第三十二話 人の心、蜘蛛知らず
一気にステータスが跳ね上がる。
同時に脳をナイフでグチャグチャにかき回されるような激痛が走る。
「ッ、あ、がぁあああああああああ!」
だが、耐える。
ここで耐えなければ未来は無い。
あの2人の未来は無い。
俺の体力値は共鳴の影響で3000を越えている。しかし、それも5分フルに持つわけではない。最初にかけた共鳴からもう3分は経っている。つまり、ステータスが最大値を維持できるのは実質あと2分。
なら、それまで圧倒する。残りの時間はひたすら防戦に回ってでもコイツの足を止める。
「……もう一回ぐらい共鳴してもいいんだけど? まだ足りないよ?」
餓狼はヴン、と空気を震わせながらまた澱みの爪を纏う。
「うるせぇよ」
あと一回共鳴をすると、神聖領域干渉値が限界に達する。
以前、オデットが言っていた。
『領域干渉値が最大にならないように注意するのじゃ。残滓が発狂する原因はほとんどが領域干渉値が限界に達すること。人間の脳では限界に達した時のダメージに耐えられん。ほぼ間違いなく廃人になるぞ』
つまるところ、餓狼は俺を発狂させようとしたのだろう。
いや、だが、奴は俺と戦いたがっていた。発狂しては戦えない。何かがおかしい。
「……お前、何を狙っている……?」
「……さあ? でも……」
餓狼はちらり、とニナとクモちゃんが出て行った出口を見た。澱みの爪を軽く振るいながら彼女は俺に笑いかける。
「……まあ、分かってるよね?」
「……てめぇええええ!」
壱ノ型を発動させる。ズドン、と爆発的な勢いで短刀から澱みが吹き出した。いつもよりも明らかに出力が高い。圧縮し、細長い太刀のような形状を取らせる。
「紫電一閃!」
腰から澱みを噴出させ、一気に餓狼に向けて突っ込む。
普通の魔物なら避けられない速度の一撃。さっきまではただ吹き飛ぶだけだったが、今のステータスならば制御することが出来る。
「あー、あーあー。違うんだよね、そのスキルの使い方はさ」
だが、餓狼は避けた。目の前で掻き消えるように消えたのだ。地面を横滑りしながら振り向くと、餓狼がいた場所にうっすらと澱みが漂っているのが見えた。
「こう使うんだ」
声は、後ろからした。
咄嗟に振り向きざまに刀を振るう。しかし、澱みの爪に触れた瞬間弾かれた。
「っ」
「てい」
続けて薙ぎ払われた巨大な爪により、俺の身体は宙を舞った。いや、薙ぎ払われるというよりも、爪に触れた瞬間に『弾かれた』。
まるで、磁石の同じ極同士が反発しあうように。
「クッソ!」
地面に手をついて衝撃を殺し、すぐに飛び起きる。
「ハイもう一回」
「なっ」
だが、餓狼は既に俺の後ろにいる。
今度は下から掬い上げるような一撃。どうにか刀で防御するも、上空へ一気に弾き飛ばされる。
すぐに空中で体勢をねじって立て直し、奴の姿を捉えようとする。
いる。
奴は地面に立っていた。
奴は俺をじっと見上げていた。
まるで品定めするかのような目。口元は笑っていても、目は全く笑っていない。
最初からそうだった。
彼女は、最初から全く、これっぽっちも笑ってなんていなかった。
「ほら、よく見ていなよ……」
刹那、澱みの残滓を残しながら彼女の姿は掻き消える。
「後ろ」
そして、さっきと同じように俺の後ろに出現する。ただ、今俺がいるのは空中だ。
避けられない。
「がぁっ!」
一気に地上に叩き付けられる。呼吸が止まる。
3000を越えるステータスでも手も足も出ない。
「ステータスなんて関係ないんだよ。あんなもの、何の意味も無い。体力? 耐性? バカらしい。そんなもの、同じようにステータスを持っている相手にしか通用しない」
いつの間にか奴は俺の目の前に立っていた。やはり、ゆらゆらと彼女の尻尾の当たりからは澱みがうっすら漂っている。正確には腰からか。俺のスキルと同じだ。
