世界への告白
第14話 世界への告白
終末には、音がない。
巨大な爆発も。
空を覆う炎も。
大地を裂く轟音も。
今は、まだどこにもない。
街は動いている。
列車は走っている。
子どもたちは学校へ向かい。
人々は今日の仕事を始める。
青い空の向こうから。
一つの死んだ星が近づいていることを除けば。
世界は、いつもと変わらない朝を迎えていた。
◇
2251年6月5日。
地球標準時。
午前六時。
国際連合地球圏評議会本部。
中央会議棟の地下に設けられた緊急評議会室には、地球圏各地域の代表が集められていた。
地球各大陸。
月自治圏。
火星共同体。
軌道居住区連盟。
木星圏開発機構。
海洋都市連合。
その数、百九十二代表。
壁面には、世界中で急増するノクス関連情報が映し出されていた。
共同観測参加者 28,400名
確認済み観測施設 1,973か所
一般市民による関連投稿 47億件
観測データ全面公開要求署名 19億4,000万人
もう、噂ではなかった。
一人の大学院生から始まった問いは、世界規模の観測計画へ変わっていた。
ノクスの存在は、ほぼ確定している。
公表されていないのは。
正確な軌道。
質量。
最接近距離。
そして。
七十年後に何が起きるのか。
その四つだけだった。
◇
「採決を始めます」
国連事務総長エレナ・ヴァルガスが告げた。
議題は一つ。
孤立中性子星ノクスおよびPROJECT ARKの存在を、全人類へ公表するか
最初に発言したのは、北米圏代表だった。
「公表に反対します」
会議室がざわめく。
「ノクスの存在を否定することはできません。しかし、方舟計画まで明らかにすれば、社会秩序は崩壊する」
「どの程度の崩壊を想定していますか」
エレナが尋ねる。
「金融市場の停止。物流網の混乱。宇宙施設への襲撃。国家間の武力衝突。選考を巡る暴動」
「黙っていれば防げると?」
「少なくとも、準備期間を確保できます」
欧州圏代表が反論する。
「すでに準備期間は失われています。今から否定すれば、数日後には独立観測によって正確な軌道が割り出される」
「その時に公表すればいい」
「政府が追い詰められて認めた形になる」
「それの何が問題だ」
「信頼です」
欧州圏代表は机を叩いた。
「この危機を乗り越えるには、七十年にわたる協力が必要です。最初の一歩が嘘なら、誰が政府を信じるのですか」
◇
火星共同体代表が立つ。
「火星は公表を支持します」
火星では、すでにガイア・ドームをめぐる疑惑が広がっている。
閉鎖生態系。
地下居住区。
突然増えた食料備蓄。
方舟へ転用可能な研究。
「火星市民は、自分たちが実験対象にされていたのではないかと疑っています」
「実際には違う」
「真実を説明しなければ、違わないのと同じです」
月自治圏代表も続いた。
「月面造船所は隠し切れません」
「巨大な構造物です」
「民間輸送船からも撮影されている」
「建造目的を偽り続けることは、もはや不可能です」
◇
アフリカ連合圏代表が、低い声で言った。
「公表するなら、一つ条件があります」
「何でしょう」
「方舟計画だけを希望として発表しないこと」
会議室が静かになる。
「方舟へ乗れるのは、全人口の一%未満です」
「公表された瞬間から」
「世界の大多数は、自分たちが捨てられる側だと理解する」
「その人々に」
「船を造っていますから安心してください、と言うのですか」
誰も答えられない。
「方舟と同時に」
代表は続ける。
「地球残留計画」
「地下都市計画」
「小天体迎撃網」
「食料保存施設」
「知識保管庫」
「すべてを公表するべきです」
「乗れない者にも、生き残るための計画があると示さなければならない」
◇
アジア太平洋圏代表が尋ねる。
「乗船者選考基準も公表しますか」
「まだ決まっていません」
エレナが答える。
「だから問題なのです」
「方舟を公表しながら、誰が乗るかは白紙」
「世界は納得しません」
「完成した基準を発表するまで待つべきです」
