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ライナは夕方街に出た。
パラスロットは一度訪れた事があるので、どこに何があるのかは大体把握していた。迷子になる心配も無いので1人で街を歩いた。
街の外れに見晴らしのいい公園がある。街を一望できる少し小高い丘の上にあるその場所は、街の人々の憩いの場として、街を訪れる者の観光の場として夕刻でも賑いをみせる。
沈みゆく日の光が街を金茶に染めて、家々からは明るい光が灯り始める。
公園の端の手摺りに寄り掛かると、爽やかに風が吹き抜ける。街を見下ろして、 ライナは初めてこの場所を訪れた時の事を思い出す。
豊かな緑に、美しい街並みに、人の多さに驚いた。
人の手でこんなにも大きく美しく立派なものが造れるのかと感心した。あの家々に其々家族が住み、生活していると思うと感慨深く思う反面、自分の為の灯りはどこにも無いのだと寂しくも思った。
寄り添う恋人は愛を囁き、小さな子どもは優しい母親の手を握る。旅人は故郷に残してきた者の事を思う。
ライナは殆どのものを持っていなかった。手に入れたほんの少しのものさえ置き去りにしてきた。
大丈夫、全部失くした訳ではない。これから手に入れるだけだから。
しゃがみ込んで蹲ってしまいたい気持ちを必死に落ち着けて、耐える様にこの景色を見詰めていた。
あの頃とは違う穏やかな気持ちで暮れゆく街を眺めた。
ふと背後から視線を感じ振り向くと、一段高くなった場所に佇む男性が目に入る。
すらりと姿勢の良く伸びた背筋、程良く筋肉のついた長い手脚、均整の取れた身体つきがマントの上からでも窺い知れる。フードからは長い茶褐色の髪が溢れ、その奥からは強いエメラルドの瞳が光る。
ーー葉月……!
見間違えるはずのない彼の姿にライナの身体は強張る。
だめだ、まだ帰る訳にはいかない。
ライナは踵を返し、足早に公園を立ち去る。走る様に人混みをすり抜け、がむしゃらに来た道を進んだ。
何故ここに彼がいるのだろう。そんな疑問が横切るが、それより一刻も早くここを立ち去る事で頭が一杯だ。
まだ帰れない。連れ戻される訳にはいかない。
彼が何の為にここに来たのか、本当にライナを連れ戻しに来たのかはわからないが、兎に角今は逃げる事しか考えられなかった。
「王都へ戻ろう」
ライナは教会の脇の建物の扉を勢いよく開けて言った。
中で寛いでいたナディルとカハク、カリュウは驚いて取り乱した様子のライナを見る。
「どうしたの、ライナ?」
ナディルが立ち上がり、心配そうにライナに近付く。
「ライナ、取り敢えず座って落ち着いて下さい」
「大丈夫、私は冷静だよ」
青い顔で息を整えるライナをカハクも不安そうに見る。
「今日はこんな時間だし、明日の朝一番に帰ろう」
「それじゃあダメ!今戻りたいの」
宥める様に優しい口調で言うナディルにライナは喰い下がる。
「しかし、エンコとハイメも戻って来ていませんし……」
「じゃあ、私だけ先に戻る」
カリュウの言葉も受け入れず、ライナはどうしても譲らなかった。
「……わかった。王都へ戻ろう」
ナディルはライナを安心させる為、落ち着いた口調で言った。
普段自己主張が強い方では無いライナがここまで言うからには何か事情があるのだろうと思う。
ライナはやっと安堵の顔を浮かべる。
「俺は司教様に挨拶してくる。
カハクとカリュウはハイメ達と後からおいで。
急がなくていいから。暫くパラスロットへは戻れないと思うし」
ナディルはいつもと同じ笑顔をにっこりと浮かべて部屋を出て行った。
ライナはそわそわと落ち着かない様子で窓の外を眺めている。
「ライナ……」
カハクもカリュウも、その理由を何となく聞けないでいた。聞いて欲しくない、とライナが全身で拒否している様に見えた。
2人は黙ったまま顔を見合わせる。
暫くしてナディルが戻ると、ライナは扉まで駆け寄った。
「行こうか」
荷物を持ったナディルを見上げ、大きく頷き部屋を出た。
「王都から使者が来る様に手配しておいたから、王都へは彼らに案内してもらって」
ナディルはカハクに言う。
流石に残った彼らだけで王都へ向かわせるのは心配だった。
ナディルの手抜かりの無さにカハクは礼を言う。
小屋を出ると、シャヒが鳥の姿でライナの元へ飛んできた。ライナの目の前まで来ると風に包まれ人の姿へと変わる。
「ライナ、何処行くの?」
「私、先に王都へ戻る」
ライナは深刻そうな面持ちで言う。
シャヒはライナの顔をじっと見た。
「一緒に行く」
そう言うとシャヒは再び鳥になるとライナの肩に留まり、ライナを元気付けるかの様に頭を摺り寄せた。
ライナは焦る気持ちを落ち着けて、ナディルとシャヒと共にパラスロットを後にした。
エメラルドの瞳がライナを責める様に睨み付ける。強い視線から逃れられない。
葉月の形の良い唇がライナを責め立てるように動く。声は聞こえないが、何を言っているのかはわかる。
ーー裏切るのか
違うの。貴方を裏切った訳じゃない。全てを捨てた訳でもない。
ただ、今は帰れないの。
葉月は真っ赤な血に染まる白い上着を握り締めている。頬は涙に濡れて、美しい瞳には怒りが宿る。彼の気持ちは痛い位にわかる。でも。
お願い、もう少しだけ。
葉月の華奢だが大きな手がライナの細い首筋に触れる。
答えを見つけるまで、もう少しだけ待って……
「ーーナ……ライナ!」
ナディルの声でライナは目を覚ます。
ライナの身体は震えていた。冷や汗が身体中から溢れ出る。
中途半端な時間に街を出た為、近くの街の宿はどこも一杯で、ライナとナディルは一緒の部屋に泊まっていた。ナディルはライナにベッドを譲り、用意された簡易のソファベッドで寝ていたのだが、苦しそうに悪夢にうなされるライナを見兼ねて起こした。
「うなされていたけど、大丈夫?」
ナディルは乾いたタオルでライナの顔の汗を拭いてやる。
ライナは虚ろなまま黙っている。
「……ライナ、何かあったの?」
ナディルは丁寧に言葉を選ぶ様に問い掛ける。
「……」
ライナは答えない。
夜の街は静まり返り、窓から入る眩しい月明りが2人を照らす。
月の夜は嘘が吐けない。些細な偽りも月の光に暴かれる。
「……今は言えない」
静寂の後、ぽつりと溢れる様にライナは呟いた。
「今は言えないけど、ちゃんと言うから。
もう少ししたらちゃんと言うから」
きっぱりと決意した表情でライナは言った。
月に照らされた横顔は蒼白く憂いを帯びる。
ナディルはライナの言葉を待とうと思った。ライナが話してくれるまで、隣にいてずっと待とうと。彼女が自分の言葉を語る時、やっと自分を家族として認めてくれるのだろうと思った。彼女が気持ちを零したい時、隣に自分が居てやりたかった。
2人が各々決心する様子を窓辺でシャヒが見詰めていた。




