10
ナディル達はエンコと共に、ジグムンドの先導で彼の家に向かった。
大きいが古い土色の建物の扉を開くとシアルフィが出迎えてくれた。彼の足元には例の如く小さな子供達が纏わり付いている。
「あれ、父上。おかえりなさい。ナディル達もいらっしゃい」
穏やかに微笑む彼の顔が、ジグムンドの後ろに立つ赤い瞳の少女を見付けて固まった。
「スルーズ……」
エンコは震える声を絞り出す。
シアルフィは黙ったままジグムンドを見遣る。ジグムンドも黙って静かに頷いた。
「シアルフィ、エンコ奥で話そうか」
ジグムンドは目を伏せて静かに言うと、家の中へ入って行った。
「ロスクヴァ、いるか?」
ジグムンドが呼ぶと、シアルフィと同じ位の歳の穏やかな黒い瞳の女性が家の中から現れる。以前祭りで会った女性だった。
「客人を案内してくれ。それからお茶を」
ジグムンドはそう言うと、ナディル達を客間に案内させた。
ジグムンド、エンコ、シアルフィは奥の部屋に入って行った。ロスクヴァは手際良くお茶を用意すると奥の部屋へと運んだ。
ジグムンドは礼を言い、シアルフィが目配せをする。静かに扉が閉められると静寂が部屋を支配した。
エンコは音も無く纏っていたスカーレットの布を外した。それを合図にジグムンドが重い口を開いた。
「エンコ、知っておるやもしれぬが、スルーズは私の息子だ。
あの日、祭りの手伝いで神殿に来てもらっていたのだ。
お前はどうも手の掛かる子で、時には男手も必要かと思い、彼に手伝いを頼んだのだ。
しかし決まりで男を深部に入れるわけにはいかないから、已む無く侍女の格好させてお前に仕えさせたのだ」
エンコは黙ってジグムンドの言葉に耳を傾けた。
「……お前は聡い子だ。スルーズが男だと分かり、特別な感情まで抱いてしまった。
しかしエンコ、それは神に仕える身として、決して抱いては為らぬ感情だ。お前は生まれた時から神のものだ。
しかし、やはり何も言わずに急に引き離したのは悪かったと思っておる」
ジグムンドは俯いて口を閉ざすと再び沈黙が訪れる。
エンコは恨み言も泣き言も何も言わずにいた。
「2人で話しなさい」
物言わぬエンコを見て、それだけ言うとジグムンドは静かに部屋を出て行った。
2人だけになると、エンコは真っ直ぐにスルーズを見た。
夜の月の様に輝く髪と瞳。肌は少しだけ焼けた様に思うが、エンコの髪の毛を梳かしてくれた時と何も変わらない。まるで昨日の事の様だ。
「スルーズ……」
エンコは彼の名前を呼んだ。
名前を呼ばれた彼は、目を閉じてゆっくりと首を横に振る。
「本当はシアルフィって言うんだ。
エンコ、綺麗になったね」
そう言ってエンコを真っ直ぐ見るとふんわり微笑む。
エンコは嬉しさと緊張とで顔を真っ赤にした。
「シアルフィ」
エンコは愛おしそうに、まるで大切な宝物の様にその名前を呼ぶ。
「シアルフィ、あのね、あの、エンコは……」
ーーエンコは貴方の事が大好きです。
そう言おうと思って、息を吸った瞬間、その言葉を遮る様にシアルフィの手がエンコの唇を塞ぐ。カラカラになった喉だけがゴクリと音を立てた。
「エンコ、俺はね、君に会えてとっても嬉しかった。君と過ごした日々は何物にも代えられない素晴らしいものだよ。
でもエンコ、俺が君にしてやれる事はもう何も無い。あげられるものは何も無いんだ。
俺は今はここでジグムンドの引き取った子供達を養っている。それが今の俺の役目。
ここで君の使命を見守っているよ。あの子達の未来の為に」
シアルフィは何も言わせてくれなかった。その言葉が神への裏切りだと知ってだろうか。
エンコの気持ちも受け入れてくれないし、自分の気持ちもあげられないと言われたのだ。
エンコはただ、彼の変わり無く美しく輝く瞳を見詰めた。
胸が締め付けられて、痛くて、切なくて、涙が溢れそうだった。
でも、ここで泣いてはいけない。彼を困らせてしまう。ちゃんと成長した自分を見せたかった。スルーズが居なくなって、大人になったエンコを。彼を失望させたくなかった。
悲壮と絶望で一杯の胸を抱えて、精一杯、極上の笑顔を作って見せる。
「わかった。エンコはシアルフィが安心できる様に頑張るね。大切な未来を壊さない様に頑張るから、ここでちゃんと見ていて」
神をも魅了する完璧な微笑みに見惚れながらもシアルフィは大きく頷いた。
そしてエンコの髪の毛を優しく撫でた。スルーズが褒めてくれる時、頭を撫でてくれた太陽みたいな手の平だった。それだけで充分だった。




