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アースガルズ大陸の北端の小さな村の、更にその外れにルースは住んでいた。木々に囲まれて、隠れる様にひっそりと。
人当たりの良い両親は何故か村の人とさえも距離を置く様に暮らしている。
村の人々は何かとルース達を気に掛けてくれるが、父親も母親も決して内側まで踏み込ませない様に気を付けているみたいだった。まるで見えない線があるみたいで、そこからは誰も入らない様に見張っていた。少しでも踏み入れようものなら、警告音を鳴らすように2人は張り付いた笑顔で一歩も動かず追い出してしまう。
そんな外界との交流の少ない中で、両親と兄はルースの世界の大半を占める。
穏やかで弱虫な愛しい父、しっかり者で頼りになる気丈な母、可愛がり甘やかしてくれる優しい兄。
ーー父様はこっそりお菓子をくれるの。でも何故かいつも母様に見つかって怒られていたわ。
「ルース、ごめんね」
一緒に怒られる私にしょぼくれた顔で言うから、私はいつもフワフワの髪の毛を撫でてあげるの。
それから庭の薬草に詳しくて、いつも何処かから新しい種類を持って来て、育て方を教えてくれた。真っ白な手を土だらけにして、綺麗な顔を汗で汚しながらも、優しい笑顔で愛おしそうに草花に話し掛けるの。あの庭の草花達は幸せよ。まるで父様が太陽の様だもの。
ーー母様はちょっと怒りん坊なの。のんびりした父様が何かしでかすと、怒って後片付けをするのが母様の役目。
とっても勘が良くて、器用で、何でもテキパキこなす働き者の母様。何でだろう、私が父様にお菓子をもらうといっつもバレてしまうんだよね。
「私だって怒ってばっかりじゃなくて、ルースを甘やかしたいわ……」
溜め息混じりに肩を落とす母様。
大丈夫よ、母様が本当はとっても優しい事は知っているから。
それから占いが得意。雨の降る日や雷の落ちる場所、失くした玩具の在り処、何だって分かってしまうんだ。でも何故か母様は家族の事を占いたがらない。ライナの居場所も、お兄ちゃんの未来も。
「大切な人の事は占えないの」
母様はいつもそう答えるだけ。
ーーお兄ちゃんの事は知っていると思うけど、お兄ちゃんは世界一優しくて頼りになってかっこいいんだよね。
お兄ちゃんは村の女の人にモテモテなんだよ。かっこいいから当たり前だけど。
お兄ちゃんの誕生日にはいつも家にお花やプレゼントが山程届くの。小さな女の子からお姉さん、おばさん、いろんな人が持ってくるの。
お兄ちゃんはちょっと困った顔をしながら1つ1つ丁寧に受け取るの。
「内緒だよ」
そう言って美味しいお菓子や綺麗なお花は私にくれるんだ。
その代わりにお返しにリボンを結ぶのは私の役目。
それに手を繋いでお兄ちゃんの横を歩けるのは私だけ。それが自慢だったんだ。
ルースは家族の事が大好きだ。父も母も兄も皆んな好き。
まだ幼かったルースは妹の事をあまり覚えていない。妹の事は可愛くて愛しかった、そんな曖昧な気持ちだけが心の中に残っていた。
ライナが消えてから彼女を探し、家を空ける事が多くなったナディル。彼が家に居ないのは詰まらなくて寂しかった。でもきっと1人でもっと寂しい思いをしている小さな妹の為にじっと我慢した。
それにナディルは家に戻る時、必ず土産を持って来てくれて、ルースと遊びながら外の世界の話をしてくれる。
甘いキャンディーとお菓子みたいな家の話。色鮮やかなネックレスに豪華なお城の話。フワフワのぬいぐるみと真っ白な雪の話。細かな模様のストールと砂漠の話。ルースの耳元に光る翠色のピアスの時は洞窟に住む妖精の話だった。
ルースはナディルの話が大好きだった。それ以上に優しい兄が大好きだった。彼が出掛ける時は涙を堪えて、彼の帰りを指折り数えて待った。