南米圏代表が首を振る。
「完成するまで何年かかる」
「数年かもしれない」
「その間、秘密にするのか」
「では、不完全なまま公表するのか」
「不完全であることも真実です」
全員が正しい。
全員の主張に理由がある。
だが。
時間だけは、誰の結論も待ってくれなかった。
◇
同時刻。
月面ルナ・アークヤード。
レア・モーガンは、宿泊区画に届いた暗号記録を開いていた。
送信者は不明。
件名もない。
映像ファイルが一つ。
作成日時。
第一次オデュッセウス点火実験当日。
映像を再生する。
研究所の監視カメラ。
画質は荒い。
警報灯によって、通路全体が赤く染まっていた。
『燃料投棄弁、応答なし』
『反応室圧力上昇』
『コイル連鎖クエンチ』
『全員退避』
画面奥から、一人の技術者が走ってくる。
マリク・オセイ。
防護服。
緊急工具。
手には、手動弁を開くための操作キー。
『マリク、戻れ!』
アミナ・ハダッドの声。
『自動系統が復旧するかもしれない!』
『待てません』
『炉を捨てろ!』
『炉ではありません』
マリクは走りながら答える。
『研究所に三百人います』
『遮蔽区画へ避難している!』
『燃料系統が破裂すれば、遮蔽だけでは足りません』
『遠隔で方法を探す!』
『時間がありません』
通路の先。
放射線警告。
立入禁止。
マリクが隔壁の前で立ち止まる。
『マリク』
アミナの声が震えている。
『扉を開けないで』
彼はカメラへ顔を向けた。
ヘルメット越しに。
ほんの少しだけ笑った。
『アミナ』
『次は』
『人が行かなくても止められるようにしてください』
扉が閉まる。
映像が切り替わる。
燃料投棄区画。
マリクが手動弁へ操作キーを差し込む。
高温。
放射線。
装置の一部が破裂。
画面が激しく揺れる。
彼は倒れる。
それでも立ち上がる。
もう一度。
弁へ手を伸ばす。
『手動投棄弁、開放』
『燃料圧低下』
『反応室出力、下降』
『施設崩壊危険度、低下』
管制室から、誰かの泣き声が聞こえる。
『マリク、戻って!』
返事はない。
彼は弁の前に座り込んだまま。
動かなかった。
◇
映像が終わる。
レアは、しばらく画面を閉じられなかった。
方舟計画。
人類の未来を救う計画。
その最初の一歩で。
すでに一人が亡くなっている。
そして。
世界には、冷却設備事故とだけ発表された。
「誰が送ったの」
問いかけても、答えはない。
ファイル情報を解析する。
複数の中継点。
匿名化。
送信元を追うことはできない。
ただ。
最後に短い文章が埋め込まれていた。
⸻
未来を救う計画が、過去を隠したままでいいのか。
⸻
レアは目を閉じた。
公開すれば。
方舟計画への批判はさらに強まる。
秘密の人体実験。
犠牲の隠蔽。
政府の嘘。
そう受け取られるかもしれない。
だが。
公開しなければ。
自分もまた、隠蔽する側へ立つ。
◇
午前七時三十分。
エレナから通信が入った。
『評議会は公表へ傾いています』
「傾いているだけ?」
『最終採決まで一時間』
「世界の観測網は?」
『軌道確定まで二十時間を切りました』
「間に合いませんね」
『ええ』
レアは、記録映像のことを伝えるべきか迷った。
『何かありましたか』
エレナが気づく。
「マリク・オセイの事故映像が届きました」
通信の向こうで。
エレナの表情が固まった。
『どこから』
「不明です」
『内容は』
「彼が燃料投棄区画へ入るところから、弁を開けるまで」
『外部へ送信しましたか』
「まだです」
『送らないでください』
即答だった。
「隠すんですか」
『違います』
「ではなぜ」
『遺族への連絡が先です』
レアは黙った。
『妻と息子は』
エレナが続ける。
『彼がどのように亡くなったのか、すべてを知らされていません』
「事故だったとだけ?」
『はい』
「政府が嘘をついた」
『機密保持のためです』
「理由があれば、嘘ではなくなる?」
『なりません』
エレナは否定しなかった。
『だからこそ』
