第四話「偽りの城」
撤退は、静かに進んでいた。
——いや、静かすぎた。
足音と風の音だけが、やけに大きく響く。
誰も口を開かない。
(……そりゃそうだ)
あーしは前を見ながら思う。
(沈みかけた側に、好き好んで残る人間なんていない)
ふと、後ろを振り返る。
兵は、少ない。
さっきまで確かにいた数が、目に見えて減っている。
それでも——
(ゼロじゃない)
完全に終わったわけじゃない。
そう言い聞かせる。
その時。
「……あれを見ろ」
明智の声。
顔を上げる。
山の向こう。
そこに——
巨大な城が、あった。
白壁。
高くそびえる天守。
整いすぎた輪郭。
あまりにも、出来すぎている。
「……は?」
思わず声が漏れる。
(いや、待って)
目を凝らす。
何度も見た形。
映像で。
資料で。
繰り返し見てきたもの。
(あれ……)
喉が乾く。
「大阪城……?」
ありえない。
この時代に存在するはずがない。
「どうした」
隣で、明智が問う。
「あ、いや……」
言葉に詰まる。
だが——
頭の中で、何かが繋がる。
(これ……似てるだけじゃない)
(構造が同じだ)
かつて自分が扱った、あの地形。
「……殿」
明智を見る。
「あの城、攻めましたよね」
一瞬の沈黙。
「ああ」
短い答え。
「摂津に築かれた城だ。放置するわけにはいかぬ」
やっぱり。
拳を握る。
「……落とせなかった」
その一言で、すべて分かった。
あの規模。
あの配置。
正面から崩す構造じゃない。
(あれ、“止めるための城”だ)
ぞくりと背筋が冷える。
敵は——時間を奪いに来ている。
撤退を読んで、足を止めるために。
(……やられてる)
歯を食いしばる。
安土城。
かつての威容を残したまま、そこは妙に静かだった。
人の気配が薄い。
空気が軽い。
いや——
(空っぽだ)
それが一番近い。
「……はぁ」
思わずため息が漏れる。
(残る理由、ないもんね)
負けた側。
しかも、これからどうなるか分からない。
「どうした」
背後からの声。
振り返ると、明智。
「あ、いや……現実見てました」
苦笑いした、その時。
カタン、と小さな音。
「え?」
屋根の上。
視線を向ける。
「もしかして…」
「どうした?」
あーしは動画で見た映像を思い出して
なるべくそっくりなように声をあげた
「出ておじゃれ!
隠れていても獣は匂いでわかりまするぞ!?」
次の瞬間——
慌てたように
一人の男が降りてきた。
軽い身のこなし。
隙のない立ち姿。
どこか人を食ったような笑み。
「ずいぶん辛気臭い顔してるな」
あーしは、息を呑む。
(……この感じ)
ただ者じゃない。
「……石川、五右衛門?」
思わず口に出る。
男の眉が、わずかに動く。
「ほう。名乗ってもいねえのに当てるか」
口元が吊り上がる。
「面白え娘だな」
(やっぱり)
確信する。
「で?」
五右衛門は腕を組む。
「お前は公家の娘なのか?
それとも公家の関係者なのか?」
あーしは一瞬迷い——
正面から言う。
「力を貸してほしい」
「断る」
即答。
迷いが一切ない。
(だよね)
でも——
ここで引いたら終わる。
五右衛門の目は、こちらを値踏みしている。
力か。
金か。
それとも——
(価値を見せないと、動かないタイプだ)
ポケットに手を入れる。
指先に触れる、小さな袋。
未来の菓子。
(これで……いけるか?)
一瞬だけ迷い——
差し出す。
「これ、食べてみてください」
「……何だそりゃ」
「うちの世界の食べ物です」
胡散臭そうな目。
それでも、受け取る。
一口。
噛む。
その瞬間——
動きが止まった。
「……は?」
もう一口。
さらにもう一口。
「なんだこれ」
目の色が変わる。
「うまっ……なんだこれ……!」
抑えきれない驚き。
(よし)
「それ、あーしの世界の技術です」
静かに言う。
「まだ、いくらでもあります」
五右衛門の視線が変わる。
完全に。
「……なるほどな」
にやりと笑う。
「ただのガキじゃねえってわけか」
腕を組み直し、少し考える。
そして——
「いいだろう」
顔を上げる。
「面白え。乗ってやる」
その頃——
摂津。
あの城の奥。
重い足音が、静かに響く。
「……撤退したか」
低い声。
前を見据える男。
丹羽長秀。
「ならば——」
ゆっくりと歩き出す。
「こちらから動くまで」
視線の先は、一つ。
明智。
「全軍、進め」
号令が響く。
兵が動く。
城が目覚めるように。
その軍勢は——
まっすぐに、安土へと向かっていた。




