たまゆら~白狐美女の誘惑⑤口吸いと帰還
「……狐なのか」
律くんが、呟いた。
「うん……。私たち化かされてるのかな」
「妲妃か玉藻の前か……男を骨抜きにする狐の話はよくあるもんな」
本当に物語か、夢の中なのかもしれない。
それでも、妖狐に生気を吸われると分かっていながら、律くんを犠牲になんかできない。
諦め切れず、もう一度、出口を探すことにした。
多分ここにきてもう数時間は経っているのに、外の光景は変わらない。
雨も、明るさも。
門扉を何度も出たり入ったりする。
さっき試した時は気付かなかったけれど、律くん一人なら、やはり外に出られるみたい。
私から見ると、先を歩く律くんの姿は消える。
そのまま離れることもできそうなのに、戻って来てくれてるんだと思う。
本当に申し訳ない。
建物の中も調べた。
延々と繰り返すように同じような部屋が続いていて、どう考えても外から見る敷地より広い。
でもお風呂もトイレもキッチンもない。
電話もパソコンもないし、そもそも家具家電がほとんどない。
そう言えばここに来て、トイレにいきたくもならないし、お腹も空かない。
「ナニしてる?」
サクちゃんが立っていた。
「サクちゃん……」
大きな狐の耳。瞳がキラキラ金色に光っている。
「サクちゃん、私たち、二人で外に出たいんだ」
「ソト……」
サクちゃんは首を傾げた。
私たちの顔を見比べて、言った。
「マホロ……ムリ。生気タリない」
「……やっぱり」
朧さんと同じこと言ってる。見たら分かる差があるんだろうか。
私は元気だけど、幻想を打ち破るような力は足りないのかもしれない。
女だからなのか、個人的能力のせいなのか分からないけれど。
「何か、方法ないかなあ?」
朧さんの娘なら、サクちゃんが協力してくれるとは期待できないかもしれないけれど、わずかな希望でも縋りたかった。
サクちゃんは、少し考えた。
「……おたあさま、オトコ、クチから、生気スウ」
「うん」
「マホロ、スえば」
サクちゃんは、律くんを指した。
「え?」
律くんも思わぬ話に目を見開いている。
「私は、人間だし、生気吸うなんてできないよ?」
「デキる。オンナ、オトコからモラう」
サクちゃんが息を吸い込むように自分の口を指した。
「本当に? でも、どうして教えてくれるの?」
「しっぽ」
サクちゃんが、パタパタと尻尾を振る。欠片を探したことを言ってるのかな。
サクちゃんは、勢いよく走って行った。
「本当かなあ……?」
私は、律くんを見る。
私が、律くんから生気を貰えば、ここから出られる?
サクちゃんは、私にもできると言ったけれど、真実なのだろうか。
「……試してみたらいい」
律くんがポツリと言った。
「え……?」
「俺から取っていいよ。生気」
「でも……」
「あの人が俺から取ったら、俺はミイラになるんだろ。それでも、まほろがここから帰れるとは限らない」
「うん」
「まほろが俺から取って、うまいこと加減できるなら、二人で帰れるかもしれない」
「……加減できるのかなあ」
私が、生気を吸えたとして、吸いすぎたら、律くんはミイラになってしまう?
「分からないけど、他に出来ることはないし、試す価値はある」
「でも、それって……」
律くんの口から生気を貰うってこと?
( ……キスするってこと…?)
