続けていた手を緩める。
青年は満身創痍だった。一方で、少女は無傷である。それは、澱みを自由自在に操っていたと言っても過言ではない青年を少女が完封したことを意味していた。
地面に崩れ落ちる青年。同時に、全ての澱みが霧散し消滅する。
最後に、すう、と空気に溶けるように仮面が消えた。
「うん、無事戻ったみたいだね、ユキトくん?」
「ユキト!」
「おや」
そこで、狼の後方からニナの声と、駆け寄ってくる足音がした。無事に彼女たちも彼の精神世界から戻って来られたのだろう。すぐにニナは狼の少女を追い抜いて、倒れたままの青年にすがりついた。少し遅れて、クモの少女も歩いて追いつく。
「ユキト! ユキト!」
「う……」
ゆさゆさと揺さぶられて、青年が、いや、ユキトは声を上げる。
「ニナ……クモちゃん……」
「主殿……」
安堵したようにクモの少女は胸を撫で下ろす。一方で、ニナはすがりついたまま動かず、顔を彼の血だらけの胸に埋めた。
「ユキトのバカ!」
「……うん」
「バカ、バカ、ユキトのバカ! アホ!」
そして、ボコボコとニナはユキトの胸を叩きはじめる。
「いった! いてえ! 痛いから!」
「謝るまで許さない! 共鳴したら発狂しちゃうって分かってたくせに! なんで!」
「ごめん! ごめんなさい! やめて!」
痛みに絶叫を上げるユキトに対し、ニナは手を緩めない。
「謝っても許さない! 共鳴しちゃ駄目だって言った! なのに、なのに……」
そのままニナは嗚咽を上げ、泣きはじめてしまう。何か言っているようだがもう嗚咽にまぎれて聞き取れない。
「ユキトの……ばか……」
ズキリ、とユキトの胸が痛んだ。
だが、苦しくない痛みだった。
心の底から、彼はその言葉を嬉しく思った。
「ニナ、クモちゃん……ありがとな」
ぽつり、と呟くように言った言葉。
クモの少女はふっ、とうっすら微笑んで、ニナはさらに激しく泣きはじめる。
「お礼言われても、ゆるさないぃ!」
と、ニナはユキトを殴るのを再開した。




