森の木
「森の奥……森の、奥?」
残り香も薄れ、静寂と私だけになった。置いてけぼりにされたアルマール様の言葉を反芻してみるも、思い当たるものは何もない。深く沈み過ぎるソファーに気をつけながら、背もたれに背中を預けて、途方もなく高い天井を見上げて、一息。
「懐かしい。」
かつては私の避難所だった。雨の日は、特に。みっともなく跳ねる髪を笑われて、一人になれる場所を探した結果、辿り着いたのが、あの、図書館だった。
最初は私だけの場所だったのに、いつの間にか先約がいるようになって。ふっ、と思わず笑いが漏れる。コルヴォのことを思い出すといつもそうだ。胸の内側がじわりと暖かくなって、背筋がピンと伸びるみたい。
「コルヴォ、かぁ。」
童話のカラスの名前だと言っていたはず。あの後、いくら探しても、あのカタジール語の童話集は見つからなくて。この図書館にはあるのだろうか。蔵書の数は祖国といい勝負になりそうだ。
「どう並んでいるんだろう。」
ソファーから立ち上がり、近くの本棚の前に立ってみる。棚にぎっしり詰め込まれた本を見ながら、顎に手を当てた。探そうにも司書がいない。法則がわかれば、どこに何があるか見当はつきそうだけれど、今見た本棚の中だけでも並べ方に法則はなさそうだ。
図書館内を歩きながら、背表紙を指でなぞる。見たことのない本ばかり並んでいて、知らない世界がまだたくさんあるんだと嬉しくなった。
「2階も、行ってみようかな。」
探検でもしているみたい。こんな状況なのにいいのかな、なんて思考が止めるよりも先に動き出す足。本棚のゲートを潜り抜けて、奥まったところにある階段を前にぴたりと停止。一応、と左右を確認してから一気に駆け上がった。
「世界の本だ……!」
ラングリッチ国内だけではなく、オルトリンデなど周辺諸国の歴史から大衆小説まで、数多くの書籍がずらっと所狭しと並んでいた。もしかして、と胸が弾み、跳ね始める癖毛たち。
見逃してしまわないように目を凝らして、本のタイトルを指でなぞりながら歩く。オルトリンデを通り過ぎて、ハットゥサ、エバンガ、そしてカタジール。ぴたりと、指を止めて一番上の段から順番に背表紙を辿っていった。
「……ない。」
急降下。ぴょこぴょこと顔を出していた好奇心はすっかり萎んでしまった。カタジールの小説や絵本まであるのに。期待が膨らみ過ぎて、反動が痛い。
どうせないだろうと思いながらももう一度一番上から探してみるも、やっぱりない。次は指差しながら、と考えて、留まる。
「ないものは、ない。」
いくら探しても、ないものはない。二回見た。目を凝らして見た。それでも見つからなかった。それが、全て。
二階を一周して、ゆっくり降りる階段。結局、元いたソファーに逆戻り。ぎしり、と音を立てて沈んでいく。すっかり冷めてしまったカモミールティーを一口頂こうとサイドテーブルに手を伸ばして、ふと気付く。
「……本?」
ソファーの肘置きと座面の隙間に挟めるようにして置かれた本。ネイビーのカバーに金字の背表紙。気付かなかったのが不思議なぐらい、不自然に置かれた本を手に取る。
「コルヴォ……!」
宝物を掲げるように前へ突き出す腕。すぐに隠すように自分の胸元に引き寄せて、抱き締める。肺を満たす、甘い香り――これだ。
「ちゃんと、読めるんだよ。」
ぽつりと口から溢れ出る独り言。まるで本に話しかけているみたい。それでも気にせず、表紙を開きながら落とす言葉。
「読めるようになったんだよ。」
繰り返し言い聞かすように。何度も挫折しそうになった。それでも、続きが読みたいと思ったから。
必死に頭の中で文字を追わなくても、ちゃんと読める。この童話の一番始め。
「森の奥深い場所に、一匹のタヌキがいた。彼はいつも人に化けては、森に来た人間を騙し、物を奪うような狡賢い奴だった。――森の、奥?」
ページを捲ろうとしていた指先が止まる。引っ掛かった、始まりの始まり。そして、残された言葉。
「見つけた。」
勢い良く立ち上がる。ソファーがぎしりと鳴くのを聴きながら、本を胸に抱え、まっすぐ見据える、扉。髪の毛が広がっていくのも気にせずに、一歩。また、一歩。速度を上げながら繰り返して、あっという間に扉の前。体当たりするかのように開け放ち、駆け出す。
「見つけた!」
今、答え合わせに行くから。




