ノワールさんの苦労
「パパ、お代わりください」
「はいはい、そんなに急いで食べなくても食事は逃げはしませんよ」
捕られた少女にひたすらお代わりをよそっているのが私、ノワールである。いや、何がどうしてこうなった。
「いくら何でも捕らえた女の子に『パパ』呼ばわりさせるのはドン引きするぜ・・・。なあ、離婚するか? オレ達」
「私だってこうなるとは思っていませんでしたから、その話はいつかしましょう」
「わかったよノワール。だが、家でくらいその暑苦しいモン脱いだらどうだ? 魔術師って連中がやたら奇抜な格好を好むのは分からなくもねぇがな。そうだ! いっそオレが脱がしてやるよ。久々の夫婦の営みってやつだ。ほら、最近ご無沙汰だったろ」
「いや、そんな場合じゃないってやめなさい! 仮にも淑女でしょうが!」
私を床に押し倒して勢いよく服を破り始めたのが妻のアイーダ。短く切り揃えた黒髪に、褐色の肌を持つ絶世の美女と言っても過言では無い容姿を持つ精霊である。昔、とある事情で彼女を助けたら押し入り女房になったという感じだ。
「オレは淑女って年じゃあねぇ。それに、このベルモンド家を背負って立つんなら、そろそろガキの一人や二人、こさえないとなぁ?」
「いや、色々忙しいですし今は上から押し付けられた彼女とこの魔法の残滓をどうするかを考えなければ」
「あん?んなもん、グレースが殴り込みに来ない内にもとに戻してリリースすれば良いだけの話だろ。それまでは飼ってやればいいのさ」
「もしかしてあのクロノスフィアと知り合いですか?」
「おう、言ってなかったが古い知り合いだ。ああ、先に言っとくがオレは戦わねぇし、オレはオマエにもアイツと戦わせねぇからな。お前のその白い肌と白い髪を血に染めていいやつがいるなら、オレだけだ」
私は彼女がいつから存在しているのかなど知らないがそうか、確かにそういう可能性もあったのか。これは盲点だ。
「そんなに強いんです?伝承には残っていますが、ああいうのは大体かなり盛られているので、イマイチ信用できないんですよね」
「アイツら魔法使い共の記述は特に盛ってねぇぜ。なんと、このオレも伝承の作成に関わった当事者だからな!」
「そうだったんですか!?」
「そうそう。オレたち精霊種は特定の棲家は持たねぇ世界中を転々とする種族だし、オマケに数が多い人間やエルフ等の種族からは普通に信仰対象だからな。そんなオレたちの言葉は当然伝わる。魔法使い本人から許可は取っているから問題も無いし、精霊種はそうやって生きてきた種族だからな」
「特定の棲家を持たない種族の割には、私の所に住み着いていますがね」
と皮肉ってみる。いつもの何かと振り回されているし、このくらいは許されるだろう。本気で怒るようなことを言っているわけでもないですし。
「そりゃぁ、お前の事を愛しちまったからな。お前が生きてる限りは一緒にいるぜ」
臆面もなくこんな事を言ってくるからどうしょうもない。
「じゃあ、私が浮気しても?」
「有り得ねぇな。お前にオレ以上の相手なんざいねぇし、その気があるなら無くなるまで搾り取ってやらぁ」
何を搾り取られるんでしょうか私は…。相変わらず勝てる気がしない。
「それに、オレが一緒にいるせいかは知らねぇがお前はどうも不老化してるみてぇだし、百年千年くれぇはお前と共にあるぜ」
「またサラッととんでもない事を吐いてくれましたね。せめてもう少し雰囲気を大事にしません?あと、そろそろ私の上からどいてください。後でちゃんと相手してあげますから」
「本当か? 本当に後で相手してくれるんだよな?」
まるで大型犬みたいに擦り寄りながらアイーダはそう聞いてきている。可愛くてしょうがないが、ここは流されずに押し切るしかない。
「当然です。約束は守りましょう」
「だが断る。というわけで据え膳据え膳」
やっぱりだめだったか…。
諦めてヤラれようとしていたその時だった。
「パパ? おかわりはまだなのですか?」
思わぬ助け舟が出た。全身に強化魔術を全力で付与し、妻を押し退ける。
「はいはい、今持ってきますよ!」
