答え合わせ
「エーデルガルト姫……どこ、に。」
「ここです。」
「戻ってきましたね……?」
私の後ろを追い掛けるアルマール様が投げた言葉に、丁度着いた目的地に足を止めて、振り返る。押し開く扉からふわりとほのかに甘く香る羊皮紙の匂い。答えがわかったアルマール様は戸惑いながらも、おかしそうに微笑む。
二人一緒に中へと足を踏み入れて、今度は私がアルマール様を奥に置かれたソファーへエスコートする。くるりと後ろを振り返れば、ゆったりとした歩幅で歩くアルマール様と目が合った。にこりと余裕の笑みを返されて、何だか少し負けた気持ちになる。
「座ってください、ここに。」
「はい。」
座席指定をすれば、素直に頷いて指定した場所に腰掛ける。アルマール様が座ったのを見て、私も隣に勢い良く腰掛けそうになり、すんでのところで止まって、ゆっくり腰掛けた。深く沈みすぎるソファーに苦戦するも、何とか姿勢を正して、アルマール様に向き直る。あの頃よりもずっと近くにある顔に跳ね出しそうになる髪を何とか深呼吸で抑えた。
「アルマール様。」
「はい。」
「聞かせて、くれますよね。」
ここを出る前にアルマール様は見つけてくださいと言った。これが、その「答え」なんだと思う。
「ちゃんと、見つけてくれたんですね。」
ずっと持っていたカタジールの童話集を差し出す。それを受け取ったアルマール様は、表紙を指先でそっと撫でて、何かを言いたそうに口を開けては、唇を引き結んだ。そして、高過ぎる図書館の天井を仰ぎ、目を瞑り深く息を吐き出す。
「……長かったな。」
溜め息にも似た声だった。いつもは紳士然とした丁寧な口調も崩れ、声がいつもより低く響いた。聞いたことのないアルマール様の声。それでも、耳は覚えている。ちゃんと、覚えている。
「この十年、忘れたことなんてなかったよ。」
「……はい。」
「一度も、なかった。」
改めて思い知らされる、その想いが胸の奥に重石となって沈んでいく。言葉を失い、俯く私の頭上に小さな笑い声。顔を上げれば、アルマール様があの日のコルヴォと同じ顔で笑っていた。違うのは、瞳の色、だけ。
知りたいこと、聞きたいことはたくさんあるけれど、アルマール様の言葉を待つ。きっと私と同じように、伝えたい言葉がたくさんあると思うから。
「ずっと、瞳の色が嫌いだった。」
「瞳の、色?」
アルマール様の顔が天井に向く。ゆっくり、瞼が閉じられると同時に開いた唇。言葉を吐いて、すぐに引き結ぶ。童話集の背表紙をなぞる指先。続く言葉を待つも、唇を湿らせるだけで、そこから言葉は出てこない。何度かそれを繰り返し、意を決したように唇を噛み締めて。
「ここにいると窮屈で、息苦しくて。だから髪も瞳の色も変えて、オルトリンデに行ったんだ。」
「じゃあ、やっぱり。」
「おれが掛けていた眼鏡を覚えているかな。」
「はい、あの、黒縁の。」
「ふっ……そう。あの眼鏡のレンズは少し、特殊なんだ。」
まさか瞳の色を変えられるレンズがあるなんて。この鮮やかなオリエンタルブルーの瞳をアッシュグレーに変えてしまうなんて、やはり魔法みたいだなと思ってしまう。
眼鏡がないのに、鼻当てを上げる仕草をして、少し悪戯っぽく笑ったアルマール様。コルヴォもよく、鼻当てを上に上げて、眼鏡を気にしていたけど、そういうことだったのか、と納得もした。
「おれのことを誰も知らない所に行けば、息苦しさがなくなると思っていた。」
「どうして、そこまで。」
「瞳の色が、違うんだ。」
「……そうなんですね。」
「それにあの頃は丁度、兄上が即位したばかりで、色々と不穏な動きもあったからね。」
「不穏な動き?」
「玉座の簒奪、とかかな。」
冗談めかして言う、その言葉の重さに絶句する。掛ける言葉を見失った私に、もう過去のことだよ、と一言。それは過去のことかもしれない、けど。
何か言いたいのに。何か言葉を掛けたいのに、何も思い浮かばなくて、彷徨う指先を握り込んだ。私を見下ろす瞳と目が合う。過去のことだと言うのに、向けられた微笑みはどこか悲しそうに見えた。
「別人になって、国を離れても、何も変わらなかった。むしろ、どうして自分はここにいるのか、と生きる意味さえ見失いかけていたと思う。」
「そんな。」
「君に出会うまでは。」
「……私?」
急に向けられた矛先に理解が追いつかない。首を傾げて、自分自身を指差しながら聞き返す。答えを期待したのに、返ってきたのは、穏やかな眼差しに、目がチカチカしてしまいそうなくらい甘い笑みだった。
「……心から笑うことなんて、本当になかったんだ。」
そう言って笑うアルマール様。本当に?と言いたくなるも、何とか言葉を飲み込んで。こちらの気持ちを探るようなアルマール様の瞳の色。ずっと、忘れられなかったアズライトの光。
「だから、おれが守りたかっただけなんだよ。」
「でも。」
「君の手がとても温かったから。」
その笑顔がどうにも眩しくて。瞬きを繰り返した瞳から一雫、勝手に流れ落ちていった。




