第三十六話 交錯する少女たち
二重人格、という言葉を聞いたことが無い人は少ないだろう。
決して空想のものではなく、精神分裂症、多重人格障害、解離性同一性障害など呼び方は数あれど、実際に存在する精神病の一つである。
主に大きなストレスを受けたとき、その経験を自分のものではないとして、記憶を切り離すことで人間はストレスから逃れようとすることがあるが、その切り離した記憶が別の人格として成長してしまったもののことを言う。
本来ならば好ましいものではない。
だが、今回に限って言えばそれは一つの結果を生み出した。
エーテルによる精神崩壊は、狼の少女が言う防衛機能によってある程度ブロックされていた。『神聖の拒絶』というスキルがそれにあたる。いってみれば、大量の澱みを放出することでエーテルの干渉を打ち消すスキルだったのだ。
しかし、それでも100万弱という異常な干渉値に対するエーテルの精神攻撃は庇いきれない。故に精神汚染は確かに引き起こしたのである。
だが、それはユキト本人にのみ作用した。
そして、眠っていたもう一つの乖離した人格が、ユキトの人格の弱体化とともに表出する。
結果、発狂しながらも理性を保ち続けるという矛盾をはらんだ状態を発生させた。
「……しかも、頭の中にもう一人いるなんて、その状況自体が精神崩壊みたいなものだ。神聖の拒絶スキルがエーテル干渉の精神崩壊と誤認して澱みを放出し続けている、というわけだ……参ったなあ。テストのつもりが大暴走だよ。でもまあ……これもアイツの思惑通りなのか。最悪だけど合理的だよ、全く」
青年がまた絶叫をあげると、大量の澱みの鞭と槍が一瞬で青年の周りへと集束した。鞭同士がいがみ合うようにぶつかり合い、周囲の地形を抉っていく。二つの人格同士のぶつかり合いを象徴しているかのようだった。一方で、反撃しない狼の少女に対しては興味を失ったのか追撃は止まった。
やれやれとため息をつきながら狼の少女が地面に降りると、すぐそばには2人の白髪の少女達がいた。横たわって荒い息を吐くクモの少女と、彼女を回復させ続けながらも青年の方を不安そうに見ているニナだ。
「あん? 逃げてなかったんだ」
「……逃げるわけ、ないでしょ」
ギロリ、と狼を責めるように睨みつけるのは狐。ちらり、とその顔を見て
「あーあー、その顔つき、ほーんとディオナにそっくりだよ。さっきも思ったけどね」
「……ディオナ?」
「知らないの? 君のお母さんの名前だけど」
ニナの表情が変わる。思い出したのは過去。ここで死んだ両親のこと。
「ッ! まさか、お母さんも、オマエがッ……!」
「いや、それはない。ボクは仲間は殺さない。あの2人は普通にここで死んだんだよ。まあ、なにせ……そもそも、君たちが出られるようには出来ていないんだよ、ここは。外からも誰も入れない、中からも誰も出さない。100パーセント、確実にね」
出られない。そんな言葉よりも、一つの単語が耳に残った。
「……仲間?」
「仲間だよ。ボクはこれでも3000年生きているから、ディオナが赤ちゃんのころから知っている」
「仲間なら、どうして送り出したりしたの……! どうして出れないって知ってるなら教えてくれなかったの!」
「……教えたさ。だけど、彼女達は一縷の望みに懸けた」
「望み?」
「……どうせこの先で知ることになる。今はその話をすべき時じゃないよ、ニナちゃん」
「ッ、馴れ馴れしくしないで! 絶対、オデット様の仇は討ってやるんだから……!」
