不正解
「もうお聞きになりました?あの話。」
「ええ。勿論聞きましたわ。」
「私はそうなると思っていたわ。」
ビビッドカラーのドレスを纏い、扇で口元を覆うおしゃべり。その内容は聞かなくても嫌でもわかる。
「それなら早く自国に帰ればよろしいのに。」
くしゃり、と小さく音を立てた書類。いけない、大事な書類だったと慌てて皺を伸ばそうとして手が止まる。
「セシリア様が可哀想ですわ。」
「この間なんて、セシリア様がロイスター伯爵家のお茶会で泣いてらしたのよ。靴に針が仕込まれていたんですって。」
「まあ、なんて陰湿な。」
「本当オルトリンデの姫は陰湿ですわ。」
――それは初耳だ。
元々オルトリンデとの婚約による国交に反対の声が多かったのは知っている。第二皇女となんて馬鹿にしているのか、と。それでもラングリッチの国王と兄である皇帝はこの婚約を押し切ってしまったから余計に反感を買っているのだと思う。
兄はこの状況を知っているのだろうか。まあ、あの兄のことだから知ったところでニコニコと腹黒い笑顔で笑っているだけだろう。首が痛くなるほど高い天井を見上げながら祖国にいる兄を思うと苦笑が漏れた。
「エーデルガルト姫。」
「……アルマール様。」
びくりと跳ねる肩。振り返れば、常時微笑みを絶やさない独身貴族筆頭として有名な近衛騎士団長のアルマール様が立っていた。ホッと安堵の溜め息を吐きそうになって気付く。過敏になっているな、と。
「こんなところで何を……ああ。注意してきましょうか?」
「いえ、大丈夫です。」
抱えた書類と廊下の先を見つめ、何かを察したアルマール様の申し出を手で制しながら断る。どうせ、すぐに解散するだろう。いつもそうだから。
壁に背を預け、床の模様を見つめながら時が過ぎるのを待つ間に、思わず出そうになった溜め息を反射的に飲み込んだ。いけない、アルマール様がいるのをすっかり忘れていた。廊下の先を見つめるオリエンタルブルーの瞳がこちらを見て、ばちりとぶつかる視線。
「私に何か用がありましたか?」
「何故?」
「だって、ずっとここにいらっしゃるから……。」
訝しげに見つめれば、顎に手を当て、天井を見ながら何やら考えている様子。瞬く間にパッとこちらを見下ろし、何か思いついたような顔でにっこりと笑った。
「私もこの先に用があるんです。」
「アルマール様が?侍女長に?」
「………………ええ。ちょっと、そうですね。侍女長に。」
「ちょっと、侍女長に……?」
「……確認…………のような、ええ。」
アルマール様が侍女長に確認って何だろう?侍女長と確認をしなければいけないほど、何か大変なことでも起こっているのだろうか。だってこんなにも言いにくそうにしているし。
「あの、急ぎ、ですよね?私に構わずお先にどうぞ。」
「えっ……と、急ぎ、というほどでは。」
もしかして、私に気を遣っているのだろうか?廊下の先にいる令嬢たちの会話を聞いていただろうし。それなら申し訳ないな。
確認のため、ちらりと廊下の先を見れば、まだ令嬢たちは噂話に余念がない様子。忙しいであろう近衛騎士団長のアルマール様を私のせいで足止めしてしまっていることに罪悪感が募っていく。それを見かねてかアルマール様がちらちらと廊下の先を見ながら、私の耳に口を寄せて。
「子猫を拾ったので、ちょっと相談を、と思いまして。」
「子猫、ですか?」
「ええ。とても可愛らしいのですが、飼うのは難しいので。」
「どうしてそれを侍女長に?」
「……侍女長が、猫が好きだと……確かそんな話をどこかで……聞いたような…………聞いていないような。」
それって、どっちなんだろう?
耳に掛かった息でくすぐったさを覚えつつも、離れていったアルマール様と全然目が合わない。左へ右へと移動している瞳を見ながら、もしかしたら子猫が心配なのかもしれないと思い至る。それなら尚更早く侍女長に相談に行ってもらわないと。
「あ、もうどこかへ行ったみたいですね。」
「そうみたいですね。」
アルマール様の様子を窺っている間に噂好きな令嬢たちはどこかへ移動してしまったらしい。やっとこれでアルマール様が侍女長と子猫の相談ができる。私は後ででいいからアルマール様から用事を済ませてもらおう。私も子猫が心配だし。
隠れていた廊下から二人で足並みを揃えて出ると、侍女長室はすぐそこ。こんこん、とノックをし、中から入室許可をもらうと二人揃って開いたドアの中へ。私たちの顔を交互に見比べながら、最後アルマール様の顔に狙いを定めた侍女長が溜め息を溢しながら立ち上がった。
「珍しいこともあるもんですね。アルマール様が私のところにいらっしゃるなんて。」
「そうですね。少々込み入った話がありまして。」
「そうですか。じゃあ、先にエーデルガルト姫からどうぞ。」
「いえ、アルマール様からで大丈夫です。」
「だそうです。アルマール様、どうぞ。」
「…………エーデルガルト姫をお待たせするわけにはいきませんので。私は後から。」
「そんな!子猫はどうするんですか!」
「…………猫。」
「………………猫です、はい。」
見つめ合いながら謎の頷きを繰り返す二人。言葉を交わさなくても分かり合えるほど二人は通じ合っているということだろうか。不思議な気持ちでやり取りを見守っていると、こほん、と侍女長が咳払いを一つ。次いで、私の方へ向き直ると、もう用はないと言わんばかりにアルマール様を手で追い払った。
きっと子猫が心配なアルマール様を早く帰してあげたのだろう。侍女長の優しさに私も見習わなくちゃ、と思い、背筋を伸ばして、手にしていた書類を手渡す。書類にざっと目を通した侍女長がググッと眉根を寄せたのがよく見えた。
「――セシリア嬢の部屋を王宮に?」
「はい。」
「カスティエル殿下が?」
「はい。」
「これをあなたが私に持っていくように、と?」
「……そう、ですね。」
「はあ……どうしてしまったのかしら。」
頭が痛い、とこめかみを揉む侍女長の姿に申し訳ない気持ちになる。侍女長はいつだって平等で、厳しくも温かい人だ。そんな人を自分の至らなさで悩ませてしまっている現実が噂話よりも辛い。
「……わかりました。カスティエル殿下には私の方から話しておきます。」
「ありがとうございます。」
「エーデルガルト姫。」
これ以上忙しい侍女長の時間を奪ってはいけない、と急いで踵を返す私を呼び止める優しい声。振り返ると困った顔で笑う侍女長と目が合った。
「……そこにいるアルマール様に子猫でも見せてもらいなさい。少しは疲れも取れるでしょう。」
「はい……?」
――早々に退出したアルマール様?
不思議に思いながらドアを開けて、廊下を覗き込むと、すぐ側に立っていたアルマール様と目が合った。気まずそうに頬を掻きながら笑う顔は、初めて見るのにどこか懐かしい。
「……子猫、見ますか?」
「ふふ。はい!」
思わず大きな声で頷いて、口元を押さえる私を見て、何とも言えない表情をしてから、目を細めて笑った。