想像して、急に恥ずかしくなった。カアっと自分の頬が赤くなるのが分かる。
律くんはそれを察してか、一度静かに目を伏せて、改めてまっすぐと私を見た。
「いいよ、俺は。人命救助のための人工呼吸みたいなもんだろ」
「人命救助……」
(そうか……。律くんは私を助けようとしてくれている。勝手に恥ずかしくなる方が失礼なのかも……)
そうは思いながら、ドキドキする気持ちは止められない。
だって、キスなんかしたことがないし……。
◇
私たちは、一つの部屋の中に座った。がらんとした空間。
薄暗く、ひんやりとした空気が漂う。
相変わらず、降り続いている雨音が聞こえる。
木材なのか、外からなのか、木の匂いがする。
「ごめんね……律くん」
「……何が?」
「……いろいろ……。こんなことになっちゃって……嫌だよね……」
いくら律くんが、善行に努める正しい人でも、こんなところに迷い込んで、私から生気を吸われるなんて、愉快じゃないと思う。
思い起こせば、十年以上の付き合いで律くんから好きな女の子の話を聞いたことがない。
硬派だし、お寺の手伝いなども忙しそうだし、疑問に思ったこともなかった。
でも……いるのかもしれない。確かめるのも、怖いけど。
私は、彼女でもないのに……いいのかな……。
グルグルいろんな思考が頭を巡る。
律くんは、そんな私の葛藤を読み取ったのか、私の顔をじっと見つめて、静かに言った。
「別に……嫌じゃないよ」
「律くん……」
涙が出そう。本当に、律くんと外に出たい。
「……じゃあ、いっ、いきます!」
私は、大きく深呼吸して床に座っている律くんの前に膝をつく。
「……色気ないな。高飛び込みでもするみたいだ」
フッと律くんが笑った。
「二人で帰れる。大丈夫だ」
ゆっくりとした声で言って、私に手のひらを差し出す。
私は、その上に手を乗せる。
「あ……あったかい……」
律くんからじんわりと穏やかなエネルギーが流れてきて、体に入って来るのを感じる。
優しい愛情のような、深い安心感のような、心のすき間がゆったりと満たされる感覚。
よく目を凝らせば、律くんの全体から、淡い陽炎のようなものが立ち上って見える。
(これが、生気なのかな……? この世界だから分かるの……?)
律くんが、そっと目を閉じる。
白くきめ細かい肌に、濃く長いまつ毛が映える。
私は、律君の手に手を重ねたまま、律くんの形が良い唇にそっと自分の唇を近付ける。
どっち向きにしたら良いのかななんて迷う。
ドキン、ドキン、と心臓がうるさい。
外の雨音が、やけにはっきり聞こえる気がする。
(これは、キスじゃない。 人命救助してもらってるだけ)
何度も自分に言い聞かせる。
まだ触れていないのに、律君の唇の温度を感じた。胸の奥がぎゅっと縮まる。
息が当たる距離で、律くんのまつ毛がかすかに震えた。
触れ合う手の指先からもお互いの心音と熱と緊張が伝わる。
あと3センチ……と思った瞬間、空気がふっと揺れた。
「あれ?」
私の声に、律くんが目を開ける。
――「バイバイ……」
小さな女の子の声が、確かに耳元で響いた。
◇
次の瞬間、私たち二人は、登山口の神社の祠の前にいた。
私たちの服装は、朝着てきたもの。
青空が眩しい。鳥の鳴き声が聞こえる。
「戻った……?」
スマホを見る。ちゃんと電波は立っているし、時間も朝ここに来た時から進んでいない。
「やった~!!」
私は、思わず律くんに抱きついた。
律くんの体は、ちゃんと暖かくてしっとりしていて、戻れた感覚がなおさら実感できた。
「……どうして、戻れたんだ?」
律くんは周囲を見回す。
「律くんの手から生気が流れてくるの感じたよ! あれで足りたんだと思う。吸わなくてもよかったんだ! ありがとう!!」
「……そっか……」
律くんは、自分の手をしげしげと眺めた。そして掠れた声で呟いた。
「……もう少し後でもよかったのに」
「え?」
「何でもない……」
律くんは、慌てて目を逸らす。何やら少し耳が赤い。
ふと、祠を覗くと、狐像の尻尾の先は、くっついていた。傷跡もない。
そして、奥にもう一つ、一回り大きい狐の像があった。
さっきはなかったはずなのに……。
真っ白な体に、目と口の周りの赤いラインが鮮やかだ。
足やお腹の曲線が何だかなまめかしい像だった。
私は、大きく伸びをする。現実世界の空気を思い切り吸った。
「ほんと、良かった~! よし、律くん茶店行こう!! お餅食べよう!」
「そこは、ブレないんだな……」
律くんは呆れている。
とても不思議な経験をした、秋の一日。
この話がまだ続くとも知らずに、私はあんこ餅を堪能していた。
たまゆら(完)
お読みいただきありがとうございました。残念キス未遂でした。
白狐朧編終了ですが、次回、息子出ます。
土曜10時更新します。




