第10話 フルボルトの夜
夜。
アニーのお家に招かれた。
「あら~あなたがアニルくんね。男前じゃないの」
アニーママは温かく迎えてくれた。親子なので当然だが、アニーとよく似ている。アニーの栗色の髪が艶々してて綺麗なのは、母譲りだったようだ。
夕餉はハースニップと塩漬け肉が入った羊脂のスープ。さっき焼いたという柔らかい小麦のパンと、蜂蜜だ。とてつもなく豪勢な食事に、歓迎されていることを確信できた。行動で示された善意は、やはり嬉しいものだ。
3人で食事を囲む。
どうやら最近、アニーママは夫を亡くしたらしい。暗い雰囲気にならないように話してくれた。
「そう、アニルくんはベイルボートの子なのね。冒険者には仕方なくなったの?」
「そういうわけではないですよ。こう生きようと決めていたので。これが俺のやりたいことなんです」
言ってはみたが問われるとふと考えざるを得ない。俺は本当に冒険者になりたかったのか。ただ、ベイルボートから逃げたかっただけなのか。口実として剣がそこにあっただけなんじゃないのか。
「……」
「アニル?」
アニーが首をかしげる。
「ん。このスープ美味しいね。お母さんはとてもお料理が上手なんですね」
俺はアニーへ微笑み、アニーママへ告げる。
「あらまあ、礼儀正しい子ね。気に入っちゃったわ」
気に入られました。
「そうだ。街に行きたいんですけど、どうすれば行けるかわかりますか?」
「そうねえ、南に街があるとは知ってるけど、結構遠いって聞いてるわ。私はずっとフルボルトで暮らしているから……行き方はウィテカーが一番詳しいんじゃないかしら」
ああ、確かに。
元傭兵ってことは、村を出てたはずだよな。
食事を終える。
汗で汚れた体を川で清めにいく。
ついでに服も洗う。臭いのでね。
冷たい水で、月明かりを頼りに服を水面に突っ込んだ。
背後から足音が聞こえる。
「アニル」
アニーだ。水汲みに来たらしい。
「優しそうなお母さんだね」
「ふふ、でしょ?」
アニーは川辺にしゃがみこみ、バケツの口を川の流れに逆らうように向けた。
「アニル、今日は私のベッドで一緒に眠ることになったよ」
心臓が早鐘を打ち始める。
からかわれている。俺がまたしても野獣化するのを楽しんでいるに違いない。
「何から何までありがとう、アニー」
「……どういたしまして」
アニーはスカートの端を片手でつまんで、品のあるカーテシーをする。
水を汲み終えて、川から遠ざかる背中。
俺はなんとなく見つめる。
と、そこへ、ひとりの男が近づいてくる。
背が高くて、二枚目の顔立ちの男だ。
アニーは立ち止まり、笑顔で応じる。
くすくすと笑いながらしばらく談笑し、ふたりは別れる。アニーはそのまま歩きだし、最後にチラリとこちらを見た。俺は視線を逸らし、川での洗濯を再開した。
「まあ、そうだよな……」
自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
アニーはフルボルトで一番美人さんらしい。
16年間、この村で生きてきたんだと。
俺より、アニーのことを知ってる奴しかここにはいない。俺は旅の者。ただ一時、立ち寄っただけの男さ。何かを期待するべきじゃない。
アニーが俺と一晩過ごしてくれたのは、狼から命を救ったお礼にほかならない。それ以上の意味はない。優しくて、可愛くて、品があって……。
はあ、大人ぶるのはやめよう。
端的に言うと、脳が破壊されそうです。
弾けてバラバラになっちゃう。
アニー宅に戻る。
濡れた服を物干し竿にかけ、家に戻る。
「アニル、おかえり」
月明かりの薄暗い部屋。さっきぶりのアニーが、部屋で糸を紡いでいた。羊毛の束からスピンドルを使って糸を依り出しているのだ。非常に手間な作業なので、村の女の子は暇さえあれば、みんな糸紡ぎをするんだ。
「よいしょ。今日はおしまい!」
アニーは言って、ベッドに寝転がった。
俺は遠慮がちに布団に体を滑り込ませる。
今朝までの俺だったら、ワンチャン狙って、アニーの身体に触れたかもしれないが、今はそんな気分になれなかった。
俺は幻を見ていたのだと思う。
あまりに飛躍し過ぎて、現実が見えていなかったんだ。
まあ、それでいいんだけど。
俺はフルボルトの住人じゃないんだから。
もし仮にだ。よしんばアニーが俺に好意を持っていたとしても、俺はすぐに旅に出るじゃないか。必然の別れ。彼女を傷つけるに違いない。
これは自惚れた妄想だ。傲慢な想像だ。
そのなかでさえ、俺はアニーと関係を持つべきではないのだ。
であるならば、現実はどうか。
アニーは俺に特別な感情は抱いてない。
彼女には仲の良い男の子がたくさんいるんだ。
俺よりカッコよくて、気の利いた冗談を言える幼馴染たちが。
俺だけ舞い上がって求めすぎるのは、彼女の厚意に漬け込む浅ましいことだ。恥を知るべき行いだ。一晩の夢を見せてもらった。フルボルトまで荷馬車に乗せてもらった。家にも泊めてもらった。食事もくれた。これ以上、欲しがるな、アニル。
16歳の春、狼から助けてくれた冒険者は良い人だった。そういう風にアニーには覚えていてもらいたい。決して図々しい男だったなんて記憶されたくない。
俺は己を制御する。
アニーに背中を向けて目をつむる。
「……」
しばらくの沈黙。
静謐が降りる室内。
月明かりの祝福だけが光源。
もぞもぞと動く布の音。
背中に温かいものを感じる。
柔らかくて、形をふにゃりと変えて。
腰にまわされる細い腕。
「今日は寒いから……」
アニーはぼそりと言葉をこぼす。
うなじに温かい息を感じた。
それは消え入るようなちいさな声だった。