「……ニナ嬢、駄目だ、ここで戦っても……主殿を救えない」
「ぅ、うぅ」
ニナの全身の毛が逆立つが、クモの少女の言葉でしゅん、と垂れ下がる。だが、彼女もこの状況を打破するためには、何か知っている狼の少女の存在が不可欠だと分かっていた。すぐにでもこの狼を焼き殺したい衝動に駆られていたが、今は青年をどうにかしなければいけない。
「聡いね。……さて、とはいえどうしたものかね」
「そっちが引き起こした事態でしょ」
「そうだけど、予想外だったんだよねー」
「……そもそも、お主は何がしたかったのだ。妾達への攻撃も致命傷でこそあれ、即死させるようなものではなかった。いつでも妾達のことは殺せたはずだ」
クモの少女は地面に伏せたままだが、意識はハッキリしているようだった。対し、狼の少女はきょとんとした顔で返す。
「言ってるでしょ。仲間は殺さないって」
「は?」
「駄目、理解できない」
ニナは顔を抑えながらため息をつく。だが、考えている暇はない。今は青年が矛先をこちらに向けていないからいいが、いつそれがまた牙を剥くか分からない。
「とにかく、何がしたかったの」
「うーん、本当はまだ教えるべきじゃなかったんだけど、まあ、いっか。状況が状況だし、ボクは嘘つくの苦手だしね。簡単に言えばテストだったんだよ。ユキト君の断片としての素質のテスト」
ニナとクモの少女はぽかん、と口を開けた。
「テスト?」
「そ、テスト。試練であり、試験。残滓のままで本来の断片としての性能を見るためには発狂させるしかない。敵意を向けてくれて、そのうえで干渉値を限界まで引き上げてくれれば良かったんだけどね。なかなか引き上げてくれないから困ったよ」
「……そのために妾たちを殺さずに致命傷を与えるにとどめたのか? 主殿に共鳴させるために……」
「ま、そういうことさ。大方オデットの奴が変な入れ知恵でもしたんだろう。下手に発狂させないようにさ。おかげで面倒ったらなかった。アイツは心配性過ぎるんだよ」
「でも、なんのためにテストなんかに来たの! そんなことで、オデット様は、ユキトは……」
「そりゃ、もともとここでテストするはずだった奴がくたばったから私が来たんだけど」
「そんなこと聞いてない! テストの意味を聞いてるの!」
「え、いいの? 君にとってはこっちのほうが大事だと思うんだけどなあ……ま、中途半端に弱いとすぐに殺されちゃうでしょ? それに、殺せないでしょ? ……折角の、ボクたちのキリフダなんだからさ」
と、言って狼は笑った。
ニナは目の前のものが何を言っているのか理解できなかった。
「……けど、ろくでもないことだってことはよく分かった」
「ふふ、それでいいよ。真実は、得てして大衆には理解されないものだ。でもユキト君はボクたちの計画の要であり、必要不可欠なのさ。ちなみにテストはまあ及第点。ちゃんと断片化したときが楽しみだね」
「……計画ってなんなの」
「詳しくは言えないよ。言ったら君たちは発狂しちゃうからね。ユキト君のあの数値でも一発で溢れちゃうぐらいヤバい話だよ……でもまあ、ぼかせて言えば……」
ふう、と狼は一息つく。
「ユキト君にはこの世界の敵になってもらう」
「……?」
「敵……?」
ニナは思う。
もともとユキトは残滓だ。そういう意味で言えば、もともと人類の敵である。だが、彼女は世界の敵と言った。この世界の。つまり、人類以外ではなく、それ以外の生物にも……自分ら魔獣たちにも敵対するのではないか?