『世界より先に、家族へ真実を伝えなければならない』
◇
地球。
ガーナ沿岸都市アクラ。
マリクの妻。
アデウォア・オセイは、学校へ向かう息子の制服を整えていた。
息子の名は、クワメ。
十二歳。
父を失った時は十歳だった。
「帰り、遅くなる?」
アデウォアが聞く。
「天文クラブがあるから」
「最近、あの暗い星の話ばかりね」
「ノクス?」
「そう」
「父さんが月でやってた仕事と関係あるのかな」
アデウォアの手が止まる。
「どうしてそう思うの」
「月で大きい船を造ってるって」
「父さん、宇宙船のエンジンを研究してたんでしょ」
「……そうね」
「聞いたことある?」
「何も」
それは。
嘘ではなかった。
夫の仕事の詳細は、ほとんど知らされていない。
事故原因も。
最後の瞬間も。
国連から届いた通知は、短かった。
冷却設備の重大事故により死亡
英雄とも。
犠牲者とも書かれていない。
ただ。
職務中の事故。
それだけだった。
◇
玄関の呼び出し音。
扉の外にいたのは。
黒い礼装を着た国連職員二名。
そして。
アミナ・ハダッド。
彼女の姿を見た瞬間。
アデウォアは、何かが起きたと理解した。
「マリクのことで?」
アミナは頷いた。
「これまでお伝えできなかったことがあります」
クワメが、母親の隣へ立つ。
「父さんのこと?」
「はい」
アミナは膝を曲げ。
少年と同じ目線になった。
「あなたのお父さんは」
言葉が詰まる。
何度も頭の中で練習した。
それでも。
本人の家族を前にすると、声が出ない。
「父さんは、何をしたんですか」
「私たちを救いました」
アミナは答えた。
「研究所にいた全員を」
◇
居間で。
記録映像が再生された。
アデウォアは、口元を押さえたまま見ていた。
クワメは。
画面の父から、一度も目をそらさなかった。
『次は、人が行かなくても止められるようにしてください』
最後の言葉。
扉が閉じる。
弁が開く。
父親が動かなくなる。
映像が終わっても。
誰も話せなかった。
時計の音だけが響いている。
やがて。
クワメが尋ねた。
「父さんは」
「自分が死ぬって分かってたの?」
アミナは。
嘘をつかなかった。
「はい」
「逃げられなかった?」
「逃げることはできました」
「じゃあ、なんで」
「逃げれば、たくさんの人が亡くなる可能性がありました」
「だから父さんが死んだの?」
「……はい」
少年は下を向いた。
拳を握る。
泣いているのか。
怒っているのか。
アミナには分からない。
「なんで、今まで教えてくれなかったの」
それは、アデウォアの言葉だった。
声は小さい。
だが。
抑えきれない怒りがあった。
「二年間」
「私は、夫が機械の故障に巻き込まれたと思っていた」
「息子にも、そう説明した」
「本当は違った」
「はい」
「あなたたちは知っていた」
「はい」
「世界に知られたくなかったから?」
「はい」
アミナは、すべて認めた。
「ごめんなさい」
アデウォアが立ち上がる。
「謝れば、二年が戻るんですか」
「戻りません」
「夫の最後の言葉を」
「私は今日まで知らなかった」
「はい」
「私たちより、計画の秘密が大切だった?」
アミナは答えられなかった。
答えられないことが。
答えそのものだった。
◇
クワメが、映像端末へ手を伸ばす。
「これ、世界に見せるの?」
アミナが答える。
「あなたたちが望まなければ、公開しません」
「父さんの名前も?」
「公表しません」
「でも」
少年は画面を見た。
「父さんがやったこと、誰も知らないんでしょ」
「はい」
「冷却設備の事故って思われてる」
「はい」
「それは」
クワメの声が震える。
「父さんが、いなかったことみたいだ」
アデウォアが息子を見る。
「クワメ」
「父さんは怖かったと思う」
「でも、みんなを助けた」
「それを隠したら」
「父さんが最後にしたことまで、なくなる」
少年は涙を拭いた。
「見せて」
「世界に?」
「うん」
「本当にいいの?」
「でも」
クワメはアミナを見た。
