第6話 リムの夜
村長宅に戻ってきた。
もう暗くなってきた。
冒険者稼業も終了だ。
「アニル、戻ったか。大活躍だったらしいのう。マグダのところの毛刈りを手伝ったとか」
「耳が早いですね」
「通りがかりに見かけてな。やはり、君は善良だった。今、スープを温めているからしばらく待ってくれるかのう」
あっ……なんか夕食の準備してくれてますね。
部屋貸してくれるだけじゃなくて、飯もくれる感じだったんですか。なんて心の広い男なのでしょう。もう外で食ってきたなんて言い出せないよ。
俺は荷物を部屋に置いて、村長宅の外に出た。
「ふっ! はッ! シュッ!」
上半身裸になって鋼の剣を振り回す。4年間ずっと続けてきた、あの人に教わった基礎の型を。それと、そこから派生した我流の連撃を。
別に無理やり腹を空かせようとしているわけではないです。嘘です。してます。でも、これは事実、習慣のようなものなのです。
あの日から4年間、暇さえあればこうして剣を振り回して過ごしていた。こうしていると人が話しかけてこないからだ。だってそうだろう。必死に剣を振り回している男だぞ。心理的に話しかけにくいんだと思う。おかげで剣を握ってる間だけは、俺はまわりに馬鹿にされることがなかった。
「シュッ! ウラア!」
連撃の締め、力いっぱいに空を斬る。横薙ぎに。
風切り音がビュンッ! と鋭い音を夜に響かせた。
「はあ、はぁ、はぁ」
パチパチパチパチ。
軽妙な拍手の音。
視線を向けると、アニーが少し離れた場所で、柵に前かがみになって、体重を預けていた。見ていたらしい。全然気づかなかった。
「すごいね。ビュンッて音したよ」
「意外と簡単に鳴ります」
「またまた謙遜しちゃって」
アニーは言って、俺が脱ぎ捨てた上着を片手に近づいてくる。
「ウィテカーさんとアニル、どっちが強いかな」
「ウィテカーさん?」
「うん。元々傭兵やってた人。フルボルトに住んでるの」
「えっと」
「あー、フルボルトは私の村ね」
そういえば、アニーは自分のとこの村から、リムに薬草を売りに来てるんだったっけ。
「ウィテカーさんはすっごい強くてね、戦争に行ったこともあるんだよ」
「へえ」
元傭兵か。ふむ。対人間の剣の使い方を知っているかも。俺は、人間と戦ったことがほとんどない。あの人に最初教えてもらった時に、すこし刃を交えただけだ。これから先、旅を続けていくと、悪党と剣をぶつけることもあるかもしれない。
フルボルトのウィテカー。
ちょっと興味あります。
「汗、拭いてあげるよ! 待ってて」
家に戻ると、アニーが言って奥へ走っていった。俺は居間のイスに腰掛ける。上は着ずに上裸で待つ。
アニーは水甕からバケツに水を移し、それに布を浸して戻って来た。
「ありがとうございます。あとは自分で……」
じっと待っているのが、なんだか偉そうで、我慢できず口に出す。内心、拭いてもらいたい気もするのだが、どうしてもね、うん、慣れない。
「いいから」
「いでっ」
濡れたタオルを受け取ろうとすると、手ではたき落とされた。イチャイチャですやんこれ。楽しい。俺が女の子にお世話してもらえる日がくるなんて。涙が出ます。
冷たい感触は、背中の広い面をひと通りさらう。アニーは俺の手を掴んで、腕を持ち上げた。脇の下から二の腕、肘、前腕と順番にタオルで拭く。
アニーはバケツでタオルを洗い、絞る。再びひんやりした感触が襲ってくる。今度は、体の前面。アニーは中腰で俺の胸と肩、首筋を拭き、腹筋をタオルでなぞる。前かがみの姿勢のせいで、胸元が見えています。あの、アニーさん、見えてますよ。視線が全然外せません。凄まじい引力です。
感慨深さを胸に抱きながら、表向きは平静を装う。
心臓が激しく鼓動を刻む一方、無表情を崩さない。
拭き終わった。
右手の指先から、左手の指先まで。
はあ、はあ、精神力を消耗したぜ。
ふと、目が合った。
アニーは濡れたタオルを片手に、空いている手で俺の右手の指をつまんでくる。
な、な、なんだ!?
「……」
いたずらされている……?
それとも俺の童貞感を感じ取り、からかっている?
思えばそんな様子がいくつかあった気がする。
いやしかし、俺は完璧に童貞感を隠せているはずだ。
彼女の目にはクールな魔法剣士として映っているのだから。
「そういえば、お礼、何にしようかなって」
「え? お礼、ですか?」
「うん。助けてもらったから。冒険者だから、報酬が欲しいかなって」
あー、軟膏をヌリヌリしてくれたのがお礼じゃなかったのか。
「なんでもいいよ。私にできることなら」
アニーは言う。少し緊張した面持ちで。
てか、なんでも!?
