たまゆら~白狐の誘惑④美味な男
律くんと二人で、もう一度出口を探して、屋敷の周りを巡る。
「どういうこと?」
「さあ......夢なのか、それとも異界に迷い込んだか。麓の神社から、何か違和感はあったんだ」
私も、景色が歪んだ気がしたのを思い出した。
「スマホの電源も入らなくなったし、何か時間の流れもおかしい気がする」
「確かに……」
霧のせいもあるけれど、外の明るさも一定で時間の感覚がない。
私のスマホも充電が十分残っているはずなのに、画面が薄らぼんやりと光るばかりで時間を見ることもできない。
「俺たち、神隠しにあったのかもしれない」
「神隠し? じゃあ、朧さんは神様なの? 律くんのこと、とても褒めてたけど」
巫女として言わせてもらえば、神様はいたずらに人をさらったりはされないと思う。
「零感なのは欠点だと思ってた。”神隠し”は、神とは限らない。昔、旅人が屋敷に一人住む美女に生気を抜かれてミイラになる民話聞いたことがあるけど、あれは山姥だったかな……」
律くんが言いながら、ふと、立派な庭園の端に目をやった。
こんもりした山がある。
そこだけ、頻繁に掘り返しているようで、周囲に比べて草がまばらだった。
土の中から、白くて硬そうなものが、わずかに覗いている。
恐ろしいことを想像してしまう。
すっーと頭から血の気が引いて、背中を冷たい汗が伝った。
「り……律くん、一人なら、で……出られるって……」
声と足が震える。
すごく怖いけど、朧さんは男性の生気を取るって言っていたし、私より律くんの方が危険かもしれない。それに、律くんは本来ここに来る人じゃないと、朧さんは言っていた。
律くんは、しばらく黙って私を見つめていた。
「……まほろを置いて一人で帰れって?」
「……うん……だって……わ……私がついて来てもらわなければ、律くんは……」
怖いけれど、とても怖くてたまらないけれど、律くんがミイラにされるより、マシだ。朧さんの話通りなら、女から生気は吸わない……はず。
……朧さんの息子が帰ってきたら……なんて、考えたくはないけれど。
「……できるわけないだろ」
律くんは語気を強めた。
「律くん……でも……」
「人としても、男としても嫌だ。まほろを守ってほしいって、まほろの祖父さんにも頼まれたんだ」
律くんは、きっぱりと言い放った。
申し訳なさとありがたさと、心強さと、いろんな思いが胸を満たす。
「必ず、二人で帰るぞ。俺は、過去一、まほろと一緒に来て良かったと思ってる」
律くんが、真っ直ぐ私を見て、少し照れたように微笑んだ。
「律くん……」
鼻の奥がつんと痛くなる。
巻き込んでしまったのに、律くんがいてくれて、本当に本当に良かったと思う。
◇
「どうしたら、二人で帰らせてもらえますか?」
お座敷に戻り、律くんが、朧さんの前に座って詰め寄る。
朧さんは、金色の瞳で愉快そうに笑った。
「ここへ来はる男衆は、皆どこか脆うてのう。おぬしほど甘うて強い気、千年ぶりどすえ。ちぃとばかし、うちに吸わせてもろて、よろしおすやろ?」
ペロリと舌なめずりをして律くんの上から下まで見つめる。
色っぽいけれど、ゾッとさせる視線だった。
律くんは、拳を握る。しばらく唇を噛んで、口を開いた。
「……彼女を、助けてほしい」
律くんが私を指す。
「律くん……」
ジンと涙腺が熱くなる。
「命を賭して女を守りますのえ……?」
ふふっと朧さんが笑う。
「ええ匂いどすなぁ……その男気、よう熟れて、うちの舌が疼きますわ」
朧さんが立ち上がって、奥の襖を開けた。
中は―――寝室だった。
赤い帯地のような織物が何本もカーテンのように天井から掛けられていて、その隙間から絹地の白い布団が敷かれているのが見える。脇には一組の行灯が赤い光を放っている。
昔テレビで観た、遊郭の映像が頭を過った。
「男衆は、この世のもんやない悦びに……果てていかはりますのえ」
ケラケラと笑う朧さんの声は、人間のそれではなかった。
壁に映る朧さんの影は、 まるで墨を垂らしたように濃い。
影の中から、何本もの腕とも尾ともつかないものが ゆっくりと伸びては縮み、 生き物のように蠢いていた。 その動きは、私たちを見て笑っているようにさえ見えた。
律くんは、部屋の重苦しい空気を振り払うように、そっと目を閉じる。
お寺の本堂で手を合わせている時の律くんの姿と重なる。
私は、この部屋で律くんと朧さんが二人で過ごす姿を想像して、背筋が冷えた。
——どちらの意味でも。
「だめー!!」
私は、律くんを引っ張って、部屋の外に出る。
「まほろ?」
廊下を走って、玄関付近の、柱の陰に身を寄せた。
「絶対、嫌だよ。律くんが……」
律くんが私を救おうとしてくれているのは分かってる。
でもそれなら尚更我慢できない。
一人で残された方がよっぽどいい気がする。
「まほろ……」
律くんは困った顔で私を見ている。
「二人で無事に帰る方法はないのかな?」
普通の状態ではないから、なおさら思いもつかないけれど、悔しい。
とにかく、何が何でも、律くんを朧さんの生贄にするようなことはしたくない。
「マホロ……?」
背後から声がした。
振り返ると、入り口に立っていたのは……。
「え? サクちゃん? 何でここに?」
神社で泣いていた、あのサクちゃん。
今はニコニコご機嫌そう。
サクちゃんの背中で何かが揺れた。
白くてフサフサしたもの。
「尻尾?」
「しっぽ、なおった」
サクちゃんは、笑顔でお尻から出た尻尾を振る。
次の瞬間、頭の大きなリボンが、三角の耳になった。
そもそも、元々、本当にリボンだったのだろうか?
記憶もあやふやだ。
「……狐?」
「サク、帰ったんやなぁ、遅かったやないの」
いつの間にか気付かないうちに朧さんが立っていた。
「おたあさん」
サクちゃんが朧さんに飛びついた。
二人は目だけでなく、髪も肌質もとても似ている。
母娘だったんだ……。
……ということは、朧さんも……。
朧さんがサクちゃんを抱き上げ、優しく頭を撫でる。
かばう様に私の前に立ちはだかった律くんに流し目を送って踵を返した。
「……そうか、しっぽをなぁ。そら痛かったやろ……帰られへんかったんやなあ 」
朧さんは、サクちゃんの無音の言葉にそっと頷きながら、部屋へ消えていった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
完結までできているのですが、手直しに時間が掛かっているため、週3回更新予定しております。
よろしくお願いいたします。




