第29話 魔橋の山⑫
ペトロニラ・フェルネル、テンシュタンへ訪れた初日に掲示板で見た名前だ。罪状は女神の権威を否定した罪。
「つまり、私たちが話していたミカエルさんはいなくて、最初からペトロニラさんだけだったと……」
「その通りです」
目の前のペトロニラと名乗る女性は再び山羊の頭骨を被ると上品にお辞儀をした。
「ごめんなさい。騙すつもりはなかったのですが、お館様からもお嬢様からも指示を受けていたもので……」
「お館様……お嬢様……」
話が見えてこない。わざわざ老人の姿になり突然話しかけて来たのだ。何かしらの意図があるのはわかる。しかし、お館様もお嬢様と言われる人物も思い当たる節がない。
「ふむ……。甘香さんは分からない様ですが、麻友さんは薄々感づいているのではないですか」
「なっ!どうしてその名前を」
アフラが驚く中、麻友は冷静に語りかけた。
(魔女について尋ねられた時、あの魔女つってたろ。恐らく、処刑されたただの町民じゃなくて、聖典に載ってないだけでいたんだ。複数人な)
「魔女が複数人いた……!」
身体の中で話す麻友の言葉に思わず、表に声が出る。
「麻友さんに今教わりましたね。まあ、そういうことです」
メイドはそう言うと微笑みながら肯定する。しかしその声色は明らかに私のことを軽蔑するものであった。
「あなた達の言う魔女からは監視だけでしたが、お館様からは生きて連れてくるように言われてますので手助けをしましたが、あの程度の人数を突破できないとは」
「っ……」
自分の弱さを指摘され、胸が痛む。
(だけど、あの人達は私に害があっただけで、悪い人たちじゃ。むしろ、正しい人たちであったはず……)
橋の上で強行突破しようと思えば、文字通り信徒たちを投げ飛ばせば、落下し安全に倒せただろう。しかし――
「もし、橋で倒せてたらどうなりましたでしょう……。下は崖です。何人かは亡くなっていました!」
「結局、その結果、捕らえられ、麻友さんに殆どが殺されまいたがね。あそこで数人を崖から落とすだけで視界を奪われても逃げ切れるほどの体力は温存できたでしょうに」
「……」
ペトロニラの言うことは正論だ。あそこで信徒たちにトドメをさせなかったせいで、結果としてこれだけの死者を出し、町には火の手が上がっている。
「まあ、それでも――“あなたは選ばれた”のですよ。お嬢様はともかく、お館様は受け入れてくれます。そもそも“助けろ”という命令はお館様のもの。あなたの判断ミスなど、上手く“帳消し”にできました」
声色が急に優しくなる。
「魔女について知りたがっているようでしたし。私と一緒にお館様の元へ行きませんか?」
「へ……?」
突然の誘いに虚を突かれる。
「聖女としての役目は……ご覧の通り、もう駄目でしょう。でもあなたたちは魔女について知りたがっている。でしたら、かつてイャザッタに恐れられた魔女の内、1人であるお館様の元へ行くのは悪い話ではないのでは?」
「あ、あの……わ、私は……」
この町に来てから、聖女としての役目、教会の現実、どれが正しくて間違っているかわからなくなっていた。
マリンサ村でみた、魔女の仲間を名乗る男の凶行、教会のテンシュタンでの行き過ぎた統制。どちらも自分の前世と今世の価値観を塗り替えるような強烈な経験であった。人間は誰しもがどこかでは善い心を持って正義のために行動している。しかし、どうだろうか、メレンゲに正義はあったか? プロリン師の正義は人々を幸せにしたのか?
もし、イャザッタ様すらも上回る存在である魔女に会えば解決するのではないだろうか……。
(騙されるなよ)
(!?)
(もう1人の魔女がどんな奴かは知らねぇが、あいつは明らかにお前をコントロールしようとしている)
麻友が警告を発する。
(コントロール……)
(誤った情報を元に相手を否定して、その上で私に従うしか無いって結論づける、いわゆるガスライティングって奴だ)
(でも、彼女の言うことは正しいです……)
(んな訳あるか。ミクロに功利的に考えれば、そういった面もあるが、信徒を殺したのも、そもそも襲われる原因を作ったのもあたしだ)
(でも……)
(でもじゃねぇ。だからアフラお前はいい子ちゃん過ぎるんだよ。それにてめぇは既にあたしとメレンゲ、2人殺してんだろ。信徒たちと同じで仕方なくな)
(ならっ!余計に!)
(そう、誰も正しい奴なんかいやしねぇ。なのにお前だけだ。自覚無しにいい子ちゃんでいようとしているのは。少しは我儘になれ、魔女みたいにな)
(我儘に……)
清く正しく生きろ。前世からそう強要されて来た。最後に両親へ甘えたのはいつだろう?麻友の言葉に前世の記憶が駆け巡る。いつ?誰が?私の将来を決めたの?どうして、生命は終わってしまったの?巡り合わせ?じゃあ、いつになったら自分の人生を歩めるの?
「わ、私は……」
「ついて来てくれますよね?」
「私は……行きません!そして、あなたの言う魔女さんも聖典の魔女さんもどんな人かは知りませんが、私は彼女たちを否定します!いくら私が正しくなくとも、あなたの言う魔女が正しくないのはわかります。今は正しくなくても――たとえそれが我儘でも、私は正しいことの中で生きていきたい!」
(それでいいんだな。アフラ……)
「そうですか……」
アフラの回答を聞くと露骨にペトロニラの声色が低くなる。
「なら、お館様には残念な結果となったとお伝えます。ただ……」
メイドは指を突き上げ言った。
「お館様の愛を理解できないようなら、死になさい。《稲妻の招来》!」
辺りを火の海にした稲妻が容赦なくアフラの頭上へと落ちる。
その瞬間――
ドゴォッ
「な、なんで……!?」
アフラの生命を奪おうとしたその稲妻はアフラに降り注ぐ直前で折れ曲がり、何も無い地面へと落雷する。
「《魔術師の盾》――燃費が良いとは言えませんが、防御魔法の中では基礎的なモノですよ」
その声にはもう迷いがなかった。炎の揺らめきが、決意の光に見えるほどに。
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