8
ここを出てしまえばきっともう会えない。
だから会いたかった。どうしても。
ジグムンドは彼に会わない事で、エンコの気持ちが薄れると思っていたが、それは彼女の胸の奥底で消える事無くずっと小さく燻っていた。
スルーズが居なくなって、エンコは大人しくなった。舞いの練習は欠かさなかったが、それ以外の殆どの時間は神殿に籠もり、宝珠を眺める事が多くなった。
エンコは煌々と燃え上がる消えない炎に包まれる宝珠に話し掛けた。
「貴方も私も檻の中ね」
炎は相変わらずゆらりと風も無いのに揺らめく。
「ねぇ、貴方はだぁれ?」
謎かけの様な問いに思いがけず答えが返ってきた。
ーー我が名はロギ
予期せぬ返答にエンコは辺りを見渡す。しかし部屋にはエンコしか居ない。
「今のは……もしかして貴方?」
エンコは再度、宝珠に問い掛けた。頷く様に炎は揺らめくと色を変える。スカーレットの中に青みを帯びた紫が見える。
ーー我は炎瑚、其方の主だ。其方らの信仰が我に力を与える。故に、其方が望めば力を貸そう
やはり、言葉は宝珠の方からエンコの心の中に直接響いてくる。
ーー畏れずに我に触れてみよ
炎の奥の宝珠がエンコを誘う。無闇に触れればその身を焼き尽くす炎に躊躇する。しかし抗えなかった。
そっと、炎に、その奥の深紅の宝珠に手を伸ばす。炎は触れても熱くなく、彼女の触れた場所はオレンジ色に揺らめいたかと思うと、オレンジから紫、紫から青へと色を変えた。
夏の陽射しの様に暖かい宝珠をそっと掴んで炎のよう檻から出してやる。すると宝珠から炎が吹き出し、エンコの前で人の形を作った。
眩い光の男性は、神々しくも美しかった。
炎の化身であるロギと対話する事が出来た。舞いも欠かさず捧げている。巫女としての役目は充分に果たしているはずだ。
エンコはスルーズがジグムンドの息子である事を侍女達の噂話で知っていた。機会を見て彼にもう一度会わせてもらえる様にジグムンドに掛け合おうと思っていた。
しかし今回の話が突然持ち出され、エンコは強行手段に出たのだ。
漆黒の闇が晴れ、辺りは従来の夜の帳に包まれた。
炎の神は消えていてエンコはペタリと力無くその場に座り込んだ。
「お願い、行かせて」
焦点の合わない瞳で力無く呟いた。大きな瞳からは透き通った雫が今にも零れ落ちそうだった。
ナディルは小さく息を吐いた後、声を掛ける。
「明日、一緒に彼に会いに行こう。
ジグムンドには俺からも言っておくよ」
エンコは瞳を大きく見開いてナディルを見詰める。月明かりで青白く浮かび上がるナディルは冷たい大理石の彫刻の様だ。彼の真意は図りかねるが、その言葉に嘘は無いと思った。
「その代わりと、どんな結果になっても、俺達に協力するって約束して」
冷たくも真剣な眼差しがエンコを捉える。
「わかったわ。……ありがとう」
エンコは嬉しくてはにかみながら頬を染めて俯いた。
スルーズに会える。それだけで嬉しくて胸が一杯になった。
「……今日はもうお休み」
ナディルは囁く様に優しく言った。
エンコは黙って頷くと、来た道を戻って行った。
彼女を見送ってから、ナディルは大きく溜め息を吐いて壁に凭れ掛かる。
ナディルの闇は相手の心の闇を引き出して読む事ができる。覗いた彼女の心に現れた人物について思い返した。
ーーきっと彼女の恋は実らない。
だとしてもそれを見届けて導かなければならない。
ナディルの左手からは黒く禍々しい闇がまだ漏れ出していて、手の平の半分が黒く染まっている。ナディルは顔を顰めて小刻みに震えるその手に無理矢理手袋を被せた。
廊下の端から見上げる広い星空には大きな月と無数の星が瞬く。強過ぎる月の光に掻き消された星は、誰にも知られず、それでもそこに存在する。ナディルは心を落ち着け、この星の未来を願う。