「あっ! おい!」
しかし、この子はどうしようか。早い所返したいのだが…。
「洗脳された未成年の少女を自宅に監禁ですね。この絵面を客観視すると」
「じゃあ解けばいいじゃねえか。洗脳を」
そのやり方がわかったらやっている。会長はサラッと使いこなしていたが、私は触れて偶々使えただけ。しかも使おうとしても指輪はピクリとも反応しないというボーナス付きだ。それに、
「仮に解けてもその場で惨殺されるでしょうね。彼女、大概倫理観ぶっ壊れてますから」
「なら会長に言いにいくか押し付けてこい。最悪オレが」
「もっと駄目です。あの方は魔力の欠片もないただの人間の筈なのに、何故か一発で魔法の残滓を使いこなせたりする方ですから。彼女の洗脳もあの方がやった事なんですよ」
「何もんなんだよソイツ」
「さあ・・・。ヴェルディにかなりの恨みがあるということくらいしか私は知りません」
クレア王女を参加枠にぶち込んだのも会長なのだ。と、ここで少し組織の事を振り返ってみよう。私が所属するヴァルプルギス運営委員会は、名前のダサさこそあれど数万の魔術師が関わっている大きな組織であり、本部は狭間領域にある。この狭間領域とは過去の大戦で生じた特殊な領域で地上と魂の領域の丁度間にある、人類がその肉体を保っていられる限界の場所であり、悪魔や天使などの人を超越した特殊な種族が魔界や天界といったそれぞれの領域を形成している。
「なるほどね・・・。じゃあ、君に頼みごとがある」
リン、と鈴の音一つ。そして、凛と響く声一つ。私達二人しかいないはずの空間に鳴り渡った。
その音がしたかと思えば、今度はただひたすらに静寂が訪れた。いや、静寂などではない。目以外の全てが動かせなくなっているだけだ。それはアイーダも同じらしく、アイコンタクトを測る事しかできない。
「さてと、とりあえず自己紹介させてもらうよ。私の名前はグレース。君の妻の古い知り合いで、そこで飯を頬張っている娘の保護者さ」
「逃げろ! こいつの頼みごとなんざ百パー碌なもんじゃグハァ!」
時間停止を解除した瞬間に私に忠告しようとしたアイーダが垂直に飛び上がり誕生に突き刺さった。
「人の妻に乱暴な真似は止していただきたい。そして、何事もなかったかのように人の家の茶菓子を取り出して優雅に紅茶を入れないでいただきたい!」
「飲むかい?」
差し出された紅茶はとても美味しいものだったがそういう問題では無い。妻は完全に伸びているのかだらんと垂れ下がっている。頭が二階の部屋に出て引っ掛かっているのだろう。
「それで、あなたほどの方がこんな辺鄙な所に何の用ですか?」
「頼みがあるって言ってるだろ?もしかして、それすら信用されてないのかい?」
当然だ。こんなタイミングでこんなにも胡散臭い女がいきなり侵入してあろうことか人の妻を殴り飛ばしてくれたのだ。信じられるわけがない。どころか、即刻叩きだしたいとすら思える。
「それはそうでしょう。初対面の相手をどう信用しろというのですか。まあ、聞きますけどね。じゃないと殺されてしまいそうですから」
「うちの娘にパパって呼ばせるのはかなり引くから止めて欲しいな。それだけ」
「はい?」
「いや、知りたいことは特に無いしサリアの様子を見てたら変な事になってたから、思わず飛び出て来たんだ。私ですらママと呼んでもらっていないのにどの面下げてこの男って感じでね」
拍子抜けするくらいくだらない理由だった。一々アイーダをかっ飛ばさなくても良かったのではないか。そして、壊した部分はちゃんと直して欲しいところだ。
「それをやったのは会長ですから、私にはどうもできません」
「そうか・・・。ならいいや。あ、もうじきその会長がここを訪ねて来るからサリアはちゃんと引き渡すように」
「え? 何を言って」
リンとまた鈴の音一つ。彼女はそう言い残して去っていった。後ろを見ると、アイーダは普通に倒れており、天井に空いていた穴は元に戻っているようだ。そして、今回は普通にドアをノックする音が聞こえてきた。
「我が来たぞ、開けるがいい!」