「父さんを、計画の宣伝に使わないで」
「約束します」
「英雄って言って終わらせないで」
十二歳の少年の言葉に。
大人たちは何も言えなかった。
「父さんが死ななくてもよかった機械を、最初から造るべきだったって」
「ちゃんと言って」
「はい」
「父さんが死んだから成功したんじゃない」
「うん」
アミナの目から涙が落ちる。
「私たちが失敗したから」
「お父さんを失った」
◇
午前九時。
緊急評議会。
最終採決。
公表賛成 157
公表反対 21
棄権 14
決定。
孤立中性子星ノクス。
方舟計画。
太陽系への影響予測。
第一次点火事故。
すべてを。
段階的ではなく。
同時に公表する。
会見開始時刻。
世界標準時、正午。
あと三時間。
◇
会見準備室。
エレナは原稿を読んでいた。
冒頭。
天体の発見。
推定質量。
速度。
最接近距離。
到達時期。
太陽系への影響。
方舟計画。
地球残留計画。
公表を遅らせた理由。
そして謝罪。
原稿には。
何度も修正された跡がある。
「人類の皆様へ」
固すぎる。
「世界のすべての人々へ」
演説的すぎる。
「本日、私たちは重大な事実を」
逃げている。
エレナは原稿を置いた。
「議長」
報道官が尋ねる。
「どうされました」
「この文章では伝わりません」
「専門家が確認した原稿です」
「だからです」
科学的に正しい。
外交的にも慎重。
だが。
この発表によって。
十四十億人の人生が変わる。
その人々に向かって。
整えられた文章だけを読むことはできなかった。
「原稿は補足資料にします」
「では会見では」
「自分の言葉で話します」
◇
午前十時。
世界中の放送局へ、緊急中継要請が届く。
国際連合地球圏評議会・全人類向け特別会見
地上放送。
衛星放送。
量子通信網。
火星中継。
月面ネットワーク。
軌道都市。
海底居住区。
すべての通常番組が中断される。
学校では授業が止まり。
企業では業務が一時停止。
病院。
列車。
宇宙港。
農業施設。
どこでも。
人々が画面を見始める。
「何を発表するんだ」
「ノクスのことだろう」
「本当に危険なの?」
「政府が説明するらしい」
「七十年後って本当?」
「方舟を造ってるって」
噂として広がっていた言葉が。
間もなく。
公式な現実になる。
◇
エリオット・グレイの研究室。
ナディアが、中継画面を開く。
「来たよ」
エリオットは椅子に座れなかった。
窓の前を何度も往復している。
「俺の投稿が原因なのかな」
「原因じゃない」
「でも、あれがなければ」
「別の誰かが見つけてた」
「それでも」
「後悔してる?」
エリオットは答えない。
真実を探した。
データを公開した。
科学者として間違ったことはしていない。
だが。
今から。
世界中の子どもが。
自分たちの未来に期限があると知らされる。
それを始めた一人が、自分かもしれない。
「怖い」
彼は正直に言った。
「何が?」
「俺の計算が正しいことが」
◇
アクラ。
マリクの家。
アデウォアとクワメも、中継を待っていた。
机の上には。
マリクの写真。
研究所で撮影されたもの。
白衣姿。
少し照れた笑顔。
世界が。
これから彼の死を知る。
クワメが母親の手を握る。
「大丈夫?」
アデウォアは息子を抱き寄せた。
「大丈夫じゃない」
無理に強がらなかった。
「でも、一緒に見る」
◇
月面。
レアは、会見場の報道席へ座った。
世界中の記者が遠隔参加している。
彼女の前には。
マリクの映像。
ノクスの観測資料。
方舟建造記録。
すべてが準備されていた。
レア自身も質問を行う。
記者として。
そして。
秘密の内部を見た者として。
エレナが会見場へ入る。
表情は硬い。
だが、迷いはなかった。
二人の視線が合う。
「二週間は必要ありませんでしたね」
レアが小声で言う。
「世界の方が早かった」
エレナが答える。
「後悔していますか」
「何を?」
「もっと早く公表しなかったことを」
エレナは少し考えた。
「はい」
「でも」
