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次の日、ナディルとライナは竜妃、セファ、ティレットと共に子午線の間でお茶を呑んでいた。午後の日差しが暖かく室内を照らす。白い壁紙が光りを浴びてて美しい模様を浮かび上がらせる。
一口お茶を飲み、ナディルが口を開く。
「そろそろ旅立とうと思っています」
「そうか」
「えぇー、もしかしてライナも行くの?」
竜妃が静かに頷く横でティレットが不満そうに声をあげる。
「うん」
ライナはティレットをちらりと見て答える。
「嫌だ!もう少しここに居ようよ」
彼女の愛らしい顔が悲壮感に満ちる。この顔に弱い者は多い。
しかしセファは慣れたもので、冷徹な声でぴしりと一蹴する。
「我儘を言わない」
ライナは何だか可哀想になって、瞳を伏せるティレットを慰める為に声を掛ける。
「またお土産買ってくるね」
「お土産なんていい。ライナが見たものを聞かせて」
ティレットは大きな瞳を潤ませて言った。
ライナはわかったと頷く。
「それでですね、ライナにも身分証を作って頂きたいのですが」
話の隙を見計らってすかさずナディルが口を挟む。女性が多いと話が思わぬ方向へ飛び火しかねない。
「そうじゃの」
竜妃は二つ返事で快諾してくれた。
「して、姓はどうする」
王宮が発行する正式な身分証と言うからにはフルネームを入れなければいけない。しかしライナには“ライナ”という名前しか無かった。
「余のユングヴィにするか?」
創世神から託された為か、竜妃は大胆な発言をする。が、すぐにセファに止められた。
「それは何かと面倒になるので止めて下さい。
せめて私のリディにして下さい」
「だめだめ。それなら私のイズ……」
「ティレット!軽々しく真名を口にしてはいけないと言っているでしょう!」
「だって……いいじゃないライナだし」
「他の者の耳に入るのが問題だと言っているのです。
貴女ともあろう身分の者が。全く。もっと自覚を持ちなさい」
横から入ってきたティレットの発言にセファの説教が続いた。
精霊は大抵公には隠し名を使っていて本当の名前、真名を別に持っている。真名はその名を知った者に使役されてしまう恐れがある為、名付け親と本人にしか知らないが、信頼できる者の証として打ち明ける者もいる。
「ライナ忘れちゃってると思うから後で教えてあげるね、私の本当の名前」
ティレットはライナにこっそりと耳打ちした。
「ライナが嫌じゃなければリーヴスラシルって名乗ってほしいな」
ナディルはライナを見て言った。
ライナのそもそもの姓。確かに少し抵抗はあるがそれが一番問題が無さそうな気はした。
「そうか、そうじゃの。そなたはライナの兄であったな」
竜妃は頷きながら優しい声で呟いた。
「それがよかろう」
「して、最初はどこに向かうのじゃ」
竜妃はナディルに問い掛ける。
「はい、スヴァルトアールブヘイムのノルシーの街に向かおうかと思っております」
「ノルシーか。あそこは寒いな」
竜妃は身震いをする。王都は四季はあるものの、1年を通して穏やかで温かく住み易い。この街がここまで大きく栄えた理由の1つでもあるのだろう。
「着る物はあるんですか?」
セファが眉を顰めて言う。
「向こうで手配しようと思っております」
温暖な気候の王都では極寒の地の為の服を手に入れるのは困難だ。
「それでは着いてから凍えてしまう。セファ、外套を用意してやれ。
献上されて使用していないものがいっぱいあるじゃろ」
「畏まりました」
竜妃の言葉にセファは頷く。
「いいんですか?」
使っていないにしても国への献上品である事には変わりない。そんな高価なものを頂いてしまっても大丈夫なのだろうか。
「無意味に場所を取るだけです。活用した方が有益でしょう。
どうせ現地で手配するのであれば経費削減にもなります」
財務にも厳しいセファらしい意見だ。
その日の夕食後、ライナはセファに呼び出された。
部屋の侍女に連れられて、初めてセファの執務室に入る。思いの外小さいその部屋は、本やら書類やらで埋め尽くされていた。簡素で無駄の無い、黒紫色のウォルナットで統一された落ち着いた部屋だ。
ライナが部屋に入ると、書類の山積みになった机に向かっていたセファが顔を上げる。
「こんな時間に呼び立てて申し訳ありません」
ちっとも申し訳ない素振りを見せずに彼は言う。
「いえ……ご用件はなんですか?」
ライナは少し緊張しながら伺う。セファと2人っきりで話すのは初めてだ。ライナは彼の冷たい物言いが少し苦手だった。
「身分証ができました。渡すのでこちらに来なさい」
そう言われ、セファの机の目の前まで来ると、そこにはナディルが持っていたのと同じ、ヴィリジアンの革に金色の王家の紋章が描かれた手帳が置いてあった。
セファが表紙を捲ると、中も革張りになっていて、右側にゴールドで“ライナ・リーヴスラシル”の文字が刻印されていた。その下には10桁の数字が並び、“この者を我が王家の為に仕える者として証明する ウォーラ・レイス・ユングヴィ”と書かれていた。
左半分は小さな鏡が貼られている。
セファはライナに身分証を開いたまま渡すと、ここを見なさい、と鏡を指差した。
ライナは不思議に思いながらもその鏡を覗き込む。
すると鏡はぐるぐると渦を巻き、目が離す事が出来なくなった。身体ごと吸い込まれそうで気分が悪くなる。
――何これ
ライナが顔を顰めると、鏡は白く光り、やがて元の姿へと戻った。
「登録が完了しました」
セファは簡潔に言い、手元の紙の束に何か書き込んだ。
「今ので貴女の精霊の力、虹彩、容姿が登録されました。
貴女以外使えないので悪用される事は少ないとは言え、転移の魔法陣の渡航文書にもなるので無くさないで下さいね」
「ありがとうございます」
ライナが手帳を受け取ったのを確認すると、セファへ忙しそうに仕事に戻った。ライナは深々と頭を下げてから部屋を出る。
扉が閉まる瞬間、中から声が聞こえた。
「道中気を付けるんですよ」
ライナは部屋に戻って、貰った身分証を改めて見た。滑らかな上質の革に立体的浮き上がった精密な紋章。出来上がったばかりの手帳は艶々と輝いている。
ライナはポケットに手を入れて、貰った身分証より一回り小さい片手にすっぽり収まる銀色の金属板を取り出した。そこには“弥生”という文字と10桁の数字、“タスペリット”“ヨトゥンヘイム”と打刻されている。ライナはその金属板を暫くじっと見詰め、再びポケットの奥へと押し込んだ。




