沈黙の休息、あるいは終わりの始まり
「……ロンド、大丈夫?」
オリビアは荒い息をつきながら、地面に降り立ったロンドの翼に触れた。その翼は激しい追撃戦の代償として、ところどころ羽毛が焼き焦げ、魔力の光が点滅を繰り返している。ロンドは弱々しく首を振ったが、その瞳には明らかな疲労の色が濃かった。
『……少し、エネルギーを消費しすぎたようだ。この峡谷の瘴気は、今の私には少しばかり毒が強い』
オリビア自身もまた、限界に近かった。魔鉄の短剣を振るうたび、彼女の指先から力が抜け、身体の奥底が冷え切っていく感覚に襲われる。
ルカはと言えば、かつての戦闘術と調律の技を極限まで酷使したせいで、全身に黒い痣のような「魔力の逆流痕」が浮き出ていた。荒野の殺し屋として培ったタフな肉体でさえ、世界樹の核を守るための膨大な魔力と、バルバトスを追うための無理な跳躍には耐えきれなかったのだ。
二人は、燃えさかる要塞の残骸から少し離れた岩陰で、束の間の休息をとった。峡谷に吹き付ける風は冷たく、かつてこの場所で何かが断絶したことを告げるような、死の静寂に満ちている。
「……バルバトスも、相当な深手を負っているはずだ。奴は、この峡谷の底にある『澱みの海』で、傷を癒やすつもりだろう」
ルカは水筒の残りを口に含み、そう呟いた。彼の手は震えていた。もはや拳を握る力すら残っていないことを、隠そうともしなかった。
「ルカ、もし私が動けなくなったら……その時は、迷わず私を置いていって」
オリビアの唐突な言葉に、ルカは呆れたように鼻を鳴らした。
「馬鹿を言うな。一人で勝てる相手なら、とっくに俺は一人でやってる。……お前がいなきゃ、あの調律とやらも成立しないんだ。俺の剣は、お前の眼がないとただの鉄くずだ」
「……そうね。私たちは、二人で一つ、だものね」
オリビアは薄く笑った。その笑顔は、かつての清廉な守護者の面影と、過酷な荒野を生き抜いてきた冒険者の強さが混じり合った、非常に人間らしいものだった。
彼らの目の前に広がる『最果ての峡谷』は、まるで口を開けた巨大な獣のように暗く、底知れない。バルバトスを倒すためには、この底へ降り、最後の澱みの中に潜む彼と決着をつけなければならない。
しかし、二人の装備も、肉体も、そして相棒のロンドさえも、限界を迎えていた。
彼らはそこで、互いの身体を寄せ合い、凍えるような夜の荒野で、ほんのわずかな「眠り」に落ちた。それは、明日を迎えるための眠りか、あるいは永遠の休息への入り口か。
闇の中で、バルバトスの笑い声が、峡谷の底から反響のように響き渡っていた。




