第六話「異様」
摂津の地に、その城はあった。
——池田城。
だが、それは“城”という言葉で片付けていいものではなかった。
「……あれを落とさなければ、勝ちはない」
明智光秀が低く呟く。
その視線の先。
山の稜線に張り付くように築かれたそれは、
明らかに異質だった。
高い。
ただ高いだけではない。
“過剰”だった。
石垣は不自然なほど積み上げられ、
城壁は外へ張り出し、
まるでこちらを押し潰すかのように迫ってくる。
「……でっか」
春日部が小さく呟く。
だがその声には、軽さがなかった。
(これ……普通じゃない)
言葉にできない違和感が、胸に引っかかる。
少し離れた場所で、丹羽長秀が腕を組んでいた。
何も言わない。
ただ、じっと城を見ている。
その視線は鋭いが——
(まだ、“測ってる”)
味方でも、敵でもない。
判断を保留している目だった。
さらに距離を詰める。
城の構造が、徐々に露わになる。
堀は広い。
深い。
水は満ちている。
だが——
「……妙だな」
光秀が呟いた。
「妙?」
春日部が振り返る。
「整いすぎている」
短い一言。
だがその意味は重い。
春日部はもう一度、城を見る。
整っている。
隙がない。
だが——
(違う)
「……これ、“守り”じゃない」
ぽつりと呟く。
光秀が視線を向ける。
「どういう意味だ」
少しだけ言葉を探す。
そして、出てきたのは直感だった。
「“見せるため”の城だよ」
風が吹く。
誰もすぐには否定しなかった。
城は、黙ってそこにある。
だがその存在そのものが、
言葉より雄弁だった。
——逆らうな。
そう言っているようだった。
(気持ち悪い……)
春日部は無意識に腕をさすった。
戦場の緊張とは違う。
もっと根本的な違和感。
その時だった。
足が止まる。
「……ここ」
視線の先は、水堀。
だが——
「……なんだ?」
光秀が覗き込む。
春日部は首を振った。
「いや……なんかおかしい」
しゃがみ込む。
水面を見つめる。
(……多い)
「水、多すぎる」
「堀としては、深いだけではないか?」
「違う」
即答だった。
「これ、“溜めてる”」
空気が変わる。
「自然じゃない」
「流れが死んでる」
「……せき止めてるんだよ、これ」
沈黙。
光秀が、ゆっくりと城を見る。
「……無理をしている、ということか」
「そう」
春日部は立ち上がる。
「この城、“完成してない”」
「無理やり成立させてる」
風が止む。
遠くの池田城は、
相変わらず圧倒的だった。
だが——
(中身、歪んでる)
その時。
「……仮に」
低い声が落ちた。
丹羽長秀。
「その水が崩れた場合、どうなる」
試すような問い。
まだ信用はしていない。
春日部は少しだけ笑った。
「内側に流れる」
即答。
「外に逃げない構造になってる」
「だから——」
一歩、踏み出す。
「自分で自分を壊す城になる」
沈黙。
長い沈黙。
やがて——
「……理屈としては通るな」
丹羽が呟いた。
だが。
それだけだった。
(まだ足りない)
春日部は歯を食いしばる。
「これ、“守りの城”じゃない」
もう一度言う。
今度は、はっきりと。
「“時間を稼ぐための城”だよ」
光秀の目が細くなる。
「……我らを止めるため、か」
「うん」
「戦って勝つ気じゃない」
「足止めして、その間に——」
言葉を切る。
「全部持っていく気だよ」
空気が凍る。
丹羽の目が、初めて鋭く光った。
「……秀吉か」
否定しない。
それが答えだった。
風が強く吹く。
遠くの城は、
依然として完璧に見える。
だが今は違う。
“異様”だった。
「……で?」
丹羽が口を開く。
「崩せるのか」
試す声。
春日部は首を振る。
「崩さない」
一瞬の沈黙。
「使う」
光秀が、わずかに笑った。
「……なるほどな」
丹羽は黙ったまま、城を見る。
そして——
「……やるなら、徹底的にやれ」
それは同意ではない。
だが。
“戦うことは認めた”言葉だった。
春日部は小さく息を吐いた。
(通った……)
完全な味方じゃない。
でも——
(もう、引き返せない)
視線を上げる。
池田城。
その歪んだ構造が、
今ははっきりと見えていた。
「攻略、見えた」
小さく呟く。
風が吹く。
戦は、次の段階へ進む。




