静寂の深淵
「……おい、エルフ。今は言い争っている場合じゃないぞ!」
ルカの怒号と共に、天井から巨大な岩塊が降ってきた。オリビアの警告を無視し、儀式を強行しようとしたルカのパーティが、強引に魔力の流れを歪めたせいで、古びた鉱山の構造が耐えきれなくなったのだ。
「ああ、なんてことを……! 世界樹の調べが、不協和音で引き裂かれていく!」
オリビアは悲鳴に近い叫びを上げた。彼女の目には、青い光が悲鳴のように揺らぎ、洞窟の壁面に亀裂が走る様子が、まるで生き物が苦悶しているかのように見えていた。
『オリビア、捕まれ! 崩落するぞ!』
ロンドの翼がオリビアを包み込み、間一髪で土石流を回避する。しかし、鉱山の床そのものが大きく陥没し、オリビアとロンド、そしてルカの三人は、光に導かれるようにして暗闇の底へと飲み込まれた。
どれほどの時間が経っただろうか。
目を覚ましたオリビアの耳に届いたのは、風の音も、魔物の咆哮もない。ただ、金属がかすかに鳴り響くような、静謐で透明な音色だけだった。
「……ここは」
起き上がると、そこは鉱山の底ではない。
一面に広がるのは、白銀の結晶で形作られた、巨大な地下空間だった。天井からは幾重にも枝分かれした光の筋が降り注ぎ、それがまるで大樹の根のように、床の中央にある「何か」へと繋がっている。
「……これは、本物か」
背後から低い声が響いた。立ち上がったルカが、自身の額から流れる血を乱暴に拭いながら、その光景を呆然と眺めていた。彼のパーティメンバーの姿は見えない。暗闇に分断されたのだ。
中央にあるのは、枯れ木のように硬化した、しかし微かに脈動する『世界樹の苗木』だった。
アムズガルドが陥落した際、世界樹の根の一部がこの地に逃れ、長い年月をかけて息を吹き返そうとしていたのだ。
「なるほど、これが……金山を掘り当てた気分だな」
ルカは短剣を手に、苗木へと歩み寄る。その瞳には、かつての冷徹さに加え、得体の知れない飢えのようなものが宿っていた。
「待って。傷つけないで」
オリビアは駆け寄り、ルカの前に立ちはだかった。彼女はクレスから譲り受けた魔鉄の短剣を抜くことはしなかった。代わりに、彼女はそっと苗木に手をかざす。
「これは資源なんかじゃない。失われた世界の『調律』そのものよ。あなたが求めているものとは、根本的に違うはず」
「綺麗事だ。この荒野で調律なんてものに何の意味がある? 俺たちは、この死にかけの世界で生き残るための糧を求めているだけだ」
ルカは苛立ちを見せるが、苗木の放つ清浄な光に気圧されたのか、最後の一歩が踏み出せない。
二人の間には、これまでとは違う、重苦しくも静かな時間が流れていた。
突然、苗木の根元から、淡い光の波紋が広がった。
それはオリビアの身体を通り抜け、彼女の記憶の中にある「平和だったアムズガルド」の光景を、ルカの脳内にも直接描き出した。
ルカが目を見開く。
彼の冷徹な仮面の下に、一瞬だけ、激しい動揺が走った。
「……この感覚は。……あり得ない」
ルカがかつて捨て去ったはずの記憶――世界樹の守護者としての誇りを持つ一族が、まだこの地で息づいているという現実。
死神ルカと守護者オリビア。正反対の道を歩んできた二人の運命が、地下深淵の光の中で、今まさに交差しようとしていた。




