第三十九話 シライユキト
「返す? それは違う」
シライユキトはそう言う。あざ笑うように、口角を歪ませて言う。
「元々僕が白井行人なんだよ。君たちが今まで見て来ていたのは、本当の僕じゃない、仮初めの僕なんだ」
「……」
「この世界は素晴らしい。澱みだっけ。溢れるような、誰にも使われていない力が僕に力を与えた。『俺』が押し込めていた僕に、『俺』を上回るような力を与えた。二度と目覚めるはずの無かった僕は、『俺』が戦うたびに力を得た」
「……あなたが何を言っているのか分からない。そもそも澱みは、あなたがいた世界には無いはずだよ」
「そんなことはないさ。あれは元々僕たちの世界にあったものだ。君たちは澱みの本質を知らないだけなんだ。澱みは譛ャ譚・縺ッ蜒輔◆縺。縺ョ/{error}……うん、まだ伝えられないみたいだね。どうやら神様とやらのロックは精神世界にまで影響するみたいだ」
やれやれ、と彼は頭を振った。
「なんで、あなたがそんなことを知ってるの。ユキトは何も知らなかったのに」
「澱みの正体ぐらいは分かる奴なら分かるさ。だって、白井行人はもともとその力を使えたんだから」
「どういうことだ……?」
「念話スキル。知ってるよね」
「それが、何……? たいしたスキルじゃないでしょ」
「そう思っているのは君たちだけだ。禁術指定されてるってさっきの狼も言ってたけど……何より、『俺』が勇者召喚された時点で覚えていたことが問題なんだ」
白井行人が勇者召喚されたとき、覚えていたスキルは念話、魔獣敵対無効、神聖の拒絶、人間からの乖離、共鳴の5つ。
「何かおかしいと思わないかい? 不明の残滓としてのスキルとしては、念話だけが浮いているんだよ。神聖の拒絶なんていうスキルのせいで僕はどうやら普通のスキルは一切覚えられない。覚えられるのは非正規のスキルだけだ。剣術(刀)なんていい例だね、あれは裏のスキルだ。なのに、禁術とはいえ正規のスキルのはずの念話は覚えていた」
「それは、魔獣使いっていう適性が……」
ニナが声を上げるが、それを遮る。
「違う。適性がスキルを生むんじゃないんだ。持っているスキルや経験によって適性が決まる。諸々持たされたスキルによって、獣使いとしての適性が方向づけられた」
「じゃあ、なんなの……」
ニナの問いに彼はニヤリ、と笑った。
「簡単さ。念話は……おっと、これもまだダメか。言うな、って言われてる」
「……誰に?」
「それも言えない」
飄々と、人を見下すような笑みを浮かべながら青年は肩をすくめた。
「まあとにかく、この力、澱みっていう素晴らしい力がこれだけこの世界には溢れてるんだから上手く使わないとね。この力があれば、僕は強くなれる。誰にも負けないぐらいに、誰にも屈しないぐらいに、誰も逆らえないぐらいに強くなれる。でも、『俺』じゃ無理だ。『俺』は何も分かっていない。だから僕がやる。僕が『俺』になる」
「そんなこと、させると思う?」
ニナとクモの少女が構える。
「するさ」
だが、彼女たちの脚が黒い地面に沈んだ。2人は慌ててもがくが、次の瞬間には宙づりになってぶら下げられていた。そして次には黒い壁に連続で叩き付けられ、黒い鞭に殴打され、地面から突き出した黒い杭に吹き飛ばされ、また宙づりにされた。
「なに、これ……?」
訳が分からない。動きが繋がっていない。バラバラの現象がただ結果として連続して再生されていく。痛覚は無い。感覚はない。だが、痛みを感じる。衝撃を感じる。
「僕の精神世界だからね。なんでもありさ」
「くっ……」
「まあ、ここで君たちを壊してしまえば僕の邪魔をする奴はいない。僕は自由に生きさせてもらうさ。ようやく……他人に縛られない場所に来たんだからさ」
「なんで……なんで? それじゃユキトはどうなるの」
「僕の中で永遠に閉じ込められたままだろうさ。今まで僕がそうだったように、今度は『俺』がそうなる番だよ」
理不尽だ。そう、ニナは思った。
