第三十三話 大事なもの
最大出力で共鳴を維持できるのは残り1分も無い。
そして、俺は現段階で相手に一撃も入れられていなかった。
焦りが募る。
紫電一閃を発動し、どうにか距離を詰めて一撃を入れようとしたが駄目だ。餓狼は掻き消えるようにして苦もなく躱されてしまう。
「うーん、飲み込みが悪いなー。そもそももしかして、出力をいじれてないんじゃない? ほら、こうだって。こーう」
また後ろに回り込まれる。
そして、背中を思い切り蹴られ、つんのめって転びそうになり、なんとか立て直す。
「くっそぉ!」
何度も何度も餓狼の高速移動を見ていて分かったのは、奴もまた澱みを噴出させて高速化しているということだ。だが、その移動の軌跡が複雑で多次元的だ。
俺の紫電一閃は一回の爆発で身体を飛ばしている。一方で、餓狼は何度も連続して小規模な爆発を繰り返させることで複雑かつ、無駄の無い動きを可能にしているのだ。
「ッ、そもそも違うスキルだろうが!」
仕組みが違う。俺のスキルは一回爆発するだけなのだ。真似することは出来ない。
「いいや、それは違う。そもそもスキルの形に落とし込んだだけで元は同じもの」
「同じもの……?」
「結局、武器に澱みを纏わせるのも澱みを爆発させるのも澱みを操作してるだけでしょ? 出来るはずだよ……だって、その武器は残滓でも澱みが扱えるように作ってあるんだからさ」
作ってある?
彼女はまるで、自分がこの武器の関係者であるかのように言った。これはオデットが俺のために作ったものであり、全く関係ないはずなのに。
「関係者だよ?」
「……ッ、心を読むんじゃねえよ!」
もう一度、澱みを爆発させて突っ込もうとする。そこで、ガクン、と身体から力が抜けた。
「あ」
最後の一分を使い切ってしまった。ステータスが半分以上削られたのが分かる。一応はまだ共鳴自体は続いているが、先程まででも歯が立たなかったことを考えると無意味に等しい。
『技能:人間からの乖離が進行しました』
そして、脳裏に警告が浮かぶ。
共鳴が終わってダメージが一気に来たのが何か影響したのか?
分からない、いまはそれどころではない。
「んー、これ以上共鳴を使わせるのは無理そうかな? ……お? おお。あぁ、これなら……なんとかなるか」
餓狼は口を歪ませて意味有りげに笑った。そして、俺の目の前に瞬く間に移動し回し蹴りを放った。
「っぐ、あぁっ!」
ただの蹴り。そのはずなのに異常な威力を持ったそれは俺を壁際まで吹き飛ばした。喉元から何かが迫り上がり、鉄臭い血の味を感じた。
「そおら、とどめ、差しちゃうよ」
チカチカする視界の中に黒い影が映る。振りかざされる澱みの爪。
俺は、今度こそ死を意識した。
今まで、何度も何度も感じてきた命の危機。
だが、ここまでの絶望感は今までに無かった。どうしようもなく、逃げられない。
なのに、なぜか今の状況を受け入れている自分がいるのはなぜだろう。
最初にこの迷宮に落ちて来た時、俺は死にたくなかった。
成したことも、守るべきものも無かったからだ。
だが、今は違う。
あの2人を守ったことで、俺のやるべきことは終わった。
だからか今は、死ぬのが全く怖くない。
このまま死んでも、何の後悔も無く——。
「なんて、思ってるんじゃないだろうな? 主殿?」
今まで聞いたことのない、鈴を鳴らすような透き通った声が聞こえた。同時に澱みの爪が何かに阻まれる。
俺の目の前で漂っているのは白い糸。極太のワイヤーのような太さのそれが、爪の軌道を逸らしたのだ。
「……は?」
思わず口が開いてしまう。さぞ間抜けな顔になっていることだろう。
なにせ、俺を庇うように前に出たのは知らない少女だったのだから。
「焰槍!」
さらに、俺の後ろから炎の槍が飛ぶ。狙われた餓狼はまた澱みを噴出させて避けた。
後ろからとん、と肩に手を置かれると、ジワジワと身体の傷が癒えはじめた。ニナだ。
