第2話 薬草売りのアニー
──アニーの視点
先月、父が死んだ。数年前から体が弱り始めて、昨年からほとんど寝たきりのような状態だった。森で悪い呪いを拾ってきたんだって、村のみんなは噂してた。
渋々、私も家の仕事を再開した。お父さんがやっていた薬草探し。それを引き継ぐの。お父さんの仕事だ。
「行ってきます、母さん」
「気をつけるのよ、アニー」
薬草を採取したら村のみんなと物々交換するんだけど、それでも余ることがある。そういう時は、隣村のリムに薬を届けにいく。あっちはあんまり薬草が取れないらしくて、すごく喜んでもらえるの。
隣村までは、朝に出発すれば陽が昇る頃にはつく。お父さんは、一度だけ狼に会ったことがあるって言ってた。少し怖いけど、まあ、そんなに遭遇するものでもないと思う。会っても、お父さんの形見のショートソードがあるし、きっと平気。
「うぁぁ、ぁあぁああ、来ないでぇえ──!」
と、思ってた時期が私にもありました。
狼、すごくこわい。
え、こんなに悪そうな顔してるものだっけ?
牙を剥いて吠えてくる顔なんか、クシャクシャだ。
がむしゃらに剣を振り回す。刃が奴らの鼻先を掠めれば、一応、引いてくれる。だけどそれだけ。こいつら全然あっち行かない。
あ、私、ここで死ぬんだ。
嫌な想像が浮かぶ。
誰でもいいから、誰か助けてぇぇ!
「あっ!」
剣を振り疲れてきた頃、男の子が街道を走ってきた。
私が何か言う前に、男の子は剣を抜いた。
彼の剣は燃え上がり、狼の太い首を撫でた。
驚くべきことが起こった。
爆ぜたの。熟した果物を落としたら、果肉が飛び散るみたいに、狼の首が爆発したの。ひどい光景に、思わず目を背けた。
魔法使いだ。あの人と同じ。
背筋にぞわぞわとした物を感じた。
男の子はまったく怯むことなく、さらにもう1匹、狼を燃える剣で粉々にしちゃった。狼たちはさすがに怖くなったみたいで、あっという間に森に逃げ帰った。
男の子がこちらを見上げてくる。
そばかす塗れの顔。茶色いボサボサの髪。なんだか鳥の巣みたい。目はちいさくて光が宿ってない。死んだ川魚がこんな目をしてたなとか思い出しちゃった。助けてもらった時は、王子様みたいに輝いて見えたけど、こうしてみると普通の子だ。
──アニルの視点
まじまじと見ると、けっこう可愛い子だ。
俺の冒険ここで終わってもいいかも。
小綺麗だ。ベイルボートで一番可愛かった子に匹敵するぞこれは。
小麦色の健康的な肌、栗毛の髪はサラサラで馬の尻尾みたいだ。きっと手入れを頑張っているんだろう。触りたい。指通りを確かめてみたい。
命を救ったんだし、それくらい要求しても……いや、無理だな。恥ずかしすぎる。それに図々しいだろ。人の嫌がることをしない。基本的なことだ。
晴れて離村者となった今、かつての村での地位からは解放されたわけだが……いきなりイケてる男のように振る舞えるわけもない。
「また狼が出るといけない。はやく出たほうがいいですよ」
俺は目を見ずに言いながら、剣を地面に押し当てる。草花で血を拭う。血と脂は剣の切れ味を悪くする。それにそのままにすると錆びる。戦闘後のひとまずの処置として、拭けるものがあればなんでも拭く。あの人に教わったことだ。
「親切な人、もしよかったら、一緒にきませんか? お礼もしたいですし」
「構いませんよ」
「よかった! これで一安心です。ささ、どうぞ乗って」
女の子に誘われて御者台に腰掛ける。
並んで座る。初めてだ。女の子の隣に座るの。
それにこんなに近い距離で……。ベイルボートでは許されなかった距離だ。くんくん。くんくん。良い匂いがする。
「名前はなんていうんです?」
「アニルです」
「アニルね。私、アニー。なんだか似てますね」
確かに。ちょっと嬉しい。アニーがそのことに言及してくれたのが嬉しい。俺のこと好きなのかな。
「このあたりの村の子? リムでは見たことないですけど」
「ベイルボートから出てきたんです」
「ああ……向こうのほうの。遠いんですよね」
「丸1日、この道を行ったあたりでして……でも、もう俺の村ではないんですけど」
「どういうことですか?」
「冒険者になったので」
俺は胸を張って言った。