「早く公表していたら、それも後悔したと思います」
「どちらを選んでも?」
「誰かが傷つきます」
彼女は演台を見る。
「だからといって、選ばなくていい理由にはなりません」
◇
世界標準時。
正午。
中継開始。
画面に。
国際連合地球圏評議会の紋章。
続いて。
エレナ・ヴァルガスの姿が映る。
世界が静まる。
工場の機械音。
列車の走行音。
病院のモニター。
宇宙船の生命維持装置。
生活の音だけが残る。
エレナは。
用意された原稿を開かなかった。
「地球に暮らす皆さん」
「月、火星、そして宇宙居住区で暮らすすべての皆さん」
一度、息を吸う。
「本日」
「私たちは、これまで公表してこなかった重大な事実をお伝えします」
画面が切り替わる。
暗い宇宙。
背景星。
その光が、わずかに曲がっている。
「約一年前」
「国際観測チームは、太陽系へ接近する孤立中性子星を確認しました」
世界中で。
息を呑む音。
「私たちは、この天体を」
「ノクスと呼んでいます」
名前が。
初めて公式に語られた。
「推定質量は、太陽のおよそ一・九倍」
「直径は約二十四キロメートル」
「秒速約千百二十キロメートルで移動しています」
「ノクスは、およそ七十年後」
「太陽から約〇・二天文単位の距離を通過すると予測されています」
◇
会見場のスクリーンに。
太陽系の軌道図が表示される。
太陽へ接近する赤い線。
「地球へ直接衝突する予測ではありません」
世界の一部に。
安堵が広がる。
だが。
次の言葉が。
それを打ち消す。
「しかし」
「ノクスの質量は、太陽を上回ります」
「その接近によって」
「太陽活動」
「惑星軌道」
「小惑星帯」
「カイパーベルト」
「オールト雲」
「太陽系全体が、重大な重力的影響を受けます」
地球の未来。
火星。
木星。
土星。
シミュレーション映像が流れる。
軌道がずれる。
彗星が内側へ降る。
太陽活動が激化する。
「現在の最有力予測では」
「地球は惑星として残ります」
「火星も」
「木星も」
「土星も残ります」
「ですが」
エレナはカメラを見た。
「私たちが知る太陽系の秩序は、失われます」
「地球地表で、現在の文明を維持することは」
「ほぼ不可能です」
◇
世界各地。
声が消える。
ある教室では。
教師が口元を押さえている。
子どもたちは、言葉の意味を理解できないまま画面を見ている。
ある家庭では。
祖母が孫を抱き寄せる。
ある工場では。
作業員が帽子を脱ぐ。
火星の地下都市では。
人々が無言で天井を見上げる。
その向こうに。
薄い大気。
赤い大地。
そして、変わってしまう太陽がある。
◇
「私たちは」
エレナが続ける。
「この事態に備えるため、PROJECT ARKを開始しました」
月面造船所の映像。
巨大な船体骨格。
オデュッセウス・ドライブ。
火星のガイア・ドーム。
小惑星ヘファイストス。
「月では恒星間方舟を建造しています」
「火星では、長期閉鎖生態系の研究を進めています」
「小惑星から、建造資源を採掘しています」
「新しい核融合推進機関を開発しています」
世界が。
これまで別々に見ていた計画。
不自然な予算。
急増した宇宙輸送。
すべてが一つにつながる。
「方舟は」
「人類の一部を、太陽系外へ送り出すための船です」
「現時点で、搭乗可能人数は」
「全人口の一%未満と見込まれています」
その瞬間。
世界の空気が変わった。
一%未満。
ほとんどの人間は乗れない。
十四十億人。
方舟の座席は、一千万人にも届かない。
画面の前で。
人々が自分の家族を見る。
親。
子。
兄弟。
恋人。
誰が選ばれる。
誰が残る。
「乗船者の選考基準は」
エレナが言う。
「まだ決定していません」
「技能」
「年齢」
「遺伝的多様性」
「家族単位」
「抽選」
「どの方法にも、重大な問題があります」
「私たちはまだ」
「公正な答えを持っていません」
◇
記者席がざわめく。
世界中の一般SNSが。
一斉に動き始める。
一%未満?