だが、漂う澱みの軌跡は何かがおかしい。ゆらゆらと、断続的に消えている。だが、それを考えるよりも先に彼女の言葉が気になった。
「ステータスに、意味が無い……?」
「おかしいとは思わないのかな。なんなの、体力ってさ。筋力。柔軟性。スタミナ。俊敏さ。いろいろあるのに、なんで体力でひとまとめにされてるのかな? 耐性も謎だよね。おかしくない? 岩を叩き壊せるような一撃を食らって平気なのに身体の皮膚は別に硬くない。炎にも耐え、氷にも耐える。一年間必死にトレーニングした騎士よりも適当にダンジョンで敵を倒してた勇者とかいうガキの方がステータス上は強くなる。おかしいよね、そんなの」
はん、と彼女は鼻で笑った。
「この世界はくそったれなカミサマのルールの上に成り立っている。あー、なんだっけ。アイツがなんかに例えてたなー、んー、思い出せない。ろ……ろおぷれ? なんだっけな。まあ、カミサマの作った世界の中だけで通用する強さ。それがステータスだ。そしてボクにはステータスは無い。これがどういうことか分かるかな?」
ろおぷれ。ロープレ。RPG。
例えばだ。
あるゲームがあるとしよう。
そして、俺はあるゲームの中のプレイヤーキャラクターだとする。最強レベルの攻撃力、防御力があり、伝説の武器を持っている。ゲームの中では無敗の存在だとしよう。
だが、そのゲームの中にもしステータスが無い敵がいたらどうなるだろうか。
攻撃力は意味が無い。防御力も意味が無い。計算式が発生しないからだ。一切干渉できない。どうやっても勝つことは出来ないだろう。
「……俺はお前に勝てないってことだ。攻撃が通用しないんじゃ勝てない」
「うーん、惜しい惜しい。そうじゃない。攻撃が通用しないわけじゃないんだよ。だって、ボクからの攻撃は君に効いているだろう?」
確かにそれはそうだ。一切干渉できないのならこちらもダメージは受けない。
純粋な物理法則。それがある限り攻撃が効かないということはない。ナイフで刺せば死ぬような状態なのだ。
つまり、ステータスによる補正が無くなっている、ということか。
ステータスは通常の物理法則に加え、補正を与えるものだと考えればいい。
そして、目の前の彼女は物理法則のみで動いている。つまり、ステータスは数値化できず補正も発生しない。代わりに、相手の補正も無効化している。
「そう、正解。つまりは……まあ、君たちの世界の人間と一緒。エーテルも澱みもない世界と一緒なのさ。だから、ステータスなんかに頼ってる奴らには絶対に負けない。純粋な力比べだ、SSSランクの魔獣にただの人間が勝てるはずが無いってコト」
「SSSランクッ……!?」
「ステータスがなくなった時点で『元』SSSランクだけどね」
そして、彼女は自分のことを魔獣と言った。獣人ではなく魔獣。SSSランクの人化した魔獣である。
見た目通りの女子中学生の体力であれば勝ち目もあっただろう。しかし、そもそも人間じゃないとなれば話は全く異なる。
さらに、共鳴による補正は意味をなさず、少女が振るう澱みの爪についても何も分からない。
勝てるはずが無い。
「諦めるのは早いよん。手はまだあるはずだ。3000歳年上のお姉ちゃんがヒントをあげよう。……発狂しろ」
「あぁ……?」
「オデットから何を聞いてるかは知らないけど、発狂するのが君が生き残る唯一の道だ。しなきゃ死ぬ。ここで生き延びてもいずれ死ぬ」
コイツは何を言っているのか。
俺には分からなかった。発狂すれば廃人になる。それが救いだというのか。
いや、発狂させて無防備にさせるのが彼女の狙いなのか。
「……ッ、騙されるかよ!」
俺は刀を構え直し、澱みの刃を噴出させた。
