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目の前に現れたのはカハクだった。
カハクの姿をした『何か』だった。
背丈も顔も着ている服も、何もかもがカリュウと一緒で、ただ優しげな表情とふわふわした柔らかい髪の毛だけが違っていた。
「カリュウ」
カハクはカリュウの名前をつけ呼んだ。
「カリュウはここを出て行くんですか?」
カハクは優しい顔で静かに問いかける。
「ええ、だって竜妃様の遣いがいらしたし、長い冬が始まってしまうから」
カハクは悲しそうな顔のまま黙ってじっとカリュウを見詰める。
「だって、それが私の役目でしょう?」
カハクは真っ直ぐな目のまま残念そうに言う。
「カリュウはいつだって流されてばかりですね」
「私の運命は生まれた時から決まっているから」
そう教えられてきた。カリュウは生まれた時からここで司教になる運命で、神々の黄昏を止めなければならない。自分には選択権など何一つ無かった。星の未来もきっと最初から決まっている。
「そうやって言い訳だけして自分に言い聞かせているのでしょう。
責任を逃れたいだけで、考える事を放棄しているのです」
カリュウはカハクの言葉の意味がわからなかった。
ーー考える事を放棄している?
「いつだって貴女に自分の意志など無いのです。
そうでなければ敬えもしない神になど仕えられるはずもないでしょう」
ーーそうなのかも知れない。
いつだって大人達の言いなりになってきた。褒められたくて、絶望されたくなくて良い子でいた。
自分は生まれた時から特別で、カリュウとは違うという事が当たり前だった。自分だけ見て欲しかった。自分さえ良ければそれでよかった。
言われてみれば、今まで自分の意思で何かを決めた事などあっただろうか。与えられるばかりで、それを坦々とこなすだけで、運命に従っていれば踏み外す事はないと信じていた。
「私は貴女についてはいけません」
カリュウは拒絶された事に衝撃を受ける。
言い返す事も出来ない。
「貴女を主とは認めません」
「そんな……」
儀式が失敗に終わってしまう。母親の冷たく厳しい眼を思い出す。彼女の絶望と侮蔑、それだけが不安で、皆からの落胆の眼差しを考えるだけで恐ろしい。
ーーどうしよう、何とかしなければ。
しかしカリュウは何もいい策が思い浮かばない。気の利いた言葉すら出てこない。焦れば焦るほどに頭は真っ白になっていく。
「ま、待って」
「何ですか」
カハクは蔑んだ瞳で冷たく答える。
初めて見る彼の表情に背筋が凍てつく。
「私、意志はちゃんとあるわ。ここを出てやらなくてはいけない事があるもの」
「やらなくてはいけない事とは何ですか。誰かに決められた事ではありませんか」
「ち、違う!……そうだけど、違う……」
カリュウは必死だった。
カハクは冷徹な声で問う。
「では、やらなくてはいけない事とは何ですか」
「それは……神々の黄昏を止める事よ」
「それは決められた事でしょう。貴女の意志ではありません。
貴女は神々の黄昏も予定調和だと考えている」
心を読まれたみたいで冷や汗が流れた。
本当の神は自分達などには興味が無い。
信仰する振りをして嘲ってきた気持ちは全て見通されていた。当たり前なのだろうけど、その報復が今ここで返ってきた。
「……そう、だけど、でも世界が無くなっては困るわ」
「それは自分の為にですか?信仰してくれる貴女の街の人々の為にですか?母親の期待の為ですか?」
冷たい言い方に心が抉れる。
「……」
自分の為。結局は自分の為でしかないのだろうか。保身と虚栄の為。
まるで人形の様に、神の言葉を借りて人々に作られた過去のお告げを語る日々。
栄光に満ちて、民に慕われて、退屈でつまらない毎日。未来がわかる事は幸せな事なのだろうか。
そんな世界なら白昼夢と同義だ。
それならあっても無くても一緒なのかもしれない。
「貴女には私は疎か、世界すら必要無いでしょう」
宝珠も世界も自分もカハクも……必要無い?
自分の所為で宝珠の封印が解けず、世界は終焉を迎えるのだろうか。
「ごめんなさい……」
カリュウは諦めた様に呟いた。
カハクだったら上手くやれていたのだろうか。世界を滅ぼさずに済んだのだろうか。彼の方が司教に向いている事は、本当は分かっていた。でも、自分の居場所を失いたくなくて、彼がいなくなる事に異論も唱えなかった。それどころか心の何処かでほっとした。彼を追い出したのは自分だ。
考えてみたら、カハクがいなくなってから与えられた仕事を上手にこなす事しか考えてこなかった。慰めてくれる彼がいないから、自分が傷付かない様にだけ気を付けてきた。
彼の『会いに来る』と言う言葉を只ひたすら待っていた。自分は役目があるからと、ここから出て会いに行く事など考えもしなかった。
世界が終わってしまうなら、その前にもう一度カハクに会いたかった。会って不甲斐ない自分を優しい笑顔で慰めてほしかった。
「カハク、ごめんね……」
自分はともかく彼の未来まで奪ってしまうのは心苦しい。
冷たい瞳で見詰めていたカハクが静かに口を開いた。
「……貴女は世界の為に自分を捨てる覚悟がありますか?
彼の為に世界を捨てる覚悟がありますか?」
ーー自分を捨てる?世界を捨てる……?
「神の子が望んでいるのは予定調和ではありません。従順な信者ではありません。
彼が望んでいるのは予測できない未来なのです」
カハクの言葉にカリュウは耳をそば立てた。
一言も聴き漏らしてはならない彼女の為の神託だった。
「神の子が望むのは、彼の意志に反する選択、見た事の無い未来なのです。
だから、貴女が与えられた運命に従うだけの従順な信者ならば、貴女は永遠に必要とされません。ここからは出られないのです。
しかし貴女が貴女の世界を壊す事を望むのであれば、貴女は世界の一端となれます。
私も貴女に手を貸しましょう」
カハクはいつしかカリュウ自身になっていた。
鏡に映った自分が問い掛けてくる。
「貴女がこの職も、地位も、神も、人々の信頼も、母親の期待も全てを捨て去るのならば、貴女を主として認めましょう」
カリュウはその言葉に縋る様に何度も大きく頷いた。
全てを捨てる。
私の価値なんて本当はその位しか無いのだ。ちっぽけな道端の石ころの様な価値。ずっと自分が宝石であると偽ってきた。しかしイミテーションは神の前であっさりと見破られる。
それならば示された唯一つの選択に縋るしかない。カリュウの選ぶ事のできるたった一つの答え。その先は過去の文献は役に立たないだろうし、マニュアルなんて存在しない。真っ新な白紙以外何も無いのだ。自分で新しく作り上げるしかない。敷かれたレールの上をただ歩いてきたカリュウにとっては恐ろしく、不安でしかなのない道だが、カリュウに残されたたった一つの選択だ。
カリュウは大きく息を吸い、意を決して瞳を見開いた。
「わかったわ。私、全てを捨てる覚悟を決めます」
カリュウの瞳には今までに無い強い光が宿っていた。
もう一人のカリュウは頷くとそっと口を開く。
「わかりました。貴女に猶予を与えましょう」
そう言ってそっと右手を差し出す。
「今から与えるものは、人々を救う聖職者には相応しくない力でしょう。世界を壊す力です。」
カリュウは同じ様に右手を上げてその手の上にそっと重ねた。
「これを使う時に初めて貴女を認めます」
そう言い残しカリュウの姿をした宝珠の守護者は闇の中の閃光となってカリュウの右手に消えていった。




