よりしろー寂しき憑依(律)
小学生の頃。
神社境内の前で、まほろの祖父さんが穏やかに言った。
「律くんも、願いごとしてごらん」
「……願いごと?」
「神様……君のところは仏様かな。どちらもお優しいから、何でもお願いして大丈夫だよ」
俺は、しばらく考えた。
でもやっぱり何だか、自分が何か望むのはいけない気がして、首を振った。
でも、その後もずっとその話が引っかかっていた。
もし……何でも許されるなら?
ある日の夜、誰もいない寺の境内で、俺はそっと手を合わせた。
◇
その日のまほろは、とてつもなく「変」だった。
晴天の日曜午前中。
爽やかな風が吹く神社の境内で、一心に闇を背負っていた。
俺は「零感」だから、あくまで雰囲気だけど。
中学校時代のジャージに、麦わら帽子のまほろは、ずっと何かブツブツ言いながら、ブチブチと引きちぎるように草むしりをしている。
俺は、その草や落ちてたゴミなんかをゴミ袋に回収する。
いつもなら、「律くん、ありがとう~」なんて、ふにゃふにゃ笑うのに。
今日は、こちらを見もしない。
さすがに、声を掛ける。
「……どうした?」
やはり、こちらを見ない。
八つ当たりのように、両手で草を引きちぎる。
「……何でもないよ」
まほろは、やっと絞り出すように答えた。
麦わら帽子の影が、まほろの顔に落ちていた。
「嘘だ」
断言できる。
十年以上、そばにいて、これほど目が合わないまほろは初めてだ。
いつもは、困るぐらい見てくるのに。
まほろは、観念したように話し出す。
「……お父さんがね……」
「ああ、まほろが小さい時、離婚した?」
「……再婚してて、それはいいんだけど。私の異母弟?
サッカー得意らしくて、熱心な父親としてインタビューされてたんだってテレビで」
少しの間があって、小さく呟いた。
「……私には、一度も会いに来ることもないのに」
「……そうか」
俺には、それしか言えなかった。
「あ……」
まほろが、草むしりの手を止めた。
小さな石の祠が、顔を出していた。
かなり古いものだろう。
高さは30㎝くらいかな。ひび割れて、欠けもある。
生えた苔が、まるで焼け焦げたように黒ずんでいる。
周囲に立札などないか探したけれど、何らかの情報が分かるものは見当たらなかった。
「知らなかった。お祖父ちゃんは大切にお祀りできてたんだろうけど、申し訳なかったな」
まほろが軍手のまま、祠に軽く手を合わせる。
その時、祠からまほろの中に何かが入ったのを、俺は知らなかった。
◇
次の日の朝。
登校のため、まほろを迎えに行く。
神社の石段下が待ち合わせ場所。
昨日の今日で、少し心配していた。
でも、まほろの様子は想像を超えていた。
「律くん、おっはよー!!!」
超ハイテンション。何かのねじが飛んだのだろうか。
そして、まほろは、両手で、俺の腕にギュウっとしがみついた。
「!!!!」
まほろの体の形が、制服越しにダイレクトに伝わる。
全身の血が、一瞬で沸騰するかと思った。
焦って腕を引き抜こうとすると、まほろが、縋るような目で見上げてくる。
「落ち着くの。だめ……?」
……陥落。
俺の思考は、動きを止めた。
その後も、まほろの壊れた距離感と格闘し、理性が擦り切れかけてぐったりしたその日の夜。
寺の戸締りをしていると、通用口にまほろが姿を現した。
いつものように髪は縛っていなくて、ほんのり湿っているように見える。
柔らかい素材の服。
部屋着なんだろう。
風呂上がりっぽい。
「どうした……?」
「律くん、泊めて」
「え?」
ドクン! 心臓が跳ねた。
「一緒に寝よう。今日、お母さん出張なの」
子どもの頃、何度かまほろの家に泊まったり、一緒に昼寝したことはあるけど、さすがにこの年では無理すぎる。危険すぎる。
「寂しい……」
まほろが、うるうるしながらべったりくっついてくる。
驚くほど力が強い。必死に体を引き離しながら、問いかける。
「まほろ、一体どうした? おかしいぞ」
「そうかなあ? ねえ、律くんもっと……」
……これは、まずい。
濡れた瞳と唇が、目の前にある。
冷静になるため、頭の中で『正信偈』を必死に唱える。
親鸞上人でさえ、情欲に抗えず悩まれたそうだ。
凡夫の俺に、耐えろと……?