なんでもってことは、なんでもですか!?
い、いや、待て、落ち着け。
さすがに限度があるだろ。
視線がアニーの髪の毛に動く。
最初に思ったのは髪、触らせてだった。
そして、ややキモイと思ったので口には出さなかった。
『冒険者の心得その4。報酬はしっかり貰うべし! 人助けは稼ぎ時と心得よ!』
冒険者よ、強かであれ。
それがあの人の教えだ。
怖気づくべきではない。
俺はもうベイルボートのアニルではないのだ。
「こほん。その……髪を触っても?」
思ったより冷静に問うことができました。
「え、髪?」
アニーは驚いた様子だ。目がまん丸になっている。
時間よ戻れ。頼む。
本当にすみませんでした。
謝るので忘れて欲しいです。
気持ち悪いよね。普通にそりゃそうだ。
「っていうのは、冗談でして」
「別にいいけど……」
アニーは困惑しながら、楚々とした所作で俺の膝に浅く腰掛ける。軽い。
ていうか、お尻が太腿に乗っています。
そして、すごく近い。柔らかい。良い匂いする。
もう楽しい。生きててよかった。
冒険者になってよかった。
人の命を救うとこんな良いことあるんだね。
たぶん、髪の毛、触れってことなんだろう。
目の前に垂れ下がる栗毛に指を通す。
サラサラだ。……えー、現場からは以上です。
「おほん。スープ温まったけどぉ?」
ダニエルが半眼で見つめてくる。
アニーはサッと立ち上がって俺から離れた。
村長ダニエルが作ってくれたスープを胃に納める。
やはり薄味だ。でも、美味しい。
食事が終わり、客室に戻る。
「ほいしょっと」
アニーは片手にバケツを持ち、俺の隣に座る。バケツのなかには濡れたタオルがあり、それを取り出して絞っている。
たぶん、就寝前に体を拭くのだろう。
俺はベッドから腰をあげる。
黙って部屋を出るのが紳士なわけよ。
『冒険者の心得その5。謙虚に、紳士に、丁寧に! 人を味方につけるべし!』
あの人も言っていたしね。
「だめ」
ベッドから腰を浮かした瞬間、太ももを上から押さえられ、やんわり座らされる。
「……」
月明かりが細く差し込む、暗い室内。
アニーは濡れたタオルを、俺の手に握らせる。
「……背中を拭いてほしいな」
あの……あれ? ん?
断る理由がない。
心臓がやかましく鼓動を重ねる。
アニーはゆっくりと服を脱ぎ始める。
俺はさりげなく視線を逸らす。
再び視線を戻した時、そこには綺麗な背中があった。
ピタ。布を押し当てる。擦る。できるだけ優しく。布の粗さが、彼女の肌を傷つけないように。
あの、これは、ちょっと素人質問で申し訳ないのですが、そういうことなのかな。ちょっとわかんないですけど。なに、これ、本当に拭いてほしいだけなんですか?
頭のなかで、極めて高度な情報処理が行われる。
結果、なにがなにやらわからなくなる。
自分の都合が良いようにとらえるなら、つまり、あの、そういうことなんですけど、普通に背中に手が届かないから拭いて欲しかった可能性も十分にあるような気がしてですね──。
「アニル」
「っ、はい」
やや上擦った声で返事する。
我ながら情けない。
アニーは胸元に衣服を抱き寄せるようにしながら、こちらへ振り返る。はだけた布は、白い肌を隠し切れず、肩口からなにから、すっかり露出してしまっている。
「緊張してる?」
「いや? ……してるかも」
「あはは。大丈夫だよ。任せて。全部」
アニーはおかしそうに微笑み、俺の手を握ってくる。さっきのようなつまむ感じではない。言い逃れの余地がないほど、しっかりと指を絡ませている。もう逃げられない。そう感じた。
綺麗な顔が目の前にある。
おでこがコツンと当たった。
温かな息遣いが、唇を撫でる。
鼻孔には、ツンと甘い香りが漂い、頭がくらくらしてくる。
耳朶を布擦れと身じろぐ音だけが支配する。
目の前の彼女は、事が進むごとに、だんだんと余裕そうになっていく。
対照的に俺はどんどん追い詰められていった。
──ダニエルの視点
壁を見つめる。横の部屋に面した壁じゃ。
ギシギシという軋み音が響いてくる。激しく動いている振動も。時折、甘い声も漏れている。
若い男女、狭い部屋にはベッドがひとつ。
何も起こらないわけもなく。
まったくけしからん。
「やれやれ、若いっていいのう」
寝返りを打ち、騒がしい壁から視線を背ける。
アニルくんが嫌なやつじゃったら、アニーちゃんを守るために邪魔しにいってもよかったが……まあ、それには及ばんな。マグダの毛刈りでずいぶん活躍したようだし、ここは放ってやるか。




