12話『凡人になる』
授賞式の帰りだった
ホテルのロビーはまだ騒がしい
作家
編集
関係者
色んな人間が残って話している
凛は少し離れた場所でスマホを見ていた
慣れない空気だった
スーツも、名刺交換も、“先生”と呼ばれるのも、未だに全部落ち着かない
その時だった
「少しいいですか」
声がして、凛は顔を上げる
男が立っていた
眼鏡
落ち着いたスーツ
疲れた顔
でも目だけ妙に鋭い
凛はすぐ気づく
「……佐藤さん」
湊先生の担当編集だった
佐藤は軽く会釈する
「初めまして、ではないですよね」
「まぁ、一応……」
実際は何度か顔を合わせていた
ただ、まともに話すのは初めてだった
佐藤は少し周囲を見る
「少し歩きませんか」
ホテルの外へ出る
夜風が少し冷たい
タクシーの列と街灯を横目に、佐藤はしばらく黙ったまま歩いていた
やがて、小さく口を開く
「最近、あの人と一緒にいますよね」
凛の肩が少し強張る
否定はできなかった
佐藤は続ける
「悪く言うつもりはありません」
本当に、そういう声だった
だから逆に怖かった
凛は黙って聞く
佐藤は夜道を見たまま言う
「あの人、最近かなり迷ってるんです」
凛が止まる
「……迷う?」
「ええ」
佐藤は小さく笑った
「元々あの人、感覚で書くタイプなんですよ」
それは凛も分かっていた
章は説明しない
理論化しない
でも核心だけ外さない
「だから今までは速かった」
佐藤は続ける
「でも最近、“なんで面白いのか”を考え始めてる」
凛は言葉を失う
心当たりがあった
章は最近、前より感想を言う
読む
止まる
考える
前はもっと直感だけで動いていた気がする
佐藤は小さく息を吐いた
「あなたの影響ですよ」
夜風が吹く
凛は何も言えないまま視線を落とした
佐藤は続ける
「昔、一度だけ似た時期があったんです」
「……え?」
「あの人が、自分を客観視し始めた時期です」
佐藤は少しだけ苦そうに笑った
「酷かったですよ」
笑えない冗談みたいな声だった
「書けなくなるし、悩むし、止まるし」
凛の喉が小さく鳴る
佐藤は立ち止まる
そして初めて、真正面から凛を見た
「あの人は、考え始めると駄目になる」
凛は動けなかった
佐藤は静かに続ける
「天才って、壊れる時一瞬なんです」
ホテルの明かりが遠く光っている
凛は視線を落とした
佐藤は少し黙る
そのあと、小さく言った
「あなたが悪いわけじゃありません」
凛は小さく息を吐く
でも、次の言葉で呼吸が止まった
「ただ、あなたがいると、あの人は凡人になってしまう」
夜風が吹く
佐藤は真っ直ぐ凛を見る
「担当編集者として言わせてもらいます」
凛は動けなかった
「あの人から距離を取ってください」
佐藤の声は静かだった
だからこそ重かった
「これ以上一緒にいるなら、あなたが天才を壊すことになる」
凛は何も言えなかった
頭の奥で、章の言葉が何度も浮かんでいた
『お前がいた気するわ』
『怒鳴った方がお前っぽい』
『やっと書き始めた感じする』
凛は唇を噛む
佐藤は最後に小さく頭を下げた
「すみません、変なこと言いました」
そしてそのまま去っていく
凛はその場に残ったまま動けなかった
スマホが震える
画面を見る
章からだった
『帰りコンビニ寄る?』
凛はしばらくその画面を見つめる
やがて、静かにスマホを閉じた