誰が決めるんだ
金持ちと政治家だけが乗るのか
家族は分けられるのか
子どもを優先しろ
完全抽選にしろ
技術者がいなければ船は死ぬ
方舟を増やせ
怒り。
恐怖。
要求。
すべてが同時に噴き出す。
エレナは。
それを予想していた。
「私は」
「ここで、方舟だけが人類を救うと申し上げるつもりはありません」
地下都市。
地球防衛網。
小天体迎撃計画。
海底施設。
月・火星残留拠点。
遺伝子保存庫。
知識保管施設。
「方舟へ乗れない人々を」
「切り捨てることはありません」
「太陽系内で生存するための計画にも」
「同時に取り組みます」
「その成功率が低いことも」
「隠しません」
「ですが」
「低いから何もしないという選択はしません」
◇
エレナは。
一度、言葉を止めた。
「そして」
「もう一つ」
「私たちが隠してきた事実があります」
会見場の空気が重くなる。
レアの手元の端末へ。
映像再生の確認が届く。
彼女は承認した。
「オデュッセウス・ドライブ第一次点火実験において」
「一人の技術者が亡くなりました」
マリクの写真。
名前。
マリク・オセイ
「私たちはこれまで」
「冷却設備事故とだけ発表していました」
「それは不十分な説明でした」
「事実上の隠蔽でした」
世界中の報道機関が。
その言葉を速報へ変える。
「ご遺族の許可を得て」
「事故当時の記録を公開します」
◇
映像が流れる。
赤い通路。
警報。
走るマリク。
『マリク、戻れ!』
『待てません』
『次は、人が行かなくても止められるようにしてください』
世界中の人々が。
彼の最後を見る。
手動弁。
高熱。
倒れる身体。
もう一度立ち上がる姿。
燃料が排出される。
研究所が救われる。
そして。
動かなくなる。
◇
映像が終わる。
長い沈黙。
エレナは。
深く頭を下げた。
「マリク・オセイ氏のご家族へ」
「そして世界の皆さんへ」
「私たちは謝罪します」
「計画の機密を理由に」
「彼がどのように亡くなったのかを、正しく伝えませんでした」
「彼の死を」
「方舟計画の成功物語として利用するつもりはありません」
「彼は」
「成功のために必要だった犠牲ではありません」
「安全設計が不十分だったために失われた命です」
「同じことを、二度と起こしてはなりません」
◇
アクラ。
クワメは。
画面に映る父を見て泣いていた。
母親の胸へ顔を押しつけながら。
それでも。
最後まで映像を止めなかった。
「父さん」
小さくつぶやく。
「みんな、見てるよ」
◇
会見の質疑応答。
最初に指名されたのは。
レア・モーガンだった。
「グローバル・ニュース・ネットワーク、レア・モーガンです」
世界中が彼女を見る。
「ヴァルガス事務総長」
「政府は、ノクスの発見から一年近く、事実を公表しませんでした」
「その間」
「世界中の人々の情報が、乗船者候補として分析されていた」
「遺伝情報」
「健康状態」
「職業」
「家族構成」
「本人の同意なしにです」
「これは、人類を救うためなら許される行為だとお考えですか」
「いいえ」
エレナは即答した。
「では、なぜ行ったのですか」
「方舟に必要な人口構成を把握するためです」
「必要なら許される?」
「許されるとは申しません」
「中止しますか」
「個人を特定できる形での分析は、本日をもって停止します」
「すでに収集した情報は」
「第三者監査の下で封印し、選考基準策定には使用しません」
「方舟の座席を」
レアは続ける。
「政府と一部の専門家だけで決めないと約束できますか」
「約束します」
「世界市民を含む公開委員会を設置する?」
「はい」
「議事録も公開する?」
「安全保障上の部分を除き、公開します」
「家族を分けますか」
会見場が静まる。
エレナは答えるまでに時間を置いた。
「まだ決められていません」
「それでは不十分です」
「分かっています」
「親だけを乗せる」
「子どもだけを乗せる」
「兄弟を分ける」
「そうした選考もあり得る?」
「現時点では」
「否定できません」
世界中で。
怒りと悲鳴が上がる。
だが。
エレナは、聞こえのいい嘘を言わなかった。
「では」
レアが最後に尋ねる。
「あなた自身と、あなたの家族は」
「方舟へ乗りますか」
事前質問にはなかった。