「そんなのっておかしい。今まで頑張って来たのはユキトでしょ? もう少しで迷宮から出られるまで頑張ったのはユキトだよ! それなのに、ここからはあなたが代わりに生きるなんて、そんなの横取りだよ!」
「うるさいな。僕が何年こいつの中に閉じ込められていたと思ってる。11年、11年だ!」
とうとう激昂するシライユキト。それに対し、ニナもまた声を荒げた。
「だから何? その間なにか辛いことでもあったの?」
「ッ」
そこで、シライユキトは白井行人の記憶を思い出す。
彼女が150年、あの森で耐え続けていたことを思い出す。
「そもそも、あなたが閉じ込められたのには理由があるんじゃないの? あなたをユキトが閉じ込めたのには理由があるんじゃないの? そんなあなたの代わりに生きたユキトの人生だって、ただ楽しかっただけじゃないはずだよ……」
しばらく、シライユキトは無言だった。
何かを考え込むように目を瞑っていた。しかし、再びその目を開いたとき、彼の表情は憤怒に染められていた。
「……もういい」
「ッ、ぁああっ!」
ギリギリと、ニナたちを吊るし上げていた黒い鞭が締め上げられる。
「もういいよ。消えろ」
「主……殿ッ……」
「なんなんだ、お前ら。ほんの少しの間しか一緒にいなかったくせに。どうしてこんな奴のために……こんな、人間の屑みたいな奴のために! こいつは何も分かってない。何も分かろうとしない! 苦しんだのは僕だ! こいつのために僕はやったんだ! こいつは、こいつは――」
「っ、あ……う、逆に、ね」
細い、声だった。
締め上げられながらも、少女は声を絞り出す。
「どうし、て……ずっと一緒に、いたのに。あなたは……ユキトを、認めてあげられなかったの……」
「認める……?」
「そう、だよ……あなたのこと、私は何も知らない……何があったのかも、知らない……でも、あのユキトが、ただ悪意だけであなたを閉じ込めるはずが、ない……」
涙目になりながらも訴える少女。それに呼応するようにまた、クモの少女も苦痛に喘ぎながらもシライユキトを睨みつけた。
「たった……数日しか一緒にいなくても、くぅっ、分かるぞ……主殿は、そんな人間じゃない、くずなんかじゃ、ない……」
「お前らに……何が分かる! 他人のお前らに!」
シライユキトは彼女たちを締め上げる力をさらに強くする。だが、それでもニナはしっかりと青年を、ユキトを見据えた。
「ユキト……一緒になんとかしようって、言ったじゃない。そばにいていいって言ってくれたじゃない! なんでこんなところでへたばってるの! ユキトのバカ!」
刹那、空間が揺らいだ。
「ぁ、ぐぅ……ッ!?」
空間の揺らぎに呼応するかのように、白と黒のマーブル模様がせめぎあう。同時に、シライユキトは胸を抑えうずくまった。
「まさ、か……『俺』……ッ!」
ズルリ、と黒い鞭が溶けていき、少女たちの拘束が解けた。不可解そうな表情になるニナとクモの少女。
「……もしかして、ユキトのバカって言ったのが……」
「効いたのか! 主殿のバーカ!」
「ユキトのバカ! アホ! おたんこなす!」
なにか勘違いした彼女たちが叫ぶたびに、呼びかけるたびに、黒い模様が白く塗りつぶされていく。真っ白に、白く、白く。
「ぐぅ、う……! お前、ラ、僕を、無視して、そんな、効くワケ……」
うずくまったままシライユキトは動けない。いや、動こうとするたびに何かに押さえつけられている。黒い模様は白い模様から逃げるように、彼の周りに集まっていく。そんな彼の元に、ニナとクモの少女は走り寄っていく。
「いいからとっとと起きろ! 主殿!」
「ユキトの、ばかばかばか! バーカ!」
そして、思い切りぶん殴った。
殴られて仰向けに倒れる青年から衝撃波が広がり、白い模様が波紋のように広がっていく。
「あぁ」
対して黒い模様は一掃されていき、ずぶずぶと広がる白い模様に塗りつぶされていった。
「あぁ―—」
憎々しげに、自嘲するように、彼は言った。
「なに、お前がこいつらを守ろうとする限り、僕はまた現れるぞ」
そして、白い世界から黒色は消えた。




