第三十八話 返して
少女2人の身体が、まるで魂が抜けたかのように崩れ落ちる。
狼は彼女たちを地面に倒れ臥す前に抱きとめると一息ついた。
「うん、共鳴までは無事に出来たみたいだね……」
そして、顔を上げ霧散していく澱みの槍を見つめた。
「……」
あのとき、この槍は確かにこの少女の叫びに反応して、その動きを止めた。
おそらくは、気を失いながらも彼は彼女たちを守るために動いたのだ。
「じゃ、まだなんとかなるか……どれ、もう一仕事するか」
彼女はゆっくりと青年から離れ、瓦礫の陰に眠り込む少女たちを隠す。そして、澱みの爪を展開した。
「おぉ、お、おぉおあああああああ」
同時に意識を取り戻した青年がゆらり、と立ち上がり、大量の澱みが吹き出す。狼はその様子を見て凄惨に笑った。
「さあ、おいで」
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白と黒が入り交じる灰色の世界。
そんな印象だった。白と黒の雪が混ざって舞っていて、ずっと不協和音のようなものがしている。
「ここ、は……?」
「おそらくは、主殿の心象風景なのだろうな」
気付くと隣にクモの少女がいた。だがその存在感は朧げで、近いのかも遠いのかも分からない。ニナはゆっくりと周りを見渡した。
「心象風景……これが? それに、なにこの音……」
「セミの鳴き声だな……しかし、なんとも空虚な」
そこには、何も映っていない。何も残っていない。
ただ、白と黒がマーブル模様のように渦巻いていた。
「……ううん、何も無いわけじゃないんだ、きっと」
「?」
ニナはマーブル模様の白い部分にそっと触れる。すると、裂け目が出来るようにして何かが覗いた。
『おはよう』
『気分はどう? フユ』
『今日は調子いいよ』
『そうか、よかった。花瓶の水、変えてくるよ』
『ありがと、お兄ちゃん』
朧げだが、白い部屋で男女が話している光景だということが分かる。
「これ……ユキトの、記憶」
「……妹君か?」
「そう、だと思う。妹がいたんだね」
ニナ達にとっては異世界の家族。
彼女たちには分からなかったが、それは病室だった。
「……多分、この白と黒の模様がユキトの記憶なんだ」
「そうみたいだな……妾にはよく分からんが。なんで二色に別れているんだ」
「私もよく分からないよ」
そして、次に彼女は黒い部分に触れた。しかし、今度は裂け目が出来ることは無く、ただ彼女の手を弾いた。
「痛っ!」
だが、その瞬間に何かの断片が流れ込んでくる。
『どうしてだ! どうして、どうして、なんで!』
『僕はこんなつもりじゃなかった! 僕は、僕は、僕は……』
『僕がやったのか』
『僕がいけなかったのか?』
『僕が悪いんだ』
「う、っぷ」
思わずニナは吐き気を感じ、口を抑える。
それは絶望であり、羨望であり、怒りであり、憎悪であり、嫌悪であり、怨嗟であった。
そして、それは。
「ニナ嬢……? 泣いているのか」
「え……?」
ただ、悲しかったのだ。
ぼろぼろと、涙が止まらない。自分の記憶でもないのに、わずかな片鱗に触れただけだというのに。吐き気を催すような感情の渦の中で、悲しみだけが乖離し広がっていく。
「……ユキトを探さなきゃ」
ニナはごしごしと目を擦り、歩き出す。
心象世界の中で、歩くということに意味は無い。
だが、それでも、前に進む意思は意味を為す。
即座に結果に繋がる形で。
「やあ、ニナ、クモちゃん」
突如、目の前に青年が出現した。
見慣れた姿、聞き慣れた声。
シライユキトが、そこにいた。
「ユキト……」
「主殿!」
クモの少女の表情に歓喜の色が浮かぶ。
無事だったのだ、彼は。
「悪いね、こんなところまで来させてさ。もう大丈夫だから、行こう」
「大丈夫? 本当に大丈夫なのか?」
クモの少女はとてとてと寄って行き、青年の周りをぐるぐる回りながら異常が無いか見渡す。
「あぁ、大丈夫だよ」
「そうか、それは良かった! なら、早く起きよう、あの狼女も敵では無かった。もう残りの階層も少ない」
「なんだ、敵じゃなかったのか。なんかおかしいと思ったよ」
あはは、と笑う青年。
だが、それに反してニナは一切笑わなかった。
「ねえ、ユキト」
「ん?」
にこやかに振り向く青年。
「あなたは、誰?」
青年の表情が固まる。笑みが張り付いたまま。
「……白井行人だよ。それ以外に何がある?」
「……そうだね、そうだよ。あなたは白井行人。でもね」
ふう、とニナは嘆息し、顔を上げて青年を睨みつけた。
「私が探しているのは、ユキト・ブラン・ルナーリア。あなたじゃないの。あなたと私は話したことも無いし、一緒に過ごしたことも無い。あなたはシライユキトだけど、ユキトじゃない」
クモの少女の表情もまた強ばる。彼女が彼と一緒に過ごしたのはせいぜい10日もないため、最初は気付かなかった。だが、それでも、気付いてしまえばそれまでだった。
「……何を言っているのかさっぱりだよ。ニナ。僕は君と一緒に修行して、君と一緒にここまで戦って来たじゃないか」
「違う。それはユキトの記憶を覗いて、知っているだけ。経験はしてないの」
「だけど、ここには僕以外いない。僕以外には誰もいないよ。ユキト・ブラン・ルナーリアは僕だ」
「そうだね、だから」
すっ、とニナは掌を上に向けて差し出した。
「ユキトを返して。何度も言わせないで、あなたはユキトじゃないよ」




