第7話 フルボルトへ
眩しい朝光が客室の小さな窓から差し込んでいる。
俺は天井の木目をじっと見つめたまま、微動だにできずにいた。
夜が明けた。
横には、すやすやと心地よさそうな寝息を立てるアニーがいる。
薄い布が一枚、彼女の肩口までかかっているが、昨夜の出来事が夢でないことを雄弁に物語っていた。
えーと。なんというか。
男になりました。たぶん。
大人の階段を音速で駆け上がりました。
「任せて。全部」されてしまった。
アニーのことをあんなにお姉さんに感じるなんて。
自分の顔が恐ろしいほど熱いのがわかる。
「ん……あにル……?」
布擦れの音で目を覚ましたアニーが、眠そうに目をこすりながら体を起こす。はだけた肩口、乱れた栗毛。
「おはようございます……」
「ふふ、なんで敬語に戻ってるの」
「ですよね……だよね」
アニーは一瞬だけ照れくさそうに視線を泳がせると、慌ててシーツを胸元まで引き上げた。昨晩はあんなに余裕そうだったのに。
気まずい。
お互いに目を合わせられないまま、無言の時間が流れる。
「ありがとう。楽しかった」
敬語になりそうなのを我慢する。
「こほん。どういたしまして」
アニーは頬を染めながらいたずらっぽく笑う。
「……」
俺はシーツに視線を落とす。昨晩さんざん触ったが、暗かったのでよくは見えなかった。もう押さえがない。昨晩あれだけやっちゃったんだから、もう何しても良いのではないだろうか。
シーツの上からアニーの足を撫でてみる。そのまま足の間へ──。
「ん? こらっ」
怒られた。
「まったく。昨晩あんなに暴れたのに、もう元気になってるの?」
「言わないでよ。恥ずかしいよ……」
「ああいうのは雰囲気が大事なんだよ」
「そうなんだ……」
雰囲気って難しいこと言うな。もう一回、濡れタオルで背中拭くところからやったほうがいいのかな。違う気がするけど。
いや、これはあれか。優しく言ってくれてるが、たぶん、もう報酬分は払ったって意味だろうな。想像の70倍くらいは良い思いはしたし、これ以上は欲張りか……くそ! 昨晩のうちにもっと触っておくんだった!!!
俺は渋々、アニーの太ももの上から手をどけた。
代わりのようにアニーの手が、俺の胸に置かれた。そのまま静かに力をかけられ、俺はベッドに横たえられた。はい?
「仕方がない子だなぁ、アニル」
アニーは布団のなかをよじよじと移動し、身を寄せてくる。柔らかい。温かい。
「そんなに良かったんだ。ふふ」
「あの報酬、もう貰っちゃったけど……」
「アニル」
「はい?」
「私、可愛い?」
「はい」
「ふふん」
アニーは言って、布団のなかを移動し、俺のうえに乗っかってきた。いつから雰囲気がよくなったのか、その境界線が見えない。でも、まあいいか。
──ダニエルの視点
早朝、まだ寒さを感じる時間に起きる。
なぜならもうおじいちゃんだから。
勝手に目が覚めるんだよね。
昨晩、いかがわしい音が響いていた壁を見やる。
あれ、おかしいな。まだギシギシ聞こえるんだけど。
おかしくね。おかしいよね。さすがに一晩中ってことは……ないよね。
気のせい。それを一瞬疑ったが、女子のものと思われる声が漏れてきたので、それはなさそうだ。大きな声が出て、すぐ声を静める感じが、大変けしからん。
うちは第二回戦禁止じゃからー! って叫んでやろうかな。マジで。
何してくれてんのよ。もう。
仕方のない若者どもじゃて。
うわー、俺、優しいのう。
ここで邪魔しないの優しー。
マジでアニルくん感謝してねー。
──アニルの視点
部屋から出る。
居間と隣接している台所では、ダニエルがスープを作っていた。
「うん、おはよう、アニルくん」
俺の顔を見るなり、挨拶をしてくる。
「……おはようございます、ダニエルさん」
何か言われないかとヒヤヒヤする。
冷静に考えれば、すぐ隣の部屋にこの人いたんだよな。
「スープが温まっておるよ。さっそく食事にしようかのう」
ダニエル、なんて優しい男なんだ。てっきりノンデリじじいだから、「昨晩はお楽しみだったね」とか言ってくるかと思ったけど、そんなことはなかった。この人を見くびっていた。食事を何度も用意してくれて、宿は貸して貰えて。そんな聖人を疑うもんじゃないな。
「昨日に続いて、今朝まで。ありがとうござい──」
「ところで昨晩はずいぶん楽しんでいたねえ~?」
ちっ、じじいが! ディレイかけてきやがって!
