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ウォーラは父親の最期の顔を一生忘れないだろう。
恐怖と絶望に満ちた醜い顔だった。
最後まで生に縋り付いて、世界を手離そうとしなかった。その為にどれだけの人が傷付いても、死んでいっても構わないと言った。
自分も最期はあんな風に醜く縋ったりするのだろうか。
父親を殺めて自分が王の座に就くには、ウォーラの見た目は幼過ぎた。
ウォーラは竜の一族とはいえ、過酷な生活環境の所為で何処もかしこも育っていなかった。充分成人していい歳なのに、痩せこけた小さな少女の様な姿をしていた。
「これでは様にならんだろう」
創世神はウォーラを成人した姿へと向かう変えてくれた。
ウォーラは血溜まりに映る自分の姿に息を飲んだ。
長く伸びた手足はやはり細く然程肉は付いていないが、視線の高さが変わっただけで自分も大人になれた気がした。小さく弱い子供はもう居ない。
赤い池に映る人物は何処となく小さい頃に見た母親に似ている気がした。しかしあの優しい瞳は無く、鋭い眼光が厳しく光っていた。
「その無駄に長い髪を結えば少しは様になるだろう。
すぐに終わられては意味がないからな」
城にはウォーラだけが残された。
前王と彼に付き従う者達は全て殺された。
辺りは多大な死と血に溢れていた。
深紅の飛沫が天井にまで飛び散り、床を満たす。魂の抜けた器が投げ捨てられ、彼方此方でだらしなく横たわる。折れた剣、歪んだ甲冑、穴の空いた床、崩れ落ちる壁。汚れて、穢れて、役目を失い、価値を失ったもの達が無数に散乱する。砂埃の中に生臭い腐臭が混じっている。
王宮とはこんなに広くて、こんなに不吉な場所だったろうか。
昔のぼんやりとした記憶はもう霞がかかっている。
バタバタと足音が聞こえてきて、王家の紋章の入った甲冑を着た者達が慌ただしく玉座の間に入ってきた。
「貴様っ……!」
先頭に立つ体格の良い男性が死体の山に立つウォーラを忌々しそうに睨みつけた。ウォーラの足元には命の抜けた父王が粗雑に横たわっている。
彼は右手に持った剣を構えると、後ろの者達も彼に倣って戦闘の体制を整える。
「この者は竜王の御子だ」
ウォーラの後ろから、神々しい光に包まれた創世神が告げる。
目映く見るものを畏怖させる姿に、その場にいた者は剣をかなぐり捨てて座り込むと、深々と首を垂れた。
弱い者は平伏さずには居られない。悪意を持って見ては目が潰れてしまう。気が触れてしまう。
彼はやはり神なのだ。
創世神は平伏す民を見下ろすウォーラの肩にそっと手を乗せた。
「余はウォーラ・レイス・ユングヴィ。竜王の子、そして今から、この世界の支配者だ」
ウォーラは高々と威厳に満ちた声で謳った。
甲冑を纏った者達が威圧されて傅く。
古い王の死と神の祝福を受けた新しい王の生誕を彼らが見届ける。その場にいた者は幸いとして崇められ、この日の出来事は華美に脚色されながらも長く語り継がれる事になる。
烟る様な濃厚な死臭の中、新たな王が誕生した。
創世神は口元に笑みを浮かべて、ひっそりと消えた。
如何に博識と名高い竜族でも、ウォーラの様に閉じ籠っていた者は学ばなければいけない事が多い。王の座に着いて暫くは長い冬で荒れた世界を立て直す為、東奔西走して頭を悩ませていた。政治の忙しさですっかり創世神の事を思い出す機会も減っていた。
世界が落ち着きを取り戻し統治にも慣れた頃、創世神は再びウォーラの前に現れた。
相変わらず神々しい彼の腕には幼子が抱きかかえられていた。
「お前を殺す役目を負った子だ。
大事に育てろ」
一瞬にして平和と呼ばれる今が消え去り、玉座に着いた日がフラッシュバックした。
血に烟る王宮。蒸せ返る死臭さえありありと思い出す。
ーーお前、父を殺す気はあるか?
彼の言葉を思い出して、創世神を見返す。
創世神は何も言わず、幼子を放り投げる様に渡すと口元に笑みを浮かべて消えた。
それはあの日と寸分違わぬ同じ顔だった。
腕の中の幼子は泣きもせず、濁りの無い清らかな目でウォーラを見詰め返してくる。
ーー余を、殺す……?
あの死と血に塗れた日の事を思い返す。
醜い父の顔、神々しい神の存在。
彼の言葉。
ーー世界の覇者は長い冬で命を落とす者が多い。何故だか分かるか?
殺されるのだ。
それまで支配し創り上げてきた世界からの裁きを受ける。
次の長い冬で自分は命を落とすのだろうか。
創世神は一体何を考えているのだろう。
もしかしたら父も彼に言われたのかもしれない。私が自分を殺すと。だから私を古城に隔離したのだろうか。
しかし余りにも短い。
玉座に着いたのが、自由になったのが、つい昨日の事の様だ。
まだ何もしていない。やっと世界が落ち着いたのだ。これからなのに。
この子が成長する時間など、瞬きをするのに等しい。
焦りと不安が胸を満たす。
自分を救い出してくれた敬愛して止まない存在に託された子供。
大事に育てろ
素直に頷けない。
自分を殺す子を育てるなど稀有な運命を辿らなければならないのは、自分が自由を望んだからなのだろうか。
余りにも短い。
ウォーラの世界には自分しか居なかった。
そして創世神が現れた。
彼が世界の大半になった。
しかし長く生きれば生きる程、誰かと関われば関わる程、世界は広くなり、大切なものが増えていく。余分なものが増えていく。
煩雑なものが多過ぎて、本当に大切な事が分からなくなる。身動きが取れなくなる。
気が付けば幸せそうに甘い顔で眠るライナの首を絞めた。
細く白い首は柔らかく、力を込めれば折れてしまいそうだった。自分の指が気道を圧迫して爪が柔らかい皮膚に食い込む。
暫くすると、ライナが幸せそうだった顔を歪ませて苦しそうにもがき出す。手足を力なくばたつかせて、息を吸い込もうと喘ぐ。
「ウォーラ」
名前を呼ばれて我に返り、慌てて手を離す。
ーー余は今、何を……
呆然としているとライナがもう一度名前を呼ぶ。彼女の弱々しい手がウォーラの頬に触れて、初めて自分が涙を流している事に気が付いた。
彼女の額をそっと撫でて眠らせた。
世界に執着している。
醜い父親を思い出す。醜いあの顔を。
自分もそうなるのだろうか。
何の罪も無い無垢な子供を殺して。自分も憎んで止まなかった彼の様になってしまうのだろうか。
ウォーラの罪を暴く様に煌々と月の明かりが照らしていた。




