二人の世界
とても静かな声。一声で辺りがしんと静まり返る。勝手に出そうになった涙を拭うようにして声がした方を振り返れば、目に入ったのは国王陛下の姿。兄上って国王だったのか。
「陛下!これは王太子である私への侮辱以外の何物でもありません!」
「……カスティエルよ、余興が過ぎたようだな。」
「違う違う……こんなはずじゃ……これは悪事を暴き、おれとリアが結ばれるための重要イベントなんだろ……?」
崩れていく、シナリオ。ガラガラと音を立てて、おれとセシリアの未来が、なくなっていく。
そんなおれを置いていくように手を取り合いエーデルガルトとアルマールが出口へ向かっていく。肩を並べて、真っ直ぐと歩く二人の姿はまるで――
「待て、アルマール!」
「連れて行けと仰ったのは殿下ではありませんか。」
「違っ……エーデルガルトをこちらに渡せ!」
「何故ですか?」
「くそっ!何でシナリオ通りにいかないんだよ……!こいつもバグなのか!」
「行きましょうか。」
颯爽と立ち去ろうとするアルマールの背中に投げつける言葉。それすらも片手で簡単に払われて、床に落ちていく。
エーデルガルトがいないといけないんだ。エーデルガルトがいないと……!
手を伸ばしても届かない。今度はおれを囲み出す騎士たち。セシリアと二人隔離される。騎士たちの壁の間を縫って聞こえる、アルマールの声。
「殿下。婚約破棄して頂きありがとうございます。」
歪んでいく世界。ぐらぐらと足元が揺れている。立っているのもやっと中、縋るようにセシリアに伸ばした手は空を切った。
その後の記憶ははっきりしない。目が覚めたように視界が開けた時には、自室のソファーに項垂れていた。やけ酒でもしていたのか、足元に転がる酒瓶で爪先を強打。痺れるような激痛で一気に覚醒した頭に浮かんだのはたった一つだけ。
「エーデルガルトがいるから、いけないんだ。」
そうだ、あいつがいるから、あのバグがあるからいけないんだ。
寝室のサイドボードの引き出しを漁り、手に当たる冷たい感触。握り締めれば、ずっしりとした重みを感じて、落とさないように気をつけながら、引き出しから取り出せば、薄暗い部屋に差し込む月明かりで鈍く光る。それを見ていると、不思議と研ぎ澄まされていくようだ。
おれは、知っている。自分の寝室に掛けられている森に横たわるタヌキの絵画を外せば、裏から現れるスイッチカバー。ロックを解除すれば、ピーッと機械音が響く。鍵の開く音と同時にスイッチカバーが開き、いかにもな丸いボタンを押せば備え付けられている本棚が動き、現れる通路。
「この世界は、おれの味方だ。」
だから、おれの知識は本物なんだ。確信しながらランタンを手に通路を進む。入り組んでいるこの通路の地図は頭の中にある。何度もプレイした自分にとって庭のようなものだ。
暗がりを進み、二つ目を右に。すぐそこを左に曲がり、真っ直ぐ進めば行き止まり。手探りでボタンを探せば、手に当たった感触を信じて、グッと押してみた。ガタガタと音を響かせながら、視界を埋め尽くす白。目が痛くなるほどの光を浴びて、飛び込んできた姿に手を伸ばす。
「セシリア……!」
「で、殿下……?」
驚くセシリアの手を引き、腕の中に閉じ込める。ちゃんと、ここにある。正しいヒロインはおれの腕の中。少しだけ距離を作り、ベビーブルーの瞳を見れば、まだゆらゆらと涙で揺れている。目の周りなんて泣き腫らしたのか真っ赤になって――
「可哀想に。」
「殿下、何故ここに……それに、それは。」
「大丈夫だよ。何も心配はいらない。」
「ちょっと待ってください、殿下。」
「二人でバグを消しに行こう。それがこの世界を正しくする唯一の方法なんだ。」
「殿下?!」
たじろぐセシリアの手を掴み、力任せに引きながら、来た道を戻る。後ろを歩くセシリアが何か言っているが、心臓の音がうるさくて何も聞こえない。
迷いなく暗がりを進むおれとは対照的に、足元が悪い中を訳もわからず歩かされ、時々躓いて転びそうになるセシリア。それに構わずに引き摺るようにして歩き進めて一つの壁。先ほどと同じように手探りでボタンを押せば、迷いなく飛び込んで突き立てた鈍色の塊。フラッシュのような強い光が目に飛び込んできて怯んだ一瞬の内に、おれの喉元を掠めた、剣先。
「あなたって人は……。」
呆れたような、悲しそうな声音で溜め息を吐いたのは、おれに剣を突きつける騎士の後ろで、天井を見上げて目も合わない側近だった。
「何で……!」
「アルマール様ですよ。」
「また、あのバグが……!」
「もうやめて!」
響く金切り声。ぎこちない動作で振り返った先に、震えながらおれの腕を必死に掴んでいる、ヒロイン。
「殿下、カスティエル殿下っ。……もう、やめましょう。」
「お前もか、セシリア……!」
「違います……違うんです、私の好きな、好きだった殿下は。」
「ついにお前もバグにっ。」
「殿下は春のような人だった。」
「何をっ。」
「私の好きだった殿下は、春のような人だったんです……!」
「セシ、リア……。」
滑り落ちる、短剣。高い金属音を響かせて、ゆっくりと床に転がった。膝から崩れ落ちるおれの元にやってきた側近は、足元に転がる短剣を拾い上げて、騎士を少し下がらせる。
「もう、聞こえますよね。」
そう言って、馬鹿な人だな、と笑ったモーリスの目に少しだけ涙が浮かんでた。