「なんのことやら。すー、また一段と美味しそうなスープですね」
「なんなら今朝もずいぶんドタバタしていたのう」
「なんのことかまったくわかりません。今日のスープ、昨日より美味しいです」
「昨日とまったく同じじゃよ」
着実に追い詰められている。
ガチャ。
アニーが客室から出てきた。
乱れていた服は、しっかりと締められている。当然だが。
俺は助けを求めるように視線をやりながら、木のスプーンで薄いスープを口に運ぶ。
「アニーちゃん、おはよう」
「おはようございます、ダニエルさん」
普通に着席して、アニーはスープを飲み始めた。
じじいの追及はいつの間にか止んでいた。
なんだろう。気まずいのは俺だけなのだろうか。
これは俺が童貞を脱したばかりだからでしょうか。
みんな普通にしれっとしてるものなのかな。
アニル、まだちょっとわかりません。
朝食の席で、パンと燻製肉も加えて、食事を豊かにした。スープは美味しいし、手が込んでるのはわかるんだけど薄いのでね。塩辛いくらいの燻製肉を浸したら、若者好みの味になった。アニーにも分けてあげた。ベイルボートから持ってきた食料はこれで使いきってしまった。
あとあるのは昨日、マグダから貰ったバターだけ。
やや不安なので、朝イチで毛刈り依頼を探してパンを稼ぐことにした。アニーは今日中には、フルボルトに帰るそうなので、それに間に合わせるために。
昼前。
太陽が直上に昇り切らない頃。
俺とアニーは荷馬車の準備を進めていた。
村長宅の前でダニエルに別れを告げる。
「お世話になりました、ダニエルさん」
「うむ。たくさんお世話したのう」
「どうかお元気で」
「そっちもな。旅、楽しむんじゃぞ」
ちいさくなっていくダニエルへ、御者台の上から手を振る。
アニーと一緒に荷馬車に揺られる。
夕暮れ前には、フルボルトに着けるとの話だ。
「ふんふふーん」
隣で楽しげなアニー。
御者台で隣り合って座る距離は、リムへ向かう時より、ずっと近くなっていた。太ももの横がくっついて、肩も当たる近さだ。
「リムはどうだった? アニルにとっては、初めてのよそだったんでしょ?」
「何もかも目新しかったかな。広かったし、羊もベイルボートよりたくさんいたし。村長の家は、うちより立派だった。同じところもあって、親近感もあって」
「うんうん」
時間はたっぷりある。
俺たちは取り留めのない雑談を重ねた。
リムへ向かう時は、緊張してすっかり無口になっていたが、今回は違った。こんな可愛い女の子相手に、萎縮せずに話せている。やはり、俺は男になったらしい。
「ところで、アニル、フルボルトまでついて来てもらってよかったの?」
「また狼が出るかもしれないから」
言っていると、あの道に戻ってきた。
道の脇に狼の死体が転がる森の道だ。
昨日とほとんど変わらない様相で。
ふたりともなんとなく黙って通り過ぎた。
狼の幽霊を怖がっているとかではないけど、なんとなくだ。
「ふふ、私のことが心配なんだー」
揶揄うように言うアニー。
「まあ。心配かな」
「そ、そんな素直に肯定されると、なんか照れるかも」
アニーは頬を染め、栗色の髪をつまみ、表情を隠すように口元に寄せた。
「それに行く当てもない旅だから」
逃げるように村を飛び出した。
あの人への憧憬を追いかけて。
「そうなの? それじゃあ、フルボルトにしばらくいるとか──」
「あーでも、都には行こうと思ってるんだ。特に王都」
「あっ、そうなんだ。ふーん……何かしたいことがあるの?」
「それは……えーっと」
金髪碧眼巨乳エルフの美少女を探すため。