「置いてかないでよ、クモちゃん」
「間に合いそうになかったのでな」
そして、知らない少女は俺の方を振り向いて笑った。
「助けに来たぞ、主殿」
「その呼び方……まさか、クモちゃん……なのか」
呆然としながら返事すると、彼女は複雑そうな表情になった。
「……流石にこの姿になるとクモちゃんは恥ずかしい」
クモちゃんはニナと同じく髪は白かった。だが、メッシュのように紫色の毛が所々に混ざっている。ニナと比べて髪は長く、腰まで達していた。前髪は綺麗に真っすぐ切りそろえられている。
そして、額からは二本の角が生えている。薄紫と白のグラデーションのそれはどこか怪しげな雰囲気を漂わせている。
服装は紫を基調にした着物。一体どこから出したのかは分からないが、鬼のような見た目の彼女によく似合う。
だが、最も目を引くのは着物の隙間を貫くようにして腰から生えている、二対4本の白い棘。一体なんなのかも分からないそれは、ギリギリと地面を踏みしめていた。
見た目はもはやクモではなく、鬼。鬼蜘蛛というべきか。アラクネレプリカのように下半身がクモになっているわけでもない。完全に別種として進化したのだろうか。その風貌には圧倒的強者の風格があった。
だが。
無理なのだ。
進化したとはいえ、所詮はEランク。人化しているとはいえ、それでも奴には敵わない。
一方で餓狼は、訝しげな目でクモちゃんを見ていた。
「……ふぅん、そこの子狐は人間の血を引いているから低ランクで人化したんだと考えてたんだけど……そういうわけでもなさそうだ。……人間からの乖離、ね。なるほどなるほど。そういうことか。一体何を代償にしたのかな……」
ぶつぶつと何かを呟いている餓狼。3対1にもどったこの状況でもその余裕そうな態度は変わらない。
「……駄目だ、逃げろ! こいつには絶対敵わない!」
俺は叫ぶと同時に咳き込んでしまう。思わず口を抑えた手を見るとべっとりと血が付いていた。この2人をこんな目には合わせられない。
「……敵わないかも、しれないな」
「そうだね、敵わないとは思うよ」
2人は、ゆっくりと敵に向き直った。
「でも、私たちは……ユキトの傍にいたいから」
「主殿がいない世界など考えられんからな!」
「どう、して……」
何でそんなに、俺を慕うんだ。
俺は2人と比べても一番弱くて、何も出来ないのに。
「強さとか、そういう問題じゃないんだよ」
「ただ……皆で一緒にいたいと思うのがそんなに不思議か?」
「……なんだ、それ……子供じゃないんだからさ……」
「普段散々年下扱いする癖に、こういう時だけそんなこと言うんだから……」
ふすくれるニナ。だが、それどころではない。
「いや、駄目だ! 逃げなきゃ……死ぬぞ」
「……だが、主殿も死のうとしたではないか」
「っ」
「主殿も……妾達を守って死のうとしたではないか!」
激昂するクモちゃん。そこにあるのは怒りだけではない。
「それは、俺にとって……お前らは……お前たちには、死んでほしくないから」
「それはこっちだって同じだよ、ユキト」
怒ったような、呆れたような、それでいて嬉しそうな顔でニナは俺を見下ろしていた。
「もしユキトが今の私たちみたいに逃げろって言われたら逃げた?」
「……いや」
しばし逡巡して答えると、ほらね、と言わんばかりにニナはため息をついた。
そう言われると返す言葉が無い。
「私たちにとってもユキトは大事な仲間なの。だから……失いたくないんだよ」
ニナの手に魔力がこもる。それを皮切りに、餓狼もまた澱みの爪を展開させた。
「あぁ、そうそう……」
さらに、ずず、とクモちゃんの腰の棘が蠢く。
「生き残ったら、妾の名前、きちんと考えてくれ」
もう2人のことは止められないらしい。
なら、もう俺が出来ることは一つしか無い。
彼女達を信じることだけだ。
「……死ぬなよ」
「「当然」」
そして、魔獣達の戦いが始まる。