会見スタッフが動揺する。
エレナは。
正面から答えた。
「私は」
「選考制度を決める立場にいる限り」
「搭乗候補から外れます」
「ご家族は?」
「一般の基準に従います」
「選ばれなければ?」
「残ります」
◇
次に。
エリオット・グレイが遠隔で質問を許可された。
「ノーザン・ヨーロッパ宇宙科学大学院、エリオット・グレイです」
一人の大学院生。
世界が真実へたどり着くきっかけを作った人物。
「政府は」
「私たちが独立観測を始めるまで、公開データの一部を削除していましたか」
「はい」
「観測者を意図的に遠ざけた?」
「はい」
「科学的記録を、政治判断で消した?」
「はい」
エリオットは唇をかむ。
「なぜ」
「混乱を避けるためです」
「でも」
彼の声が強くなる。
「科学は、政府の所有物ではありません」
「その通りです」
「空は、国家機密ではない」
「その通りです」
「今後、観測データをすべて公開しますか」
「個人情報や防衛設備に関するものを除き」
「ノクスに関する天文データは、全面公開します」
「世界中の研究者が検証できる形で?」
「はい」
「では」
エリオットは息を整えた。
「私たちにも、計算させてください」
「政府が出した未来だけではなく」
「人類全体で」
「別の未来を探させてください」
エレナは頷いた。
「そのために、公表しました」
◇
会見は。
三時間以上続いた。
方舟の建造数。
費用。
燃料。
目的地。
搭乗人数。
地球残留計画。
国家間の分担。
情報隠蔽。
マリクの事故。
質問は途切れなかった。
答えのない問いも多い。
「目的地は未定です」
「方舟の完成数も未定です」
「全員を救える保証はありません」
「残留計画の成功も保証できません」
「ノクスの軌道を変更する技術は、現時点ではありません」
保証。
確約。
安心。
世界が求める言葉を。
政府は何一つ与えられなかった。
与えられたのは。
七十年という時間。
それだけだった。
◇
会見終了。
エレナは演台から離れた。
足元がわずかに揺れる。
レアが近づく。
「大丈夫ですか」
「大丈夫ではありません」
エレナは苦笑した。
「世界を終わらせる発表をした気分です」
「終わりを知らせただけです」
「違いがありますか」
「あります」
レアは答えた。
「知らなければ、何も始められなかった」
◇
その日の午後。
世界は。
すぐに崩壊しなかった。
列車は走り続けた。
飛行船も。
宇宙輸送船も。
病院は患者を診察し。
農家は作物へ水を与えた。
学校では。
教師が子どもたちへ、何をどう説明するか悩んでいた。
ある教室で。
一人の子どもが尋ねる。
「七十年後、地球はなくなるの?」
教師は答える。
「地球は残るよ」
「じゃあ、大丈夫?」
「私たちが住める地球ではなくなるかもしれない」
「先生は方舟に乗る?」
「分からない」
「ぼくは?」
「分からない」
「お母さんと一緒?」
教師は。
答えられなかった。
◇
街では。
食料品店へ人が押し寄せ始めた。
水。
保存食。
医薬品。
燃料。
七十年後の危機に。
今日、物を買い占めても意味はない。
それでも。
人は恐怖を感じると。
手に持てるものを求める。
金融市場は急落。
宇宙関連企業は急騰。
宗教施設には人が集まり。
政府機関の前では抗議活動が始まった。
「方舟の席を売るな」
「家族を分けるな」
「データをすべて公開しろ」
「一%ではなく、全員を救え」
実現できるかではない。
人々は。
見捨てられたくないと叫んでいた。
◇
しかし。
別の動きも始まっていた。
世界中の大学が。
ノクス研究データを公開。
物理学者。
工学者。
生物学者。
社会学者。
法律家。
心理学者。
教育者。
医師。
農業者。
芸術家。
あらゆる分野の人々が。
同じ問いへ向き合い始める。
七十年で、何ができるのか。
ノクスの軌道変更。
太陽系防衛。
方舟増産。
人工冬眠。
デジタル人格保存。
遺伝子保管。
地下文明。
惑星軌道制御。
これまで空想とされてきた計画が。
研究課題へ変わる。
◇
エリオットの共同観測網には。
会見後、参加申請が殺到した。
数千人。
数万人。
数百万人。
天文学者だけではない。
「何か手伝いたい」
