第二十五話 苛狐
「私は……私は、150年、人間が死ぬのを眺めてきた。断片が落ちてくるのが楽しみだった」
最初、俺はその言葉を理解できなかった。頭の中には疑問符が浮かぶだけだったが、しばらくしてそれがあの森に落ちて来る断片のことを指しているのだと気づいた。
「私はね、お母さんとお父さん、いないんだ」
そういえば、俺はニナの家族というものを見たことが無かった。オデットと一緒に暮らしていたが、オデットのことも様付けだった。
「私が10歳の時かな。……そうだね、ちょうどこの姿が10歳ぐらいだから、まあこのぐらいのとき。2人とも……この迷宮の105階層で死んだ」
ニナの表情は暗い。自分を蔑んでいるようにも見えた。
10歳の時に死んだ、ということは140年もの間、家族無しで生きて来たのか。
「2人が死んだ理由は……ううん、2人が誰も突破できなかった105階層に行った理由は、村の人たちをこの迷宮から解放するためだったみたい。外の世界に出すってことね」
確かにあの村人達は3000年もの間あの小さな村で生き続けている。妖狐族が異常に長命なこともあるし、彼らの感じている退屈さや閉塞感は想像もできない。あんなにのんきなのが不思議なくらいだ。
「でも……失敗して死んだ?」
「そう。105階層……『龍種の座』は今まで誰も突破できてない。逃げ帰って来ることすら難しいの。村でも2人は強い方だったらしいけど……駄目だった。それから私はオデット様に引き取られた……オデット様は私のお母さんのお母さんだからね」
メチャクチャ驚いた。
正直に言おう。俺はオデットを3000年間結婚も出来ない駄目狐だと思っていた。
「えっ……あの人結婚してたの……というかニナが孫?」
「うん。気づかなかった? 人間になってからは少し顔も似てるんだけど」
「言われて……見れば……? うーん?」
まじまじとニナの顔を見つめてみるが、確かに面影ぐらいはあるかもしれない。2人の髪の見た目が違うこともあり、言われなければ気づかない。ニナは白髪でふわふわ、オデットは金髪で直毛と、本当に全く違う。
「まあ……とにかく、両親が死んだ話はこれで終わり。本題はここから。私はね、生まれた時から……なんていうのかな、不快感に襲われ続けてた」
どういうことだろう。よく分からない。そんな俺の表情に気づいたのか、彼女は補足して説明を始めた。
「原因は分からないんだけどね、身体の奥底に不快なものが溜まっていく感じ。溜まるとイライラするしモヤモヤするの。それが無限に増殖していく感じかな」
「それは……大丈夫なのか? 今は?」
「大丈夫じゃないね。今は平気。ユキトがいるから……」
どういうことだ? さっきから疑問ばかり浮かんでくる。
俺がいてもなんにもならないだろうに。
「俺が?」
「そう。特定の条件の元なら不快感は緩和されるの。それが……私のお父さんのそばにいるか、断片のそばにいること」
不明の断片のそばということは、俺が残滓だから不快感が減衰するということだろうか?
