第三十四話 限界
最初に動いたのはクモちゃんだった。
腰の棘が一気に伸びる。
いや、アレは棘ではないのだ。クモの脚だ。
二対の脚は一本一本がクモちゃん自身の身長よりも遥かに長い。
「はぁっ!」
二対の脚が地面を蹴る。爆発的な勢いで飛び出したクモちゃんは餓狼の眼前へと迫った。
「ッ!」
餓狼が驚いたように澱みの爪を振り下ろす。
しかし、それがクモちゃんに当たることはない。人間には不可能な動きにしか見えなかったが、空中で横っ飛びに避けたのだ。一瞬細く光る何かが空中に見えた。
「糸か……?」
よく見るとクモちゃんの計8本の手足は時々不可思議な動きをしている。某アメコミ映画よろしく糸を射出し、それによって予測しにくい挙動で迫っているのだろう。
「たぁっ!」
クモちゃんに翻弄される餓狼に対し、ニナも後ろから迫る。
闇雲に撃っても魔法が当たらないことは分かっているのだろう。身体強化しつつ小刻みに軌道を変えながら接近し、後頭部を蹴り抜いた。
「いっ……たいなぁ! 子供とはいえ魔獣か! バカにならないね!」
餓狼は蹴られた後頭部を抑えつつ、ニナに回し蹴りを放つ。しかし、その蹴りをクモちゃんの糸が伸びて来て止めた。
「くっ」
その隙にニナが離脱する。それを見計らうように餓狼の周囲に毒液の球体が発生した。
「ヤバ」
バシャバシャバシャ! と餓狼に向かって毒液が殺到する。餓狼は澱みの爪で慌てて振り払うが、いくつかの球体が直撃し彼女の服を溶かした。
俺は驚いていた。
先程まであれだけ俺が共鳴しても一切攻撃を与えられなかったのに、彼女達は今のところ互角に戦えている。
そういえば、餓狼は先程自分にはステータスの影響が無いと言っていた。
つまり、現世と同じ純粋な力比べの状況。
ならばただの大学生の俺よりも、魔獣であるニナとクモちゃんの方がまともに戦えるのは道理だ。
だが、奴はSSSランク。対し彼女達のランクは比べようも無い。なのになぜ互角に戦えているのか。
理由として考えられることは一つ。
最大値ではないが、今もまだ共鳴の効果は続いている。
つまり、彼女達の体力は引き上がった状態にある。奴は攻撃力、防御力の影響は受けずとも、彼女達自身の上がったステータスまで無効化しているわけではない。
餓狼を相手にして肉体の強靭度や、攻撃の打撃力にステータス補正が効かないといっても、あくまで「餓狼に対して」の場合に限る。餓狼に関わらなければ、ステータス補正は機能し続ける。
分かりやすいところではステータス補正で増えた体力による素早さなんかがそうだろう。
彼女達の素早さまでも無効化することは出来ないのだ。
ステータス補正が無い餓狼に対し、俺のサポートやニナの身体強化が入った彼女達の方が速いのは必然。であれば、この状況を維持できれば勝機は見える。
「ランクが低いから中途半端な人化だと思ってたんだけどね! 随分と代償を払ったと見える!」
餓狼は2人の攻撃を紙一重で避け続けながら、俺に向かって叫んだ。
「さっきからなんのことだ! 代償って!」
「気付いてないのかい? 普通ならこんなに早く人化するはずが無いんだよ! 人化はSSSランクの特権だ! それも、通常の個体よりも遥かに強く、遥かに成長率も高くこの子たちは人化している! そんな現象を起こすために君が何を失ったのか! 彼女達を人化させるために、君が何を代償にしたのか!」
「何を言って……?」
そんなことを言われても、自分は何かを捨てたつもりなどない。
失ったものなど何も無い。
「本当に?」
「ユキト! 聞かないで! オデット様を……村の皆を殺した奴の言うことなんか!」
「ニナちゃんだっけ? 君には心当たりがあるんじゃないの?」
「そんなのない!」
ニナが吠え、至近距離から焰槍を爆散させた。餓狼は軽くかがんで焔をくぐりぬけ、ニナの頬を両手で挟んで、ニナの目を覗き込んだ。
「人間からの乖離」
「っ」
ぼそり、と目の前で呟かれた単語にニナは目を見開いた。
「ユキト君の心をずっと見てた君なら気付いてたんでしょ? あのスキルがなんなのか……」
「……」
ニナは押し黙り、俺の方をちらりと見て目を逸らした。
「……ニナ、教えてくれないか」
「……だめ、知らないほうが……」
「ニナ!」
ニナはしばらく逡巡するように目を泳がせていたが、諦めたように語り始めた。
「……戦うことに対する恐怖……と、人間を殺すことへの忌避感。それが……私が進化する時にユキトが失ったもの。そして……クモちゃんの時は、死ぬことに対する恐怖」
「な……」
そういえば、心当たりはあった。
以前、アンデットだらけの階層で休憩した時のこと。俺が人殺しに忌避感を抱いていない、と気づいた時に人間からの乖離のせいではないか、と当たりをつけていた。
今までに二回。ニナが人化したときと、ついさっき。あのアラートはクモちゃんが人化したことで発生したものだったのだ。彼女達が人化する時には必ず人間からの乖離が進行していた。
そして、確かに言われてみれば俺は戦いに対して恐怖したのはニナが進化する前の一戦だけ。先程から死ぬのが怖くなかったのも、その感情が欠落してしまったから。
まさか、普通よりも遥かに早く人化していたのにはそんな代償があったとは。
あれ?