「……やれやれ。どーもボクにはこういう仕事は向いてないなー……いいよ、全力でおいで。……無理矢理にでも発狂させてあげるからさ」
**
「クモちゃん……戻って……」
「しゃ、しゃあ……(う、うぅ)」
妾はニナ嬢を引きずってひたすら階段を一段ずつ昇っていた。
ニナ嬢は非常に危ない状態だった。
あの恐ろしい魔獣のステータスを鑑定した結果、神聖領域干渉値が急上昇し限界に近づいてしまったせいだ。
妾はそれが発狂に繋がると知っている。
発狂すれば廃人になる。無理をさせるわけにはいかなかった。
「止まって、クモちゃん……」
「しゃ、しゃう(だ、だめだ、ニナ嬢。主殿も……言ったではないか。妾達などいらぬと。もう、妾達は必要ない……逃げないと、ならんのだ)」
ショックだった。
心はずしりと重く、胸がつかえるようだった。妾はこの感情を知らなかった。
まだわずか10日程度の付き合いとはいえ、そこそこの信頼関係は築き上げたつもりだった。それなのに、主殿は妾達を頼ってくれなかった。
しかし、ニナ嬢は苦痛で額に玉汗が浮かばせながらも苦笑した。
「……あのときの、ユキトの顔、見た?」
「……しゃ?(顔?)」
妾は悲しくて、申し訳なくて、主殿の顔は見れなかった。
「……私はね……ユキトに死にかけてたところを助けられたの。でも、ユキトもそのとき死にかけてた。……あのときユキトは自分の命を犠牲にして助けてくれた。その時の顔と、一緒。悲しそうで、苦しそうで、でも、どこかほっとしたような、そんな顔。自分が死んでも私たちが助かればいいっていうそんな顔。……勝手だよね」
ニナ嬢の身体に力がこもる。ゆっくりと、ニナ嬢は階段に手をつけ、起き上がろうとした。
「私たちが必要ない? そんなことはないよ。私たちのこと、ユキトはちゃんと好きだよ。だから、あんなに必死になって逃がしたんだから……だから、クモちゃんのことをユキトは嫌いだったわけじゃないんだよ」
ニナ嬢はそう言って、妾の身体を優しく撫でた。
「しゃ……(あ、う)」
「……クモちゃん、大人っぽいから忘れてたけど、まだ産まれたばっかりだもんね。……悲しいよね、ショックだよね。あんなこと言われたら。でも、大丈夫だから。だから……泣かないで、ね?」
「しゃ、しゃうう、しゃあ……」
妾は、泣いていたのか。
この分からない感情の答えは、悲しみだったのか。
妾は産まれてすぐに兄弟に食われそうになった。
親にも食われそうになった。
必死で逃げて、どうにか生き残った時にもこんな気持ちは無かった。
「しゃ、しゃあ、しゃあああ(妾は、妾は、主殿に、嫌われたくなかった! 捨てられたくなかった! 妾は、わらわはぁ)」
感情が奔流のように溢れる。
親からも、兄弟からも殺されかけた妾にとって、主殿は唯一の居場所だった。
主殿は妾に優しくしてくれた。
主殿は妾と仲良くしてくれた。
主殿は妾を認めてくれた。
ニナ嬢は妾のことを撫で続けていた。温かい手だった。
しばらくして、妾はようやく落ち着いた。
「……しゃ(……戻らないとならないな)」
「うん、このままじゃ、ユキト……死んじゃうもの。守らなきゃね、私たちで」
「しゃ(うむ。守らないとな。……ニナ嬢)」
「ん? 何?」
「しゃ、しゃ?(ニナ嬢は主殿のこと、好きか?)」
ニナ嬢は少し驚いたように妾を見たが、すぐににっこり笑った。
「うん、大好き。もちろんクモちゃんのことも」
「しゃ……(そうか……)」
はあ、とため息をつく。やれやれ。このお人よしたちは。
あぁ、この気持ちが、それなのか。ようやく妾は理解した。
大事なものができていたのだ、いつの間にか妾にも。
「しゃ(2人のことは、妾が守ろう)」
言葉にした瞬間、妾の身体が光を放ちはじめた。