「妾たちがそんなことをさせると思うのか?」
「残念だけど、ユキト君自身がそうせざるを得ない。彼はそういう人間だし、ボクらはそんな彼を待っていた。そういう風にできているんだ、元から、最初から、彼が生まれるずっと前から。そのために、ボクらは3000年を耐えて来た」
「……オデット様も、そうだったの。その計画に加担していたの?」
ほう、と狼は目を細めた。
「鋭いね。そうだよ。オデットはここでひたすら、ホンモノを……『鍵』を待ち続けていた。閉鎖された世界でひたすら、ひたすら待ち続けていた。アイツも計画のために君たち一族を巻き込んだのさ。まあ、3000年も経つうちにかなーり人間味を増しちゃって甘くなってたけどね。情にほだされる? ってやつ?」
「……」
「まあ、それも今回で終わり。あの村の役目は終わった。あとの計画は全てユキト君に託すしか無いんだ」
「……私たちは、なんだったの……?」
自分たちの村が、自分たちの一族が、何か大きな計画の中で動かされていたという虚無感。
そして、オデットへの猜疑感が徐々に膨れ上がっていく。
彼女は自分たちに対して何を思っていたのか。ただ、利用しようとしていたのか。
もしや、自分が150年苦しみ続けたのも、計画のうちだったのか。
鬱々とした感情がニナの心を支配する。そんなニナをクモの少女は心配そうに見つめた。
「自分がなんなのかなんて、そんな哲学的な質問はボクたち獣にはふさわしくないよ。それよりもユキト君をどうにかしなくちゃね」
「……そうだ、ニナ嬢。今は……」
「……うん、分かってる。ユキトは今どうなってるの」
ニナはどうにか頭を切り替える。
「簡単に言えばシステムが暴走している。というより、意図的に暴走させられているのかな」
「誰に?」
「ユキト君本人に、いや、違うな。もう一人のユキト君にさ」
「……」
言われてみれば、ユキトから感じる雰囲気がどこか異なっている。というより、混ざり合って強弱を繰り返している。まるで、二つの人格がぶつかり合うように。
「ここで止めないとマズいかもね。もう一人のユキト君が表出したのは計画的には間違ってないんだろうけど、発狂状態……いや、乖離状態か。乖離状態が続くと本来の彼が戻って来れなくなる可能性がある。どうも『もう一人』は話が通じそうにない。そうなれば計画にも支障が出る」
彼女たちの計画が欲していたのは、あくまでユキト本人ということか。どんなに強くても今のもう一人のユキトは違うのだろう。
「分かった。どうすればいいの」
「簡単だ。ユキト君を無理やり起こせばいい。本人の意識を引きずり出して、もう一人を眠らせる。ただ、どうやるかが問題だよねー」
呼びかけるだけでは解決しないだろう。そんな適当なことで解決するなら苦労はしない。もっと、深いところまでユキトに干渉する必要がある。
「……共鳴が出来れば」
悔しそうにニナは呟く。
ユキトと同じように共鳴できれば、バイパスが繋がる。そうなればなんらかの解決策が浮かぶかもしれなかった。
しかし、反対にクモの少女は考え込むように額に手を当てた。
「……いや、可能かもしれん」
「え?」
「共鳴呼応。妾たちに付与されているスキルだ。これがあれば……共鳴の誘発が可能かもしれない」
「え、え、どういうこと……」
困惑するニナに対し、狼はふむ、と頷いた。
「共鳴って確か、ステータスを共有したり、身体の状態を分散させるスキルだよね。であれば、共鳴呼応なんて名前でも多分、ただ共鳴を受けるだけのスキルじゃないはずだよ」
「あ……そっか」
共鳴は確かに、ユキトと身体状態やステータスを共有するスキルである。だが、それはユキトから一方的にステータスが分け与えられるものではなく、ユキト自身もニナ、クモの二人のステータスから恩恵を受け取っている。であれば、共鳴呼応スキルの方にも受信機能だけでなく送信機能が備わっているのではないか。
「そうだ。それを利用する。共鳴を誘発できればバイパスがつながる。今の主殿の状態はいわばメンタルに不調が生じているということだ。健全な妾たちとメンタルの状態を共有すれば正気に戻せるかもしれん……」
「体の状態を分散、か。確かに精神的なダメージも分散できるはずだからね、ダメージが減ればもう一つの人格を押し込めるかもしれないね」
