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その日は朝から灰色の雲が垂れ込めていた。重そうな空が今にも雨粒を零しそうだ。
どんよりとした日は身体が重たく感じる。空気中の水分が身体の中に入り込んでくるみたいだ。
「ここで少し待っていて」
ナディルは王立図書館近くの緑豊かな公園へとライナを連れて来ると、そう言い残し去っていった。
ライナは公園の端のベンチに腰掛ける。
視界に入る公園は広く、季節毎に楽しめる花園が幾つも作られている。雨や寒い季節でも楽しめる様にと温室まで備えられていた。木々に囲まれた一角には子供達の遊具が設置されていて、甲高くはしゃぐ子供の声が響いてくる。
散歩をする老夫婦、遊具で戯れる親子連れ、花を愛でる恋人達……様々な種族が入り乱れている。王都のこの雑多な感じがライナは好きだった。紛い者を忌む視線は何処にも無く、自分もその中の1人として紛れていられる。
ぼんやりと行き交う人々を眺めていると、1人の少女がライナに近づいて来た。
少女はライナの前で足を止めると、声を掛ける。
「あれ……ライナ?」
ライナは自分の名前を呼ばれて驚く。
見た事の無い顔……のはずだ。少なくともこの数年間の間は。何処かで会っただろうか、と必死に考えを巡らせるが、やはり見覚えが無い。
しかし、自分の名前がライナである事は事実なので、訝しく思いながらも首を縦に振ると、少女は嬉しそうににっこりと微笑んだ。
「やっぱり。そうじゃないかと思ったんだ」
栗色の髪の快活そうな少女は満足そうに言った。
「あの……」
ライナは恐る恐る少女の顔を覗き込む。
ペリドットの瞳がライナを見詰め返す。その色にライナは見覚えがあった。
「私、ルースだよ」
ーールース……
彼女の名前がすんなりとライナの中に入ってくる。
「あれ、もう来てたんだ」
少女に気を取られて気が付かなかったが、いつの間にか彼女の後ろにナディルが立っていた。
「お兄ちゃん!」
ルースは目を輝かせながら嬉しそうに声を上げてナディルを振り返った。
彼女の全身が喜びのオーラを発しているのが見て取れる。
「早く切り上げて来ちゃった」
ルースは愛らしく舌を出して楽しそうに言った。
「ライナだっえわかったの?」
「何となくね」
「ルースの勘の良さは母様譲りだからな」
ナディルはルースの頭をくしゃくしゃと撫でてやる。
楽し気に会話を弾ませる2人は何処から見ても仲の良い兄と妹だ。ライナは何となく疎外感を感じてしまう。
「天気が悪いし、何処か入ろうか」
ナディルはライナを見て言う。
彼の言う通り、天気は一層悪くなって今にも大粒の雨が降り出しそうな不穏な雲行きだった。
「一応、買って来たんだけどね」
ナディルの手には夜を閉じ込めたみたいな藍色の傘が握られている。
ライナは2人の楽しそうな会話に入り込む勇気が無く、その藍色を漠然と眺めているとナディルがライナに手を伸ばして言った。
「行こうか」
「……大丈夫」
ライナは気恥ずかしくて伸ばされた手を取らずに立ち上がった。
1人でも立てる。小さな子供じゃないんだから。
そっぽを向くライナをナディルは特に気にする様子もなく歩き出した。
3人は連れ立って公園を後にする。
「ここ、かわいいでしょ。息抜きによく来るんだ」
ルースに誘われて入った公園近くの店は、パステルカラーの壁紙に彩られ、天上からはカラフルな硝子のランプが幾つも吊り下げられていた。ミントグリーンやレモンイエローの椅子には女の子達が座りお喋りに花を咲かせている。
花々しく可愛らしい空間に居辛くないのだろうか、とライナはこっそりとナディルを見たが、ナディルはいつもと変わらぬ笑顔のままだった。
通されたテーブルには小花柄のクロスが敷かれていて、細やかなハーブが活けてあった。
「ルースの好きそうなかわいい店だね」
ナディルは相変わらず笑顔のまま答える。
「でしょ!気に入った?」
ルースはにこにこと自慢げに言う。その瞳はキラキラと期待で輝いている。
「……うん」
「だよね!よかった!」
多少の含みを持たせて答えたナディルだが、ルースはそれに気づく様子も無く純粋に喜んでいる。
そんな2人をライナは隣で冷静に観察していた。
ルースの前には生クリームとフルーツが山程乗ったパンケーキと、色とりどりの鮮やかな花弁の詰まったお茶が並ぶ。
ナディルは珈琲、ライナはハーブと苔桃のジュースを頼んだ。珈琲に添えられた小さい金色のスプーンには花の形の砂糖細工が、ジュースのグラスの端には鮮やかなピンクの花が丁寧に添えられている。
ライナはルースの皿を見ているだけでお腹が一杯になりそうだ。
「ライナ、それだけでいいの?」
ルースはとても不思議そうにライナを見る。
「大丈夫。私、甘い(甘過ぎる)ものそんなに得意じゃないから」
「そう……残念だね」
折角ここの名物なのに、とルースは本当に残念そうな顔でパンケーキを切り分ける。
ルースの横を重そうなプレートを持ったウエイトレスが横切る。フリルがふんだんにあしらわれた花柄のエプロンが可愛らしく揺れる。
「私、あれも食べてみたいんだよね〜」
ルースは隣のテーブルにウエイトレスが運んできた三段のプレートを横目でちらりと見る。各プレートにはカラフルにデコレーションされた焼き菓子、ケーキ、菓子パンが所狭しと並ぶ。
「今度みんなでシェアしよ」
屈託の無いその笑顔に逆らえず、ライナは小さく頷いた。
ルースはとめど無く色んな事を話してくれた。
優しくて少し抜けている父親の失敗談やしっかり者の母親に怒られた話。庭の薬草畑の手入れの仕方、ナディルが近くの村のお姉さんにモテた話、森で迷子になった事、学校のテストで満点を取った自慢、ルームメイトの変わった趣味。
ルースの話は尽きる事が無い。毎日が事件で、そこら中に宝物が転がっている。
きっとルースの目には賑やかで華やかで騒がしい世界が映し出されているのだろう。
きっと今日食べた豪華なパンケーキですら特別な記念日になるのだろう。
彼女の語る世界はカラフルで鮮やかで、ライナの瞳に映る世界と大きく違っている。
ルースの事を凄いと感心する反面、羨ましく嫉ましくも思った。
真っ直ぐで、明るくて、純粋で、穢れを知らない姉。両親の愛情を受け止め、きっと大切に育てられてきたのだろう。ルースが居るだけで周りの空気が軽く、明るくなる。愛されるべき存在。
自分とは正反対に思える彼女を目の当たりにして、何処となく苦手意識を持ってしまう。素直に受け止められない。そんな醜い自分の心が嫌だった。