ルースは1人きりで隠れんぼに興じながらナディルに探して貰えるライナを羨ましく思った。
ナディルは歳を重ねるにつれて、家を空ける期間が長くなった。
ある時は曲芸団で各地を回っていると言いながらカードマジックを見せてくれた。
ナディルの長い指先から繰り出されるカードはまるで魔法みたいでルースは夢中になった。
自分もお礼にと母親から習ったカードでナディルの未来を占った。しかし何度やっても彼の未来には真っ白な空白のカードしか出なかった。
その日は少し肌寒い日で、空が溶け出しそうな菫色をしていた。
「ただいま」
ナディルは偽物みたいな空を背負って家のドアを開けた。
いつもの笑顔、いつもの優しい声。でも何故か帰宅したナディルにいつもみたいに飛び付けなかった。大好きな穏和な兄の存在。逆光の所為ではなく、そこには影の様な何かが付き纏っている、そんな気がしてならなかった。
その日の夜は綺麗な満月で、庭に植えた月夜に咲く花を見せてあげようと思い立った。
ナディルの部屋をノックするが返事が返ってこない。眠ってしまったのだろうかとそっとドアを開けると、そこには誰も居なくて開け放たれた窓から風に乗って兄の話し声が聞こえてきた。
彼は声を潜めて誰かと話している様だった。静かなその声は悲愴にも似た怒りを含む。
窓の外をそっと覗くと、庭にナディルが1人で立っていた。
周りを見渡しても誰もいない。
ナディルは月明かりでできた黒い影に向かって1人で喋っていた。その影は何だか禍々しく思えて、見た事の無い兄が恐ろしくて、ルースは見つからない様にそっと自分の部屋へと戻り布団を被って寝てしまった。
ナディルはその日を境に何だか変わった。
大人になったとゆう事かもしれない。それでもナディルが大好きだ。この気持ちは変わらない。きっと一生。彼がどんなに変わっても、大切な兄だという事実はずっと変わりないから。
ルースには魔力が殆ど無い。
彼女の母親も大した魔力を持ち合わせていないので仕方ないのかもしれない。
それでもナディルの傍に行きたかった。彼の役に立ちたかった。あの夜のナディルを見てから、真っ白な彼の未来に不安を覚えた。この先何か良からぬ未来が待ち受けていたとしても、隣で少しでも助けになりたいと思った。
だから両親を説得して王都まで来た。必死で勉強して王都の学校に入った。自分が持っているのは知識と前向きな明るさとへこたれない打たれ強さだけ。学校で薬学の勉強をして、ナディルの手助けができればと思った。
今日、公園のベンチに座っているライナを見つけた。
一目でライナだと分かった。白い肌に少し尖った耳。父様譲りの髪と瞳。王都には似たような肌や髪の人々が沢山いる。でも、彼女がライナだと確信した。何故だか説明はできないけれど。
小さな妹は綺麗で愛らしい少女に育っていた。透き通る肌をほんのり薄紅に染めて、清らかな水の様に澄んだ瞳で行き交う人を眺めていた。
きっと笑ったらもっと可愛いのに。皆、彼女の虜になってしまうだろう。
美しく育った妹に見惚れた。
ライナはあまり喋らなかった。ルースが沢山喋り過ぎたのかもしれないが、寡黙で感性の鋭い子なのだと思った。きっと自分が色々と問い質しても嫌な思いをして口を閉ざしてしまうだろう。それなら少しずつ仲良くなって、彼女がちょっとずつでも喋ってくれるのを待とうと思う。時間はたっぷりあるんだから。焦って嫌われたくない。
本当は自分も今すぐ彼らと一緒に行きたかった。でも自分で決めた事はやり遂げなければいけない。もどかしいけど、みんなの役に立てるように今は頑張らないと。早く3人で旅がしたい。世界を見て周ろう。そして父様と母様の待つあの家へと帰ろう。
ルースは遠く無いと信じる未来をうっとりと夢見る。




