枠
「最近、私の妹にちょっかい出してるって?」
「……どこから聞いたんですか、それ。」
「私を誰だと思っているんだ?」
「……はあ。」
久しぶりに顔を合わせた友人の言葉に、寄る眉間の皺。急用だと呼び出されたかと思えば、大した用ではないらしい。あまり目立つ行動は避けたいのに。
通された彼の執務室のソファーに腰掛けず、扉の前で受け答えするおれを、頬杖をつきながら楽しそうに眺めている。十年来の友人だからわかる。こういう時のこいつはおれにとってあまりよくないことを考えている顔だ。
「あれはあれで可愛い妹でな。」
「それなら。」
「おいおい、お前もわかるだろう?皇太子の私が表立って動けば余計に妹の立場は危うくなる。」
「でも。」
「あの子は強い。お前が、周りが思っているよりもずっと。」
それでもあの子は逃げてきたじゃないか。
不満が顔に出ていたらしい。元々鋭い男だが、誰かの影響でいつの間にか自分も随分と素直な性格になってしまったようだ。そんなおれを見て、珍しいものを見るような顔で含んだ笑みを一つ。それと同時にどこかホッとしたような顔をしている気がした。
「そんなに心配ならお前が気にかけてやればいいだろう。」
「そんなこと言っても、おれは!」
「ああ、もう時間だ。おれは忙しい。さっさとお守りにでも行ってこい。」
「おい、ハディ!」
護衛騎士に追い出される始末。扉が閉まる瞬間のあいつのニヤついた顔が見えて、苛立ちが募る。自分で呼び出したくせに粗雑な扱い。苛立ったところで、あいつにはどこ吹く風だろう。仕方ない、と踵を返して向かう足の先にはあの図書館。
――約束、したからな。
言い聞かせるように胸の内で繰り返す。別にハディに言われたからでも、あの子が気掛かりとかそんなものではなくて。ただ「また明日」と約束したから。
相変わらず悪意に満ちた廊下を通り抜けて、暗がりから見えてくる図書館。そのまま扉を押し開こうとして、ハッとする。よくない。気が抜けているな。無防備さまで移ってしまったのだろうか。まるでここが、警戒するような場所ではないと思ってしまっているようで。形だけでも、辺りを見渡して、問題ないことを確認してから入室。いつものソファーへと向かう足がピタリと止まる。
「いない?!」
隅々まで響き渡る声。何事かと足早に声の方へ向かえば、本棚の影に隠れて何やら震えている小さな背中。声を掛けようか迷っている間に聞こえてしまう独り言。
「……約束したのに。」
言葉を失った。息を呑んで、立ち尽くす。ゆっくりと、その言葉がおれの中に落ちていくようだった。じわり、じわりと広がって、なんとも言えない味になる。
掛ける言葉は見つからないまま、動く足。肩を落とし、踵を返そうとする彼女の元に、急いで駆けていく。
「ひどいじゃないか。」
「ど、どこから!」
「ずっとここにいたけど?」
首を傾げながら、両手を本棚に置いて閉じ込める獲物。毛を逆立てて威嚇する様がまさにそれと言った感じで可愛らしい。思わず笑いそうになるのを堪えながら、彼女がどんな顔をしているか探りたくて腰を屈める。
顔の近さに両手で口を押さえる仕草。覗き込んだ菫色の瞳の中はおれだけになって、ちょっといい気分だ。
「窒息するだろ。」
「……!」
「ほら、早く手をどけて。」
もう少し追い詰めてみたくて、指先で彼女の髪に触れた瞬間、僅かにできた隙間を縫って脱兎の如くソファーへと逃げていく。あまりの身のこなしに驚くとともに、やれやれと肩を竦めながらソファーに向ける足。わかりやす過ぎる反応に、少しは危機感が必要だなと考え、外向けの笑顔を貼り付けてみれば、怯えた顔でこちらを見上げる姿に笑いを堪えながら――
「悪い子にはお仕置きが必要かな?」
彼女の耳だけに届くように落とし声。背もたれに手を置けば、バランスの取れなくなった小さな体がひっくり返った。
ギュッと目を瞑り、まるで神に祈るかのように手を組んでいる姿が嗜虐心を擽る。これ以上見ていたらもっと意地悪をしてしまいそうだ、と顔を逸らしても、焼き付いた必死な形相に肩が震え出した。
「揶揄って……!」
「そんな可愛らしい反応を見せられたらな。」
「……もう!もうもう!」
ソファーから浮いた足をバタつかせる彼女。ずいっと顔を近づければ、真正面からおれを見返す姿が挑戦的で、受けて立つように柔らかい頬に触れる。じわりと熱が広がって、覗き込んだ彼女の瞳の中に、きらりと光るアズライトが――
「はい、お仕置き。」
ギュッと鼻を摘む。少し強めの力加減で摘めば、予想通り、彼女は鼻を押さえて。それを横目に急いで直す眼鏡。体を屈めた時に少し傾いてしまったらしい。
ちゃんとズレがないか確認をしてから、まだ痛がっている彼女の横に腰を下ろした。チラリと彼女を見れば、涙目でおれを睨みつけてくる。良かった。どうやら気にしてはいなさそうだ。あまりの痛がりように、ふっ、と鼻で笑えば、ぱちぱちと瞬きを繰り返すその姿が何だかまるで。
「タヌキに化かされたみたいな顔してるけど?」
あ、いらない一言だったかも。
ちょっと意地悪のつもりで思わず出た言葉。やばい、と思った時には、おれの瞳を探る菫色。眼鏡を掛けているから、わかるはずはないのに、その瞳は何でも見透かしてしまいそうで、わざとらしく肩を落としてみせる。
「今日はもういいのか?折角時間を作ったのに残念だなぁ……。」
「読みます!読みます!読んでください!」
思惑通りに彼女は急いで居住まいを正す。そんなに楽しみにしていたのか、と彼女の姿に絆されながら、本を開いた。おれの腕が彼女の肩に触れ、そこからじわりと熱が広がる。何だか落ち着かないな、と思うのに、どこか安心している自分がいて、何だかなと思った。
それを誤魔化すように、急いで開く本のページ。何の因果か、開かれたページの童話は――
「――赤い屋根の家があった。」
幼き日に、母が連れて行ってくれた冒険の話だった。




