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王都に帰り、いつもの様に形式的な謁見の間での報告を終えるとナディルは竜妃に声をかけ掛けた。
「竜妃様、申し訳有りませんが『鎖』の件でお話しが」
ナディルの言葉に穏やかだった竜妃の顔が強張る。
「わかった。奥の間へ参れ」
竜妃は立ち上がると、ナディルを連れて足早に部屋を出て行った。
奥の間は小ぢんまりとしていて薄暗く、冷んやりとした空気が満ちている。葡萄色の長いカーテンが締め切られ、秘密を漏らすまいと佇む。幾つもの濃緋色の蝋燭が立てられ、ひっそりと部屋の秘め事を見詰めている。
竜妃は中央に置かれた織り物の敷かれたテーブルにランプを置くと、傍らの簡素な椅子に座る。そして正面にナディルを促す。
「見せてみろ」
竜妃が声を掛けるとナディルはゆっくりと手袋を取る。エクリュの手袋の下から現れた左手は半分以上漆黒に染まり、その闇が更に侵食しようと甲の上を畝っていた。
その醜悪な光景に竜妃は顔を顰める。
「見た目より大丈夫です……只、エンコの魔力が思いの外強力で。流石は神と崇められるだけありますね」
ナディルは涼しげに笑って見せる。
竜妃は小さく溜め息を漏らすとそっとナディルの手の上に自分の手を重ねる。
「あまり無茶をするな」
ナディルの手に暖かい陽だまりの様な力が流れ込んできて、禍々しい闇が大人しくなっていく。
「禁術だ。ヒトが飼い慣らすことはできぬ」
竜妃はナディルを諭す様に言う。
ナディルは眼を伏せ黙ったままじっとしている。
「……後悔してはおらぬか?」
竜妃の問い掛けにナディルは柔らかに答える。
「いいえ、全く」
穏やかな笑みを称えた顔に竜妃は諦めた様に溜め息を吐く。
光が収束していき鎖の封がされると、ナディルの左手は本来の彼のものへと戻った。違和感が無いか指を動かしてみる。指は何の抵抗も無く、思う通りに自在に形を変えた。
「どうじゃ?」
「問題ありません」
心配そうな竜妃にナディルは笑顔で答える。この人にはこれ以上心配させたくなかった。国の行く末を、この星の未来を憂う人だ。こんなちっぽけな自分の事でその悩みを増やしてしまうのが申し訳ない。
「ありがとうございます」
杞憂を取り払おうと、いつもと何ら変わらぬ調子で礼を言う。
「余は後悔しておるよ……」
竜妃はナディルが辛うじて聞こえる位、静かに呟いた。
甘い蜜の味の毒はナディルを食べ尽くそうと密かに、確実に息づいている。静かにその機会を狙う鼓動が竜妃には感じ取れた。その甘い毒に痺れてしまい、取り返しの付かないところまで侵されてしまわないかと杞憂する。しかし彼が拒む限り彼女にはどうしようもできない事だ。
彼女が伏せていた瞳を上げると、黄金の強い眼差しがナディルを指す様に見る。
「そう言えば、其方の妹と申す者が此処を訪ねて来たぞ。名は確か……」
「ルースですか?」
ナディルは驚いて食い気味に声を上げた。
「そう申しておったの」
竜妃は威厳を取り戻した顔でにっこりと頷く。
「今どこに居るかご存知ですか?」
「王立学校に通うと申しておったかの。後でセファに聞くが良い」
「そうですか、ありがとうございます」
ナディルは笑顔の裏に思い掛けない妹の突然の訪問の戸惑いを隠した。