でもニナは、あの時なぜ俺にそれを言わなかった?
「……」
しかし、餓狼はニナの目を訝しげに覗き込んでいた。
「人間を殺すことに対する忌避感……? それは……」
「はなしてっ!」
ニナは力ずくで餓狼を振り払う。それを見計らったようにクモちゃんが上から飛びかかり、2対の脚に毒液を纏わせて斬りつける。
「妾版、情緒纏綿だ!」
「甘い」
咄嗟に振り向いた餓狼によって脚の一撃自体は片腕で受けられてしまったものの、飛び散ったその毒は餓狼の服を煙を上げながら溶かしていく。紫色の液体が彼女を濡らし、どろりと糸を引きながら地面に垂れていくだけだ。
だが、その下の皮膚まで傷つけることは無い。
「うーん、アラクネの眷属にしては毒がまだまだだなー」
「さて、どうかな?」
「ん?」
クモちゃんが距離を取る。
追撃しようとした餓狼だったが、そこでガクン、と動きを止めた。
「なに……?」
餓狼が自分の身体を見下ろす。
そこには、糸を引く毒液があるだけ。
いいや。
糸を引いているのではなく、糸に毒液が絡みついている。
「っ、糸を混ぜていた……! 頭は回るか! 面白いね、君!」
「ニナ嬢っ!」
「もう詠唱終わってるよっ! これは我らを導く原初の焔、覇道の槍! 焰焦砲槍!」
動きを止めた餓狼に対し超威力の熱線が直撃し、餓狼の周囲が爆炎で包まれた。
「……」
流石の餓狼でも、ステータス補正の無い状態であの魔法を食らえばひとたまりも無いはずだ。同時に共鳴の効果がゆっくりと薄れ、消えた。効果時間がとうとう切れたのだ。
俺はゆっくりと立ち上がり、ニナ達の元に歩み寄る。
「ニナ、クモちゃん、凄いな……助かった」
「……ユキト」
「……主殿」
ニナとクモちゃんは微動だにしない。まだ、燃え盛り続ける餓狼の影を見つめ続けている。
「逃げ、て……」
そんな2人は、突然地面に倒れ込んだ。
「……え?」
あれだけの戦いだ、体力が尽きたのか。そういえば、ニナはあの魔法を使えば魔力切れを起こすと言っていた。だが、クモちゃんは?
慌てて駆け寄ると、ゆっくりと彼女達の身体から赤い水溜りが広がった。
「え……おい、ニナ! クモちゃん!」
「死ぬよ、その子達」
ぶわっ、と後ろから迫ってきた熱気によって首筋を灼かれる。
振り向くと、焔を吹き飛ばした餓狼がゆっくりとこちらに歩いて来ていた。
傷は、無い。
あれだけの攻撃で、無傷。
「ステータス補正なしで……今のを耐えるってのか……?」
「死なせたくなかったら早く治療してあげた方がいいよ」
「っ! 言われなくても!」
共鳴レベル1。それで2人の状態と俺の状態を共有し、傷を軽減するしか無い。
共鳴レベル1は触れていた方が効果が高い。咄嗟に虫の息のニナを背負い上げ、クモちゃんの方へと走る。
2人同時に共鳴で治療したことは無い。怪我を共有する俺に対する負荷も相当なものになるだろう。
だが、それでもいい。
例え、どんなに俺が苦しくたって彼女達を守ることが出来ればそれでいい。
だから――。
「だ、めだ、主殿」
クモちゃんに駆け寄ると、彼女は弱々しい声で俺を静止した。
「だめ、だよ、ユキト……」
背中のニナもぜえぜえと息をしながら俺を止めようとする。俺はニナをクモちゃんの横に寝かせ2人の身体に手を当てた。
「無理するな! いいから黙って共鳴されろ! 俺ならお前らの傷ぐらい受け止められる!」
彼女達の腹部には大きな裂傷があった。魔法の瞬間にカウンターの様にして斬られたのか、それとも、燃え盛る焔の中から攻撃して来たのか。
「ちが、うの……ゲホッ、ごほ」
ニナは必死に懇願するように俺を止めようとする。しかし、咳き込んだ彼女の口からは尋常じゃない量の血が吹き出した。もう猶予はない。
「共鳴レベル1!」
ずず、と彼女達の傷が塞がりはじめ、俺の腹に痛みが生じる。
だが、この程度ならなんとかなる。
「ユキト……! だめ、怪我が問題じゃないの……! 共鳴はレベル1でもっ、発狂しちゃう……!」
次の瞬間、脳みそが圧搾されたような感覚がして、俺は、
『神聖領域干渉限界:999999/999999』
『神聖領域干渉値が限界に達しました』
『コマンド起動。神罰施行:人格の論理削除を実行』
俺は。
俺はオレはおれはボクは私はあたしはあなたは君はおれはおれはおれはおれはおれあああああああああああああああああああああああああああああああajdiuakあああああdvsjああああああajcnkudioaemdvaaあああああああ繧?▲縺ィ蜃コ逡ェ縺。




