十年年前の約束
ぽたり。一雫流れ落ちて、また、一雫。泣かないと決めたのに、勝手に出てくる涙が止まらない。止め方がわからない。力任せに手の甲で拭おうとした私の手をアルマール様の手がそっと押し留めた。どこから出したのかわからないハンカチを私の目元に押し当てて、悪かった、と困ったように笑って言う。
「私、知らなかった。気付け、なかった。」
「隠してたから。」
「でも。」
「昔から得意なんだ。」
見つめ返す、オリエンタルブルーの瞳。首を傾げて、やれやれ、なんて肩を竦めるから、何だか少し腹立たしい。本当に昔から得意なのかもしれない。でも、傷付かないわけじゃない。無意識のうちに眉間に皺が寄る。すかさず、アルマール様の冷たい指先が、グリグリとその皺を伸ばした。
「悪いタヌキに化かされたみたいだな。」
「そうですね。」
「……怒ってる?」
「怒ってます。」
「ごめん。」
「悔しい。」
「……え?」
余裕たっぷりの笑顔が崩れる。それを見て、少しいい気分。もう地団駄を踏むことのない足がわずかに反応して、誤魔化すように目元を拭っていたハンカチを握り締める。
真意を探るように私の瞳を覗き込むアルマール様。思わず逸らしたくなるも、負けじと見つめ返せば、先に視線を逸らしたのはアルマール様の方。そっぽを向いた横顔に、勝った、なんて。落ち掛けていた気持ちも段々と浮上していく。
「アルマール様。」
「……何。」
名前を呼べば、拗ねた声でこちらを振り向いて。その姿がまるで叱られた子供みたいで口から漏れる笑い声。慌ててハンカチで口元を押さえても、しっかりアルマール様の耳に届いたらしい笑い声。こちらを見つめる視線が痛い。
「私、ずっと待ってました。」
白状するように、ぽつりと本音を落とせば、わずかに揺れる、オリエンタルブルーの瞳。
「準備は出来たはずなのに、待ってた。」
「……うん。」
「思ってた。来ることはないって。」
「ごめん。」
「殿下と婚約したことを後悔はしていません。」
「……。」
「……ごめんなさい。」
約束を捨てきれなくて、抱えてここまで来た。私も、アルマール様も、どちらも果たすことができなかった約束。きっと、あの時、殿下の手を取った時に捨てるべきだとわかっていたのに、それでも捨てきれなかった。今でさえ、も。でも、後悔はしていない。過去の私も、今の私も、あの約束があったから、こうしてここにいるから。
——縛るための、約束じゃなかった、よね?
今だから、わかる。あの約束はきっと、道標だったんだって。でも、それはもう終わりにしなくちゃ。私は、ちゃんと見つけられたから。
アルマール様が唇を噛む。傾いていく頭を上げさせるように、名前を呼べば、オリエンタルブルーの瞳は私の目を真っ直ぐ見つめた。ああ、やっぱり、綺麗だなあ。
「いつも、そばにいてくれましたね。」
「……は、い?」
「何も言わずに、ずっとそばにいてくれた。」
近衛騎士としての仕事のためだと思ってた。でも、違っていた。そしてそれは——
「コルヴォじゃなかった。」
「え……?」
「アルマール様がそばにいてくれた。」
「……エーデルガルト姫。」
「ちゃんと、見つけました。」
目を見開いたオリエンタルブルーの瞳に映る私が歪んでいく。思わず手を伸ばした。アズライトみたいな瞳。キラキラと光に反射して、まるで雨上がりの——
「宝石みたい。」
ぽたり、と手の甲に落ちる雫。ハッとして隠すように手のひらを私の視界いっぱいに向けるから、私は笑ってお返しに待っていたハンカチを手渡す。おかしい、と言いながら、力任せに目元を拭う様子が、いつものアルマール様らしくなくて、嬉しかった。
小さく鼻を啜る音に笑う私を、意地悪な人だな、と言う少し尖った唇。思わず口から出そうになった言葉を飲み込んで、アルマール様の手からカタジールの童話集を奪う。
「今度は私に読ませてください。」
「……『まさか、読めるのか?オルトリンデの公用語じゃないのに。』」
意地悪く笑いながら、私を見つめるアズライトの瞳。それに答えるように、得意げに鼻を鳴らしながら、覚えてしまった物語の冒頭を読み上げる。
「『森の奥深い場所に、一匹のタヌキがいた。彼はいつも人に化けては、森に来た人間を騙し、物を奪うような狡賢い奴だった。』でしょう?」
「『これ全部読んだのか?』」
「はい、全部。」
自信満々に答える私を目を細めて見つめるアルマール様。そっと閉じる童話集。
「迎えに来ました。」
指先だけで握った手。握り返した手は離れなかった。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
これで、エーデルガルトの物語は完結です。
初めての投稿作で未熟な部分も多かったかと思いますが、楽しんでいただけたら幸いです。
また、いつか会えるまで。
ここまでお付き合い頂きありがとうございました。