「違うの。残滓のそばだとほとんど不快感は変わらない……だから、ユキトはちょっと特別なんだと思う。普通の残滓じゃないんだよ。ユキトのそばにいると不快感が根こそぎ持っていかれるもの」
「そうなのか……?」
「まあ……とにかくね、私もお父さんが死んでから不快感は溜まる一方だった。苦しかった。……でも、あそこは断片の墓場。断片が落ちて来てきたときだけは不快感が解消された。その時間だけが私の救いだった。だから私は毎日森で断片が落ちてくるのを待ち続けた」
それは、どんな気持ちなのだろう。断片なんて俺がいた時には一度も落ちて来たことは無い。何ヶ月も何年も、いつ来るかも分からない断片を増え続ける不快感に耐えながら待つのはどんな気持ちなのだろう。
「もちろん、落とされる断片って基本的には死にかけだから……救いの時間はすぐに終わる。そして、断片が死んだ瞬間今までの不快感はより強くなって戻ってくる。天国と地獄を繰り返す感じだね」
「じゃあ、意味ないじゃないか……」
「うん、無いの。むしろ悪化するんだから。それでも……私は苦しみから解放されたかった。ひとときでも良いから、一瞬でも良いから助けて欲しかった……そうじゃないと、140年も耐えられなかった。だから、私は人が死ぬのを黙って近くで見続けた。それが私の救いだったから……」
俺はもう何も言えなかった。
ニナは自嘲するようにうっすら笑う。
「多分、とっくの昔に壊れちゃってたんだろうね、私。だからそんな異質な環境でも耐えられたんだ。でも……140年目にはもう何も考えられなくなってた。ただルーチンワークみたいに森に行き続けて、村人達と中身の無い受け答えをして、……ずっと、死にたいって思ってた。でもね、自殺も出来ないんだ。私は迷宮に行くことを禁じられてた。レベル上げができなかったから……ずっと子狐のままだったから、自殺する力も無かった」
ずっとレベル1だったのは一番年下だったために甘やかされていたからではなかったのか。だが、それならどうしてレベル上げを禁じられていたのだろう。
「さあ……それは分からない。何か理由があったのかもしれないけど。とにかく私は自殺も出来なくて、ずっと、ずっと増える不快感に襲われ続けてた。……ユキトが来るまでね」
「俺が……」
「だから、今は平気なの。ユキトといると苦しくないし、楽しいから」
だけどね、とニナは続ける。
「私は……私を置いていった両親が許せない。2人を助けてくれなかったオデット様が許せない。私のレベル上げをさせてくれなかった村人達が許せない。私、私はユキトみたいに優しくないから。ユキトは人間のこと憎んでないんでしょ? でも、私は憎んでしまう……あんなに苦しいのに助けてくれなかった人たちを憎んでしまう。それに、それにね」
いつのまにかニナはぼろぼろと大粒の涙を零していた。嗚咽を漏らしながら、必死で言葉を紡ぐ。まるで自分を糾弾するかのように。
「それにね、一番……一番申し訳ないのは……私、ユキトのこと好きだけど、ずっと一緒にいたいけど、それも不快感が無くなるからなだけなのかもしれない。ユキトに死んで欲しくないのも自分のためなんだと思う……私は、最低だよ。軽蔑されて当然だよ。だから……話せなかった、隠したかった……ごめんね、ごめんなさい」
それきり、ニナは押し黙る。俯いて、わずかに震えていた。
「どうして……」
俺は、ゆっくりと口を開いた。
「どうして、もっと早く言わなかった」
「……ごめんなさい」
「ごめんで済む問題じゃない」
ニナがびくり、と震えた。ぽたぽたと硬く握った小さな拳に水滴が落ちた。
「ごめん……ごめんなさい、それしか、私には……本当に……ユキトには……」
「違う、そうじゃない……一番辛いのはお前だろ。そんな状況でどうして何も言ってくれなかった。そうすれば一人で苦しみ続ける必要もなかったかもしれないのに」
「え?」
驚いたように顔を上げるニナ。俺は、そんな彼女の頭を撫でた。
「あのさ、俺は別に、ニナが俺を利用してる云々はどうでもいいんだよ。俺がニナの苦しみを和らげるのに役立てるならそれだけで俺は嬉しい。むしろ一番申し訳なく思ってくれてるのが嬉しかったぐらいだ」
「あ、え……?」