ふと気が付いた。
まほろがおかしくなったのは、あの草むしりの後。
「まほろ、お父さんのこと……」
敢えて避けてたけど、きっかけはこれだろう。
慰めることができたら、少しは戻るかもしれない。
まほろは、すん、と真顔になった。
「お父さん? 養育費も払ってくれないんだって。その分、お母さんもお仕事大変」
「おじいちゃんも死んじゃった……」
ボロボロと泣き出す。
そして、次の瞬間、表情が全くなくなった。
ひやりとした空気が流れる。
「……マッタク、ドイツモコイツモ、人間ハ、スグイナクナリオル。
我ヲ、独リ置キ去リニスルトハ、何ゴトゾ?」
「まほろ?」
その言葉は、まほろの口から出たのに、まほろの声ではないような、暗く、深い、地響きのような音だった。
まほろの体は、グラグラと左右に揺れている。
……救急病院に連れて行くか? いや……こういうのは何科なんだ?
住職の父は、今日は会合で遅い。
すぐ俺にできることは、多くない。
まほろの手を引いて、本堂に入る。
急いで線香をつけ、和袈裟を掛け、仏前に座る。
まほろは、俺に寄りかかるように座っている。
目は虚ろで、焦点が定まっていない。
まほろが、「律くんのお経、落ち着くの」そう言っていたから、それだけが、たのみだった。
読経を始めると、しばらくして、まほろが涙を流し始めた。
さっきの、低い声で「サビシイ、サビシイ……」そう繰り返し呟いている。
俺は、読経しながら、まほろの手を握った。少しひんやりしていた。
何とか、こちらに連れ戻したい。
「……寂しいよ。私と一緒にいたい人、いない……」
今度は、まほろ自身の声。
ボロボロと両目から涙が零れる。
幼い頃のまほろの姿が重なった。
「俺は、子どもの頃から、ずっと……まほろのそばにいたいと思ってる。生きてる間も……その先も」
----あの日、本堂で願った。
線香の煙が、大きく揺らめいた。
「律くん……」
まほろが、両手で縋りついてくる。
泣き止むまで、その背中を撫で続けた。
◇
次の日の早朝。
俺は、ひんやりする廊下に座っていた。
半日いろんな汗をかいて、着ていた作務衣がしわしわだ。
カタン、音がして、襖が開く。
布団に寝かせていたまほろが、顔を出した。
「律くん? 私、何でここに?」
戻ったみたいだ。
「何だか、律くん、すごく疲れてる。寝てないの? 大丈夫?」
俺の横に、膝をつくまほろ。
「……まあ、いろいろあって……、一晩で十年分修行した気分」
まほろは、はてなをたくさん浮かべていたけど、俺には、それしか言えなかった。
◇
次の日曜日。
先週、草むしりで出てきたあの祠を、二人で整備することにした。
周囲の草をすべて刈り、石を磨き、お酒とお米を備えた。
「どうかな? おじいちゃんがどんなお祀りしてたか分からないけど…」
「俺、お経あげに来ようかな」
「本当? それはうれしいな! 私も、もっと祝詞練習しようかな」
笑顔のまほろ。
木漏れ日の中、草いきれが漂う。白く小さな花。微かに甘くリンゴのような香りがする。
「これ、まほろのシャンプーの匂いだ……」
思わず呟いた。
握っていた草を、まほろが確かめて言った。
「カモミール? そうだけど、律くん、何で知ってるの? 乾いたらそんなに香りはしないはず」
まほろは、自分の髪を嗅ぐ。
あの夜のこと。
熱をもって忘れられないなんて……とても言えない。
よりしろ 完
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