記憶の深淵、交差する調べ
地下深淵に満ちる白銀の光が、二人の意識を強制的に溶け合わせていく。
オリビアにとってそれは「懐かしい故郷の香り」だったが、ルカにとっては「消し去ったはずの呪い」のような記憶だった。
視界が歪む。
かつてのアムズガルド。永遠の銀霧に包まれ、誰もが明日を信じていた時代。
オリビアの視点を通じて、ルカは「自分が見たことのない景色」を追体験させられた。
そこには、若き日のルカの姿があった。まだ「死神」などと呼ばれる前、彼もまた世界樹の根元で、オリビアと同じように調律の技を学んでいた守護者の一族の少年だった。
(……そんな、馬鹿な。私は、あの街が滅びる前に見捨てて……)
ルカの記憶が、震えるように逆流する。
街を襲った魔王軍の軍勢。逃げ惑う人々。そして、幼いルカが愛する者を守れず、自らの無力さに絶望して街を捨てたあの日。
彼は、自分が「見捨てた」と思っていた街の守護者たちが、最後の一瞬まで調律を続け、世界樹を癒やそうとしていた事実を、オリビアの記憶を通して知る。
「……嘘だ。彼らは、最後まで……」
ルカの膝が折れる。冷徹な死神の仮面は完全に剥がれ落ち、そこには哀れなほどに傷ついた一人の少年の瞳があった。
オリビアもまた、ルカの痛みを共有していた。彼がなぜ荒野で強さを追い求め、なぜ「無駄な手間」と嘯くことで己を凍らせていたのか。それは、失った故郷と、守れなかった人々への罪悪感から逃げるための防壁だったのだ。
光の奔流が収まり、静寂が地下空間に戻った。
オリビアは荒い息をつきながら、苗木の前に倒れ込んだルカを見つめる。彼の手は震え、その目からは一筋の雫が、埃にまみれた頬を伝って落ちた。
「……なぜ、私にこれを見せた」
ルカの掠れた声。オリビアはゆっくりと立ち上がり、彼の手元にある短剣を、今度は優しく、しかし確固たる意志で握り直させた。
「見せたんじゃないわ。世界樹が、あなたを呼んだのよ。あなたが捨て去ったと思っていた『調律の調べ』を、あなたがまだ覚えていることを、この苗木が知っていたの」
オリビアは苗木に再び手をかざす。すると、彼女の指先から柔らかな光が溢れ、枯れていた苗木の枝に、小さな緑の芽が吹いた。
「私たちは、もう逃げなくていい。この苗木は、かつて私たちが守りたかった世界の続きなの」
ルカは顔を上げ、オリビアの瞳を見た。そこには、憎しみも軽蔑もなく、ただ「同じ道に立つ者」としての静かな連帯があった。
「……私の手を、取れ」
ルカが差し出したのは、死神として人を斬ってきた手ではなく、かつて世界を癒そうとした調律師の手だった。
その時、二人の背後――地下深層のさらに奥から、地鳴りのような咆哮が響き渡った。苗木の覚醒に呼応するように、この深淵に巣食っていた「魔王軍の残滓」が、獲物を嗅ぎつけて動き出したのだ。
「甘い感傷に浸る時間は終わりだな」
ルカが立ち上がり、かつて捨てたはずの調律の構えをとる。
その姿は、荒野の殺し屋ではなく、紛れもなく「守護者」のそれだった。