「計算能力を提供できる」
「学校の望遠鏡を使える」
「過去の写真乾板を保存している」
「小型観測衛星を向けられる」
エリオットは。
画面いっぱいに並ぶメッセージを見た。
恐怖は消えていない。
だが。
恐怖だけでもなかった。
「ナディア」
「何?」
「世界は、終わるって聞いたばかりなのに」
「うん」
「もう観測を始めてる」
ナディアが答える。
「人間って」
「怖がりながらでも、手を動かせるから」
◇
アクラ。
マリクの家の前には。
報道陣が集まり始めていた。
だが。
家族は取材を断った。
代わりに。
クワメが短い文章を公開した。
⸻
父は英雄になるために死んだのではありません。
事故を止めようとして亡くなりました。
父を褒めるだけではなく、同じ事故が起きないようにしてください。
方舟へ乗る人も、残る人も、誰かの犠牲を当たり前にしないでください。
⸻
その文章は。
会見映像以上に広く共有された。
◇
夜。
月面造船所。
方舟第一号船の骨格には。
新しい金属板が取り付けられた。
エンジン区画の入口。
マリクの名前。
そして。
彼の最後の言葉。
次は、人が行かなくても止められるように。
その下に。
アミナたちが加えた言葉。
未来は、人命より先に置かれない。
◇
レアは。
月面から地球を見ていた。
青い惑星。
七十年後。
軌道が変わる。
海が変わる。
空が変わる。
だが。
今夜はまだ。
人々の暮らす光が見える。
エレナから通信が入る。
『世界の反応を見ましたか』
「はい」
『暴動も始まっています』
「共同研究も」
『市場は混乱しています』
「観測網は拡大しています」
『政府施設への襲撃も』
「方舟への技術提供も増えています」
破壊と協力。
絶望と希望。
人類は。
どちらか一方ではなかった。
『公表は正しかったと思いますか』
エレナが尋ねる。
レアは。
地球を見たまま答える。
「正しかったかは、まだ分かりません」
「でも」
「もう、誰も知らないふりはできない」
◇
同じ夜。
世界中の家庭で。
家族が話し合っていた。
「七十年後、私はもういない」
「子どもは生きている」
「孫がいるかもしれない」
「方舟に乗りたい?」
「家族と離れるなら、乗りたくない」
「でも、子どもだけでも」
「誰が決めるの」
「何を学べば、選ばれる?」
「選ばれるために生きるの?」
方舟の存在は。
未来の希望であると同時に。
世界中の家庭へ。
一つの残酷な問いを運んだ。
誰か一人だけ救えるなら。
あなたは。
誰を選ぶのか。
◇
深夜。
国連の公開データサーバーに。
ノクスの全観測資料がアップロードされた。
軌道。
質量。
速度。
重力レンズ記録。
X線観測。
太陽系シミュレーション。
全人類が。
初めて同じデータを見る。
世界中のスーパーコンピューターが。
一斉に計算を始める。
政府の未来予測を検証するため。
間違いを探すため。
別の可能性を見つけるため。
そして。
ノクスへ対抗する方法を探すため。
◇
数時間後。
一つの研究チームが。
奇妙な結果を発見した。
ノクスの現在軌道。
太陽の運動。
周辺恒星の位置。
過去三億年間を逆算する。
ノクスは。
ただ偶然、太陽系へ向かっているのか。
それとも。
過去に何らかの重力的干渉を受けたのか。
計算結果。
三百万年前。
ノクスの軌道が。
わずかに変化している。
自然な銀河潮汐だけでは説明できない。
近傍恒星との接近記録もない。
研究者が画面を拡大する。
「何が、軌道を変えた?」
回答はない。
だが。
データ上では。
確かに。
何かがノクスへ作用していた。
⸻
第14話 終
次回予告
世界は、終末を知った。
混乱。
買い占め。
抗議活動。
方舟の座席を巡る憎悪。
一方で。
世界中の研究者がノクスの全データへアクセスし、人類最大の共同研究が始まる。
その中で発見された。
三百万年前の、わずかな軌道変化。
未知の重力干渉。
記録にない天体。
自然現象では説明できない可能性。
誰かが。
あるいは何かが。
ノクスの進路を太陽系側へ変えたのか。
偶然なのか。
意図なのか。
それとも。
人類がまだ知らない宇宙の現象なのか。
次回、
第15話「三百万年前の力」
終末の星には、もう一つの謎が隠されていた。




