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「お前はバグだ」と断罪された令嬢ですが、10年前の「カラス」様との約束を果たします。  作者: ちゃこ太郎


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十年前の童話③

「いない?!」


 思わず叫んだ私の声が反響する。隠れていた本棚の陰から顔を出してソファーを睨みつければ勝手に漏れる心の声。


「……約束したのに。」


 また明日、と言ったのは向こうなのにどういうことだ。


 色々と昨日のことを思い出して、会ったらどうしようとか考えていたのに拍子抜け。会えたら会えたで昨日のあの恥ずかしさでどう接したらいいかわからないくせに、突き出し始めた唇。仕方ない、今日はもう帰ろうかな、なんて踵を返そうとして私の視界いっぱいに黒。ギギギ、と音がするほどぎこちなく見上げれば、首が痛くなるほど高い位置にある彼の目が獲物を見つけたと言わんばかりに怪しく光る。


「ひどいじゃないか。」

「ど、どこから!」

「ずっとここにいたけど?」


 にこりと笑いながら首を傾げるその仕草。びくりと体が跳ね、脱兎のごとく逃げ出しそうになった私を囲い込むようにして本棚に置かれた両手で逃げ道を封鎖される。直立不動で動けなくなった私の顔を覗き込むようにして彼が体を屈めれば、吐息がかかるほど近くに彼の顔があって、急いで口を両手で覆って息を止めた。


「窒息するだろ。」

「……!」

「ほら、早く手をどけて。」


 逃げ道を塞ぐ手が離れ、彼の指先が私の髪に触れた瞬間、僅かにできた隙間を縫って檻から脱出。本棚は危険だ!と察知して本能的にソファーへと逃げ込んだ。

 本棚から離れ、やれやれと肩を竦めながらこちらに歩み寄ってくる彼の靴の音。ドッドッとうるさいくらいに脈打っている心臓とシンクロするように大きさを増していく。そして、ぴたりと止まる靴音。質の良い革靴からスッと伸びた足を辿っていけば、胡散臭い笑顔を貼り付けた彼とばちりと目が合う。


「悪い子にはお仕置きが必要かな?」


 低く、甘ったるい声が私の鼓膜を刺激して、ぞわりと背筋を震わせる。彼が背もたれに手を置くと、そこが僅かに沈んで、バランスの取れなくなった体がひっくり返った。

 ギュッと目を瞑り、神に祈るかのように手を組んで時が過ぎ去るのを待ってみても、私の呼吸音が聞こえるばかりで何もない。恐る恐る片目をゆっくり開いてみれば、顔を逸らしながら肩を震わせている彼の姿が目に入る。


「揶揄って……!」

「そんな可愛らしい反応を見せられたらな。」

「……もう!もうもう!」


 最近始めた淑女教育なんてどこへやら。ソファーから浮いた足で地団駄を踏んで悔しがる私に、ずいっと近寄る彼の顔。今度は騙されない、と平静を装う私の頬に触れるひやっとするほど冷たい手。心臓が口から飛び出しそうになるのを何とか飲み込んで、負けてなるものかと真正面から見つめ返す。


 ――あれ、瞳の色が。


 体を屈めた際に少し傾いた眼鏡から見える彼の瞳。光の加減だろうか。まるでアズライトみたいな、色。吸い込まれるようなその色をもっと、ちゃんと見てみたくて思わず伸びた手が彼の眼鏡に触れた瞬間――


「はい、お仕置き。」


 ギュッと鼻を摘まれて、その力の強さに千切れてしまったかと思った。少し赤くなっているであろう鼻を押さえ、本当に取れてしまっていないか確認。ちゃんとついている鼻に安堵しつつも、先生からいかなる時も動じてはいけないと言われていたことを思い出している私を他所に、我関せずといった様子で、私の横に無造作に座り込む。

 涙目で彼を睨みつければ、眼鏡越しに見えたアッシュグレーの瞳が僅かに細められて、ふっ、と鼻で笑われた。ぱちぱちと瞬きを繰り返した私を見て、足を組み、本を片手に頬杖をついた彼が小首を傾げる。


「タヌキに化かされたみたいな顔してるけど?」


 そう言う意地悪な顔をしている彼の瞳はやっぱりアッシュグレーで、吸い込まれそうなほど深い色をしたアズライトの瞳はどこにもない。確かに見えたはずなのに。まさか彼の言う通り、タヌキに化かされたのだろうか。正体を暴いてやろうと彼を見つめれば、彼は仰々しいくらいにわざとらしく肩を落としてみせた。


「今日はもういいのか?折角時間を作ったのに残念だなぁ……。」

「読みます!読みます!読んでください!」


 あっさり降参宣言をして、居住まいを正す。ちらりと私を一瞥して満足そうに微笑む彼。本を開く時、彼の腕が私の肩に触れ、そこからじわりと熱が広がる。低い声だけど、どこか優しい響きのする彼の声で紡がれる物語をそわそわしながら待った。


「――赤い屋根の家があった。」

「……ねえ、それってタヌキの話の続き?」

「あの話は悪影響だからな。」

「悪影響。」


 面白い話だったのに。あのあと悪いタヌキはどうなったんだろう。女の人の家に行って幸せに暮らしたのかな。


 ――暮らしていたら、いいな。


 終わりのわからない物語に思いを馳せている間に彼の声は先に進んでいく。置いていかれないように、取りこぼさないように耳に神経を集中させた。


「その家には手入れの行き届いた、それは美しく、広い庭があった。薔薇やミモザなどの色とりどりの花、それにオークやブナ、葡萄。バルコニーから見える庭は格別に美しい。」


 それは、どんな庭なのだろうか。色んな植物があるなら、皇宮の庭園と同じかな。この家の庭師さんもきっと大変だ。

 色とりどりって薔薇は何色かな。ミモザはどんな香りだろう。オークやブナってどんな木?ゆっくり瞼を閉じ、頭の中でバルコニーから見える庭を思い浮かべてみる。きっとすごく心地良い空間なんだろうな。こくり、こくりと船を漕ぎ出した頭上に、溜め息にも似た彼の声が降ってきた。


「子猫のガッティーナはこの家にやってきてから、美しい庭を窓辺から見るのが日課でした。そこへ庭にある木の実を目当てに一羽のカラスがやってきました。」

「ガッティーナ……?」

「ふっ……カラスは窓辺に座っている子猫を見て『新入りか、お前』と偉そうに声をかけました。」


 聞き返した言葉は置き去りにして、先に進んでいく物語。段々と頭が傾いていき、重力に逆らえなくなってくる。彼の口から発せられるカラスの言葉がやけに耳に残った。

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