アニーは少し驚いた顔をする。
「村を離れたってこと?」
「ええ、そういうことです」
「お母さんとお父さん、許してくれたんですか?」
「まあ」
別に許しはもらってない。
「すごい。勇気があるんですね。やっぱり、魔法使いって普通の人とは違うんだ」
「まあ……ところでこれどこに向かってるんです?」
「リムです。薬を届けないといけなくって」
荷馬車のほうを見る。これが薬か。
「森で採れたのをリムで交換こするんです」
ふーん。なんか、交流あるっぽいですな。
ベイルボートは、外から人が来ることなんて滅多になかったのに。
流れで乗り込んだ荷馬車に揺られることしばらく。
陽が天高く昇る頃、馬車は村に到着した。
リム。畑が広がるなかに、ポツンポツンと家々が立っている。丘陵地帯を広く使っているようで、羊や牛たちが伸び伸びと暮らしているのが見てとれる。
アニーは立派な家に荷馬車をつけた。ここで薬草をおろすのかな。
「はーい、動かないでください。今、軟膏塗りますから」
「え? あっ……」
アニーは白い箱を開いた。箱の中の艶のある液体を細い指先ですくって、俺の顔をつつくように触れてくる。冷たい。ぬめってる。指先が傷をなぞるたび、ヒリヒリする。
でもなんだろ。楽しい。楽しいっていうか、なんかこれ……えっちじゃないかな? うん。こんな可愛い女の子が、なんかヌメヌメしたものを俺に塗っている……すごくええ、すごいです。はい。もしかしてこれがご褒美なのか?
内心の邪さを顔には出さず、俺は微動だにしない。
「はい、これでよしと。服の下は平気ですか?」
「大丈夫だと思いま──」
ほぼ言ってから、後悔する。
あれ? これ下も塗ってもらえたのでは。時よ戻れ。頼む。
「……す」
「ふふ、なんだか語尾が消え入りそうでしたよ」
アニーはどこか見透かしたように笑む。
十中八九、俺の被害妄想なんだろうけど。
うなだれていると、大きな家から人が出てくる。アニーはなんだか親しげに話したあと、俺のほうに向き直った。
「こちらリムの村長ダニエルさん。薬草はいつもここでおろすんです。それと部屋も貸してくれるの」
「おや、こっちの子は、どちら様かな? ずいぶんボロボロだけど」
自爆のせいだなんて言えない。恥ずかしい。
「彼はアニルだよ。森街道で狼に襲われてるところ助けてくれたの。すごく強いんだよ。ね?」
アニーは腰に手を当て、自慢げに言う。可愛い。なにその所作。どうしよ、魔女さま、俺この子好きになっちゃう。俺の冒険終わっちゃう。
「まあ、狼には負けないですよ」
クールに決める。
「それにそれに聞いて聞いて、ダニエルさん! アニルは魔法使いなんだよ」
アニーは嬉しそうに言って、俺の肩に手を置いた。身体が硬直する。お手手ちいさい。やわらかい。
村長は意外そうに顎を撫でる。
「その若さでね。すごいのう」
「? 若さって関係ありますかね」
「魔力を制御するには、長い時間がかかるものじゃよ。かくいう私が魔法を会得したのは、30を過ぎてからだったかな」
「30を過ぎて……ん?」
「そうとも実は私も魔法使いなんじゃよ」
村長ダニエルは朗らかな笑みを湛えながら、そう言った。
「どれ、珍しい邂逅じゃ。魔法使い同士、術を見せ合いっこしないかい?」
あの人以外の魔法使いに出会ったのは、初めてだ。
良い流れだ。ふたつ目の魔法を学べるかもしれない。
──アニーの視点
リムに来る途中、アニルはあんまり喋ってくれなかった。
話してくれないと不安だ。
私はアニルのことをよく知らない。
彼はたぶん年下だけど、男の子だし、剣を持ってる。
アニルがもし悪い人だったら、私はきっと酷い目に遭っちゃう。
だから、たくさん話して欲しいのに。
と、思っていたのだけど、よくよく隣のアニルを観察していると、私はこの雰囲気を知っていることに気づいたの。
ふふん、私、可愛いからね。
そう、シャイな男子は、こうなっちゃうんだよね。
きっと緊張してるんだ。
ここはお姉さんである、このアニーさんが導いてあげないと。
そう確信したので、思い出したように軟膏を塗ってみた。
アニーさんはモテる女の子なのでわかります。アニルの童貞感は異常だと。