ニナは戸惑ったような表情でボロボロ涙を落とし続ける。俺はニナの頭を抱き寄せるようにしてから、ぽんぽんと彼女の背中を子供をあやすように優しく叩いた。
「だからさ……気にしなくて良いんだよ、俺に対して云々はさ。俺のそばにいて楽ならそばにいろ。俺が嫌いになったらまあ、そのときはそのときだ」
「あう……うぅ……」
しかし、ニナは泣き止んでくれない。むしろさらに激しく嗚咽しだしてしまう。
「あー、えーと、まあ……クモちゃん? タスケテ」
「しゃ(主殿もたいがいだな……)」
そう言うとクモちゃんはそっぽを向いて糸玉を作って遊びだしてしまう。
困った。どうしようか。
「あー、とにかく、俺がお前を軽蔑するとかはない。むしろよく耐えたと思う。そんな状況なら俺だってどんな手を使ってでも逃げようとする。だから……」
かけるべき言葉が見つからなくなってしまった。
俺は頭を掻いて、ぐすぐすと鼻をすすっているニナの頬を両手で挟んで目を覗き込んで言った。
「……ニナ、頑張ったな、つらかったな」
ニナの目が見開き、またぼろぼろと涙があふれる。
まるで今まで蓄積したいろいろな何かが溢れ出るかのように。
「う、ふぇ、うっ、ふぇえ、つらかった、つらかったよぅ、うぇ、うぅ」
まあ、その後はわんわん号泣するニナを宥めることに一日を費やすことになり、結局その日は探索は無しになった。
**
ニナは泣き疲れて眠ってしまった。
俺は彼女の頭を撫でながらベッドに座っている。
「しゅ(ふむ、寝たか)」
「クモちゃん」
クモちゃんも糸玉作りに飽きたのか、ベッドによじ上ってくる。クモちゃんを近くでまじまじと見ると白と紫の毛で覆われていて毛玉のようにも見える。
「しゅしゃ(しかし、随分と泣いたな。まあ、これで主殿とニナ嬢の関係性がこじれることはないだろう。良かったよ)」
そうだ。そういえば、クモちゃんが喧嘩を止めてくれなければ俺は今もニナの過去を知ることは無かったのだ。
「ありがとうな、クモちゃん」
クモちゃんは前足をたいしたことではないというように軽く振った。
「しゅ(何、妾などまだまだ赤子の身。大して訳にもたたん。この程度でも助けになれてよかったよ)」
「そういやそうだったな……」
クモちゃんは確かに言われてみればまだまだ子供なのだ。だというのに俺たちよりもかなり大人らしい。一体どこからその知識などは来ているのだろう。
「しゃ?(あぁ、それはアラクネを食ったからだろう。奴の知識や経験が断片的にだが伝わって来ている。……それで、ニナ嬢のことだが)」
「ん? あぁ、今日はまあ、寝かせといてやろう」
「しゃしゃ……(そうじゃなくてな。ニナ嬢の不快感だが……多分、原因は澱みだろう)」
「澱み……?」
しかし、一般人には澱みは取り込めない。俺の短刀のように魔力に変換して受け渡したものなら影響も出るだろうが、空気中のものは影響は無いはずだ。
それに、ステータスの性質は改ざんや隠蔽が出来ない。ニナの性質はただの異端の民。決して残滓ではない。
「しゃしゃ(だがな、そうとしか考えられんよ。不快感の症状は残滓に生じるエーテルとの競合反応に似ている。モヤモヤ、イライラ。つまり好戦的になっているということではないか?)」
「なんだ、競合反応って。俺はそんなの感じないけど」
「しゃしゃ(エーテルと澱みは相容れないからな。体内で反発しあう。競合反応がないということは……主殿はエーテルから魔力を精製できないのだろう? なら、そもそもエーテルを主殿は取り込んでいないのかもしれないな。そんなことがあるのかは分からないが……それらしいスキルはないか?)」
……ある。
神聖の拒絶。
多分、これの効果だ。 このスキルが魔法が使えなくなっている代わりに残滓のデメリットを打ち消していたのか。まあ残滓の性質にメリットなんて無いが。
「しゃしゃ(それに、断片や主殿が近くに来ると不快感が消えるのも、断片や主殿の澱みの吸収力が異常に高いからに他ならない。代わりに断片が死ねば体内の澱みが放出されて、澱みがその断片が持っていた分多く返ってくるというわけだ。残滓の場合は澱みを吸い上げる性質はそれほどじゃない。死ねば無条件に澱みが移ってくるわけだ。ニナ嬢は澱みを魔力や生命力に生成はできないからな、一体何人分の澱みを溜め込んでいたのだろうな)」