ないしはそれを超える綺麗な女の子を拝むため。
さすがの俺もそれをうっかり口にするほど愚かではありません。
どうしよ。嘘をつくのは違うし……。
うーん。あっ、そうだ。
「魔法を集めてるんだよ」
「え? 魔法?」
これなら嘘にならない。
実際、集めてるから。
「集めるってどういうこと?」
「俺、すこし才能があって。魔法を覚えるのが得意なんだ」
『欠片の集積』の恩恵。
誰とも比較したことがないので、いまいち実感はないが。
まあ、あの人が言ってたので間違いないと思います。
「それじゃあ、ダニエルさんから魔法教わらなくてよかったの?」
「うーん……実はもう教わってて」
「そうなの? いつ?」
「なんというか、ほら、最初にマッサージしてもらった時」
「え、あれでもう魔法覚えちゃったの!?」
アニーは目を丸くする。よほど驚いたのか、手綱が暴れ、馬がやや取り乱した。ガタガタと揺れる。アニーは「おっとっと」と手綱を取り直す。
「アニルって天才なんだね」
「まあ……そうなのかも」
自分で言うのはむず痒い。
ひけらかしているようで浅ましく感じる。
「へえ、ふふ、そうなんだ。アニルはすごいなあ。すごいなあ」
アニーはずいぶん感心したようで、しばらく浮かれたように、いろいろと聞いてきた。
荷馬車に揺られることしばらく。
俺たちはフルボルトに到着した。
ベイルボートよりも、リムよりも、近場の街にアクセスしやすい場所だという。ここで少し滞在して、準備し、街を目指す算段だ。
人口は300人ほどいるらしく、リムやベイルボートより規模が大きく見えた。森に隣接しており、畜産や畑に限らず、森の恵みを受けて生活しているんだとか。
「アニーちゃん、お帰り~。大丈夫だったかい?」
フルボルトで人にすれ違うたびに、アニーは村人たちから声をかけられていた。
ベイルボートでも見た光景だ。若くて、可愛い娘は、老若男女に好かれて、大事にされているんだ。なお真逆が俺ね。誰からも話しかけられない。
話しかけられる時は、言葉の暴力のサンドバッグになり、相手のストレスのはけ口になる時だけだ。
まあ、そういう奴も必要なんだろうな。村社会には。気兼ねなく攻撃できる共通の敵というのかな。大事な役割さ。ひとりが犠牲になるだけで、村全体の結束が高まるんだから。
隣の女の子が愛を受け取るたび、心の底にある暗い澱を刺激されながら、俺はちいさくなっていた。
「隣の子はリムの子かい?」
「この子は、アニルだよ! すっごく勇敢な冒険者でね、私が狼に襲われてるところを助けてくれたの!」
なお、村一番の美人の隣に座ってる死んだ魚の目をしている奴は、やはり気になるようで、村人たちは「アニーちゃん、おかえり!」のあとに90%くらいの確率で「隣のは誰だい?」とアニーに質問していた。そのたびに、アニーは面倒くさがらずに俺のことを紹介してくれた。
おかげでフルボルトでは不審者扱いされずに済みそうだ。アニー、優しい。
「おう、おかえり、アニーちゃん」
「あっ、ウィテカーさん! ただいまです!」
この男がウィテカーか。
元傭兵とかいう。
身長180cmはある。筋肉質で、二の腕の太さがアニーの腰ほどもある。そして、日に焼けた肌と、唇のあたりに目立つ縦傷。恐すぎて笑う。あまりにも元傭兵。
「ねえねえ、ウィテカーさん! この子、アニルっていうんです! 冒険者で、剣が凄い上手で、すっごく強いんですよ! ウィテカーさんの剣術に興味があるとかで、戦ってみたいんですって!」
え、そんな雑にけしかけるの?
「ほう、冒険者ねえ。面白いじゃねえか」
元傭兵すぎる男がやる気出しちゃった。




