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執務室をノックしてそっと覗くと、竜妃がゴブラン織りの大きなソファに座って優雅にグラスを傾かせていた。セファは書類の山積みになった木製の机に向かって忙しそうに筆を走らせている。
「お仕事中?」
ライナは邪魔にならない様に小さな声で窺った。
「構わぬ。世間話をしていただけだ」
竜妃は豪華な装飾のグラスを片手に手招きする。
「そう……じゃあ、少しだけ、いい?」
ライナは扉を静かに閉めて、彼女の隣に空いている椅子に腰掛ける。
あぁ、と竜妃はにこやかに微笑んだが、ライナは彼女の首に触れる指が忘れられなかった。まだあの指が首に触れているみたいで熱くて苦しい。
ーーウォーラは私の事……
その先が喉元まで来ているのに、声に出す勇気が無い。
「ライナ、どうじゃ、旅をするのは。楽しいか?」
中々話し始めないライナに竜妃の方から声を掛ける。
彼女の脇のサイドテーブルには巧妙な金の装飾模様の描かれたクリスタルのデキャンタが置かれている。竜妃はそれを手に取り、中に入っている金茶の液体を空いたグラスに注ぎライナに手渡した。
「……うん、知らない事が沢山ある」
繊細にカットされたグラスにも金色の装飾模様が細かに描かれており、中の液体がキラキラと魅惑的に輝いている。
ライナはグラスの液体を一口飲む。
苦くてほんのり甘い。燻製された木の香りが鼻に抜ける。飲み込もうとしたら喉が焼ける様に熱くなって、思わずむせてしまった。
「なにっ??これ……!」
ライナは咳き込みながら尋ねると、竜妃は驚いた顔で目を丸くした。
「なんじゃ、ライナ、酒は初めてか?」
初めて口にする飲み物に戸惑いながら頷くと、セファが書類から顔を上げてあきれた声で言った。
「ウォーラ、ライナに酒は早いですよ」
「お主が付き合うてくれぬからだ」
セファに窘められた竜妃はむっとしてグラスを煽った。
セファは返事を返さず、小さく嘆息して業務に戻る。
「ウォーラ、創世神ってどんな人?」
ライナは聞いてみたかった。彼女が創世神に固執する理由。そしてその複雑な思い。
もしかしたらライナの心の奥底に秘めたそれと似た様なものなのかもしれない。
「創世神か……彼は余の恩人じゃ」
「恩人?」
「左様。彼のお陰で余は今ここに在しておる」
竜妃はグラスの中の金茶の液体を揺すりながら愛おしそうに声を上げる。
「……ウォーラは創世神の事が好きなの?」
「好き?」
竜妃は大きく瞳を見開いた後、声を立てて笑い始めた。
「好き、か。そうじゃな。……あぁ、好きだ」
彼女はどこか遠い目で言った。
あの時、彼女は優しい声で切なそうに彼の事を敬愛していると言ったのに。敬愛とは好きの事だと教えてくれたのに。あの時から彼女の気持ちは変わってしまったのだろうか。彼女の心にどんな変化があったのだろうか。
竜妃の複雑な想いはやはりライナには難し過ぎる。ライナより遥かに長い時間を生きてきたのだ。ちっぽけなライナには計り知れないものがあるのだろう。
途方も無い様な長い時間、竜妃はどうやって生きてきたのだろうか。周りの者に取り残されながらずっと1人でここに居るのだろうか。
精霊だって、妖精だって、竜族程は長く生きられない。それならば悠久の時の中、決して自分を置き去りにしない創世神だけが心の拠り所なのだろうか。
「じゃあ……ウォーラの家族は?」
セファの筆を走らせる音が、一瞬止まる。
竜妃は目を丸くして聞き返した。
「余の、家族か?」
何かいけない事を聞いてしまったのかと、恐る恐る頷く。
竜妃は怒るでもなく窘めるでもなくそっと答えてくれた。
「余の家族は……もうおらぬよ」
何処か、ここではない遠くを見つめるて彼女のは言う。
「母親は余を産んで間も無く死んだ。
父親は前回の長い冬で命を落とした」
「ごめんなさい」
ライナはやはりいけない事を聞いてしまったのだと感じ、思わず謝った。
「何、気に病む事では無い。
我らの寿命が少しばかり長いだけじゃ。
人の子等の時間にすれば悠久の時を過ごしておる」
何も悲しく思う事などないのじゃ、と竜妃は優しい声を出す。
そうじゃない、ウォーラがずっと独りでここに居た事を暴いてしまって、その事実が悲しくて、隠しておいた秘密を晒してしまった気がして、謝ったの。私の、ルースに対する気持ちの整理がつかない事なんて、きっと、些細な我儘で、でもその事を上手く言葉にできない。頭がぼおっとして、ぐるぐるする。
ライナは突然襲い掛かってきた急激な睡魔と必死に戦っていた。
ーーもう少し、話したい事があるのに……
どうしても激しい眠気に逆らえない。竜妃の声が頭の中で反響して、意識がぼんやりとしてくる。目を開けているのが辛い。
ライナは自分でも知らぬ間に寝息を立て始めた。
その様子を見てセファが訝しげな表情で立ち上がった。今にも滑り落ちそうな高価なグラスをライナからそっと取り上げると、彼女の飲み残した酒を口に運ぶ。
「貴女、こんな物飲ませたんですか?」
強い酒を飲み込んで、セファが顔を顰める。
「そうじゃが?」
「ウォーラ、貴女方竜人とは違い人の子は弱い生き物なのです。こんな強い酒など……
ましてや彼女はまだ子供なんだから気を付けて下さい」
悪びれる様子の全く無い竜妃にセファは厳しい口調で説教を始めた。
「セファ」
長くなりそうな彼の言葉を竜妃は遮る。
「何ですか」
セファは憤ったままぶっきら棒に答える。
「すまぬな」
「……いえ」
竜妃の物思いに耽る瞳と憂いを含むその言葉にセファは押し黙るしかなかった。
長く仕えるセファにも、底の見えぬ彼女の心の中は計り知れない。