だが、問題が一つある。
「どうやって……共鳴を誘発するの?」
不安そうに眉を下げるニナに対しクモの少女は起き上がりながら笑った。傷はあらかた塞がったのだろう。
「どうした、ニナ嬢らしくもない。いつもはこんなときこそアイディアを出しているじゃないか。まだまだ子供だな」
「なっ……一番年上なの私なんだけど!」
「なら、何か策を出してくれ、『お姉さん』」
「うー、こんなときばっかり!」
だが、ニナも指示に従ってばかりではいられない。無理矢理に頭を回転させ、策を練る。
共鳴はあくまでユキト自身のスキルであり、彼自身がトリガーだ。で、あれば彼にどうにか共鳴してもらう必要がある。
ならば、やることは一つ。
「念話を使えば……どうにかなるかも。直接ユキトの心に入り込んで、共鳴スキルを使うように説得するの。無理矢理引っ張りだすんだよ、ユキトの心を」
念話は相手の心に直接呼びかけられる。さらに、夢を共有することもある。なら、意図的に相手の精神内に侵入することも可能なはずだ。まして、ニナのように高レベルなら。
「……」
しかし、狼の少女の表情は優れなかった。
「……何?」
「……いや、それしかないんだろうけどね。もともとそういう、人の動きに干渉するような使い方が出来るから神国では念話スキルは禁術指定されたんだし」
「え……」
「やる方も危険なんだよ。他者の精神に侵入するってことは自分の精神が完全にアウェーに立たされるってことだ。まして、今回は相手の精神状態が不安定すぎる。最悪君達の精神は消滅するぞ」
「……」
「……」
ニナとクモの少女は押し黙る。
だが、ふっ、と表情を緩めた。
「何? 心配してくれてるの?」
「あ……いや、そういうわけじゃ、ないんだけど、さ……」
「……嘘が下手なんだね」
ばつが悪そうに狼はぽりぽりと頬を掻く。
「あー、ディオナそっくりで調子でない。あぁ、そうだよ。心配してるのさ。仲間の置き土産だからね」
「……もしかして、なんだが」
クモの少女が首を傾げながら言った。
「その、ディオナ殿ではなくオデット殿だったか。彼女を殺した、などと言っていたが……お主、それも嘘なのではないか?」
「……」
狼は完全に押し黙った。
「えっ、え、でも」
ニナもまた、慌てふためく。もしそうなら、自分たちが彼女と戦った理由はなんだったのだ。
「たしか、敵意を持たせて発狂させてテストするのが目的だったのだろう。なら、嘘をついても不思議はあるまい。たまにはっきりしないところもあったし、仲間は殺さないのだろう。計画をともにしていた仲間ということなら殺すはずは無い。何らかの理由で敵対したとしてもな」
「……流石、アネモネのコピーだね。無駄に頭がいい……そうだよ、死んでないよ。仲間だからね、殺さない。ったく、めんどくさいなあ、もう……」
狼は諦めたようにため息をつく。対し、ニナの様子の変化は劇的だった。
「っ、うぇ、ふぇ」
ぼろ、と見開いた目から涙が零れる。ぐしぐし、と目をこするが、涙は止まらない。
「ぅぇ、よかった、よかったよぉ……」
「あー、あーほら、こうなるじゃん! ほんとすぐ泣くところもディオナそっくり!」
「えっく、ひぅ、ひぅう」
「に、ニナ嬢」
「ほら泣き止んでよ、もう。あー、何してんだろ、ボク。人から恨まれてなんぼなのにさー」
クモの少女はニナの背中をさすって慰め始めた。
やれやれ、と狼は懐から手巾を取り出し、ぼろぼろ泣き続けるニナに渡す。
「ぅぇ、ありがと……」
「んですぐに敵意を無くしちゃうところもそっくりか。三代揃って困ったもんだよ、ほんとに……」
「ずび」
「ちょっと鼻噛まないでくれるかなぁ!」
「騙した仕返し……」
「最悪だよ」
狼は手巾を回収し、べとべとになったそれを嫌そうな顔で見てから畳んだ。だが、悪い表情ではなかった。
「もしかしていい人?」
「いい人じゃない。地上じゃ餓狼、人類の敵さ。とにかく、念話で侵入するのは危険だ。やめたほうがいい、死ぬよ」
だが、ニナは赤くなった目をこすりながら笑った。
「死なないよ、死なないし、ユキトも助ける」
それに、とニナは続けた。
「死んでも助ける、なんて言ってるおばかに説教しなきゃいけないし」