そして、クモちゃんは俺を指差す。指は無いが。
「しゃっ(今は主殿の中に全部移っているわけだがな、はは)」
ぞっとするようなことを言ってくれる。150年分の断片と残滓の澱みが全て俺の中にあるのか。特に何も感じないが、いずれ何か引き起こしそうではある。
「なんか怖いな、それ。だけど、なんでニナは澱みを吸収できるんだ?」
「しゃ(ニナ嬢の父上だ)」
「お義父さん……?」
「しゃ?(今何か発音が)」
「なんでもない。それで、父親がどうした?」
「しゃしゃ(うむ。父上のそばだと不快感が消えていたのだろう? となれば考えられることは一つ。ニナ嬢の父上は断片なのだろう)」
「……え」
「しゃしゃ(それも、人間のな。主殿はただの人間だから気づかないかもしれんが、ニナ嬢は人化していることを抜きにしても人臭い。妖狐と人の混血児なのだろう。本人は気づいていないかもしれないが、な)」
そうなると、考えられる可能性は一つ。
森に落ちて来た断片とオデットの娘がつがいになり、ニナを産んだ。そして、断片の娘であるニナもまた……。
「しゃしゃしゃ(そうだ。おそらく潜在的に残滓の素質は備えていると考えられる。先天的残滓、と呼ばれるもののようだ。これに関してはアラクネもよく知らなかったようでイマイチ情報は無いがな、すまないな、主殿)」
「いや、十分だ。……ニナには伝えるべきなのかな」
「しゃしゃ(迷う必要は無い。起きとるぞ、ニナ嬢)」
「は?」
クモちゃんはぶんぶんと楽しそうに前足を振った。
「しゃしゃ!(妾、隠し事をしてこじれる展開が一番嫌いだからな!)」
これだから。
確かにそうなのだがもう少し気を使って欲しい。
「ていうか気づいてんなら言えよ!」
「しゃしゃしゃ(だって起きてるって気づいたら主殿も話しづらいだろう)」
全く持ってその通りですが。
「……」
「……えーと、ニナ?」
ニナはしばらく寝たフリをしようとしていたらしいが、尻尾が若干動いていた。なんだろう、すごく掴んでみたい。
「……てい」
「ひゃんっ!?」
掴んでみた。ニナは飛び起きて俺から尻尾を奪い返す。
「ユキト! 尻尾はだめ!」
「駄目なのか、やっぱり。犬とかも触ると怒るもんな」
「犬と一緒にしないでよ。とにかくもう触らないでね!」
「しゃ(ほら、起きてただろう?)」
「あ」
そこで、しまった、とニナは表情を硬くした。
ニナはしばらく逡巡していた。尻尾はお腹に抱えたままだ。それにしても手触りの良い尻尾だった。今度からこっそり触ろう。
「なんかユキトが変なことを考えてる気がするけど……まあ、話は聞いてた。クモちゃんがしっかり念話飛ばしてくるんだもん」
「そ、そうか……」
クモちゃん、恐ろしい子。
「……なんていうか、ね。先天的残滓っていうのは聞いたこと無かったけど、納得はいった。それに、ほんとは迷宮に入る前にオデット様がこの件について話してくれるはずだったの。何かが来てうやむやになっちゃったけどね。だけど……迷宮に入れば、何かが分かるはずだ……って最後に言ってた」
「そうなのか……」
そういえば最後にオデットがそんなことを言っていた気がする。
「うん、だから……進んでみるよ。それに……」
「うん?」
「私、ユキトのこと、大好きだから力になりたいもの。澱みとか、関係なく大好きだって分かったから」
ニナは朗らかに笑って言った。その表情に今までの暗いものは一切感じられなかった。
少し照れてしまい、俺はぽりぽりと頬をかきながら顔をそらしてしまう。俺はロリコンではないし、その好意は恋愛感情ではないと分かってはいるのだが。
「……なら、良かったよ」
「しゃ〜?(主殿、照れてる〜?)」
「女子中学生みたいな煽り方すんな! 照れてるよ! ……まあ、もう一つ進む理由が出来たな。頑張ろう」
「うん!」
徐々に謎は解けていく。
しかし、俺が抱える二つのスキルである神聖の拒絶と人間からの乖離。わずかながら効果が分かりはじめたこれらがどうして俺に備わっているのか、その正体がなんなのかは未だに闇に包まれているのであった。
長くなって更新が遅れました……




