それでも、
響く靴音。それに合わせてこの場にいる人、全員が一斉に礼をとる。茫然とそれを見ていた私も慌ててカーテシーをすれば、私の目の前を通り過ぎる陛下の足音が少しだけ速度が落ちた気がした。
「へ、陛下……。」
「ベルモント侯爵。これは一体何事だ。」
「いや、これは、その。」
「……陛下!無礼を承知で申し上げますっ。」
二人の間に割って入るようにして声を上げたのは、意外にもセシリア嬢だった。地に額をつけ、深々と礼をとったまま、陛下に向けて必死に言葉を紡ぐ。
「父は、不出来な私をお叱りになり、殿下が私のことを庇ってくださっただけなのです……!決して、決して殿下に手を挙げようなどとしたわけではございません!」
「……アルマール。」
「大方誤りはないです。」
私に同意を求めるようにアルマール様がこちらを見た。それに対して私も深く頷き返したのを見て、陛下は小さく笑って殿下を見つめる。その眼差しはどこか優しげで、少しだけ胸が痛くなった。
「して、ベルモント侯爵。ここまで庇い立てする娘を親のお前がどうしてそう責める?」
「それは……。」
「セシリア嬢だけの責任か。」
「……。」
「……事と次第によってはセシリア嬢に相当重い処罰が下ることになろう。」
「お、お待ちください、陛下っ!娘は、セシリアはどうなるのですか!」
「処刑も考えられる。」
「っ!……あなた!」
陛下から突き付けられた現実に、助けを求めるように夫人がベルモント侯爵に手を伸ばす。グッと拳を握り締め、夫人の手を振り払い、ベルモント侯爵の指先はセシリア嬢へと向かった。
「娘が勝手にやったことだ!なんて愚かなことを!カスティエル殿下の寵愛を受けたいがために、このようなことをしでかすとは!」
「あなた……!」
「……それが侯爵の答えか?」
「申し訳ございません、陛下!私たちも騙されていたのです!どうか、どうかご寛大な処罰を……!」
「父上。」
よく似た、声だった。まだ青年らしい声だったけれど、その声は紛れもなく、陛下の声によく似ていて。耳障りな雑音が消えるほど、静かで澄んだ音がよく響く。
床に額をつけたまま、微動だにしないセシリア嬢の肩に軽く触れ、前へ進み出る殿下。陛下を真っ直ぐに見据えた殿下が胸元を弄る。アルマール様が止めに入るのも構わず、そこから何かを取り出し、陛下へ突き付けた。
「エーデルガルト姫の印章です。」
「殿下……?」
「セシリア嬢一人の責任ではありません。私も……おれも加担しました。」
「カスティエル。」
それ以上何も言うな、と名を呼び手で制する陛下。殿下は加担したと罪を認めたのにも拘わらず、陛下はどこか嬉しそうに微笑み、静かに頷いた。そして、そのまま体を侯爵へと向けると、微笑みの消えた威厳に満ちた顔で口を開く。
「もうよい。侯爵の考えはよくわかった。」
「そういうことでしたら、陛下——」
「では、当事者に聞こう。エーデルガルト姫。」
「はい。」
「そなたはこの二人にどんな処罰を望む。」
振り返った陛下が私に問う。強い眼光に負けないように、私も陛下を真正面から見返した。
——私は、何を望む?
あの二人を許せるかと言われたら、許すことはできない。悪評は立てられ、罵られたことだってある。舞踏会という衆人環視のもとで婚約破棄され、果ては殺害未遂まで。許すことはできない。けれど、厳罰を望めるほど私は何も過ちがなかったと言えるのだろうか。何一つ間違えずにここに立っているのだろうか。
「私は……何も望みません。」
勇気を分けてもらうように童話集を抱き締める。陛下は少しだけ驚いた表情を見せたが、すぐに真意を探るように目を細めて私を見つめた。
「ほう……?それは何故だ。」
「私は確かに彼らに幾度となく傷付けられました。それは紛れもない事実です。」
「それなのに、許すと申すか。」
「許せません。処罰は受けるべきだとは思います。けれど、その裁量は私個人に委ねるのではなく、きちんとした場で行うべきだと思います。」
「では、参考までに聞かせてはくれぬか。」
陛下は、参考までに、と仰っているが私がこれに答えてしまったら、処罰を決めているのと同じようなものではないだろうか。少しの迷いが頭を過ったが、答えは何一つ変わらない。
「それでも、私は何も望みません。彼らは選択を誤った。でも、私も選択を誤りました。」
「選択……?」
「噂を否定することもできた。殿下に忠言することもできた。でも、私は何もしませんでした。何もしない、という選択をしました。」
「それはそなたが悪いというわけではないだろう。」
「いいえ。正すこと、できることはあったのに、何もしなかったのは紛れもない事実です。」
「だから、罰しないと言うのか。」
「何もしてこなかった私が決めることはできません。私が選択を誤ってしまった結果がこれならば、私自身はそれを受け入れます。そして——」
体の向きをずらし、陛下の後ろで私を見つめる二人を私も見た。真っ直ぐ、逃げることなく。
「彼らも自分たちで選択した結果と向き合うべきだと思います。人生は他人に決められるべきものではないのですから。」
手が震えた。こんな風に自分の意見を、想いを述べることなんてなかった。緊張と不安で鼓動が速くなっていくのを感じて深く息を吐く。息を吐き切ってから、陛下に体を向ければ、ゆっくりとその頭が私に向かって傾いていくのが見え、思わず狼狽した。
「あ、頭を上げてください、陛下!そんなことをしては——」
「過ちを犯した息子の父親として、礼を言う。」
「そんな……!」
「……二人もそなたの気持ちをきちんと受け取ったようだな。」
陛下は穏やかな眼差しを殿下たちに向け、次にベルモント侯爵へ。打って変わって、何も感情が読み取れない表情で侯爵を見ると、まだ何か言いたげに動く口を閉ざさせるように一言。
「連れて行け。」
それに合わせて、アルマール様がベルモント侯爵を取り押さえている部下の騎士たちに手で合図。引き摺られるようにして退場を余儀なくされたベルモント侯爵が何やら叫んでいたが、よく聞き取れなかった。
「お前たちも行きなさい。」
「はい。」
殿下とセシリア嬢、侯爵夫人も騎士たちに連れられて部屋を出て行った。残された数名の騎士と陛下、アルマール様と私。この後どうしたいか、決まっていた。そして、何故かそれを見透かしている陛下が私に向けて助け舟を出す。
「エーデルガルト姫には別の部屋を侍女長にすぐ用意させよう。準備が整うまで、どこかで時間を潰してきてほしいのだが。」
「ありがとうございます。……行きますよ、アルマール様。」
「え?」
「早く行け。」
最後に陛下にカーテシーをし、去り際にアルマール様へ声を掛けて先に退出。背中で聞いた戸惑う声に応えた陛下の言葉に小さく笑う。すぐ後ろを駆けてきた足音を聞きながら、迷わず歩を進めて。
「ふっ、締まり切らない奴だな。」
呆れたように、けれど優しさも含んだ声音で吐き出された言葉は前を急ぐ私たちの耳には届かなかった。




