第十五話「ずれた戦」
空は、曇っていた。
重く、低い雲。
風もない。
音だけが、やけに響く。
「配置はこのままでいきます」
春日部は地図を指でなぞる。
「ここで敵の前衛が出てくる」
軽く叩く。
「で、ここを叩けば——崩れる」
光秀が頷く。
「問題はあるか」
「ない」
即答だった。
「むしろ、楽な方」
(この形、知ってる)
見たことがある。
何度も。
頭の中で、繰り返した形。
「慶次は右」
「長重は後ろ」
一瞬だけ考える。
「大谷は中央」
「了解した」
短い返事。
「——あとは、流れで」
「ははっ」
慶次が笑う。
「いいねえ」
準備は終わる。
「では——」
光秀が前を見る。
「行くぞ」
戦が、始まる。
最初は——
順調だった。
敵は動く。
予想通りに。
前に出る。
構える。
ぶつかる。
「今」
春日部が短く言う。
側面から叩く。
敵の陣が揺れる。
(ほらね)
(やっぱりこの形だ)
崩れる。
そう思った。
だが。
「……あれ?」
違和感。
ほんのわずか。
敵が——
引かない。
「いや、ここで下がるでしょ」
小さく呟く。
だが、動かない。
押し返してくる。
「……理を捨てている」
大谷が、静かに言う。
それでも。
まだ想定内だった。
「押し切れる」
春日部は言う。
「このまま——」
その時。
「左、来るぞ」
長重の声。
「は?」
視線を向ける。
ありえない位置に、敵。
「なんでそこに——」
間に合わない。
陣が、歪む。
「ちょっと待って」
(そんな配置、ない)
頭の中の地図と、現実がずれる。
「下がって!」
指示を飛ばす。
だが。
遅い。
敵は引かない。
損をしてでも、押してくる。
「なんで……」
理解が追いつかない。
(普通はここで——)
引く。
整える。
立て直す。
(なのに——)
やめない。
「いいねえ」
笑い声。
慶次だった。
「面白くなってきた」
楽しそうに、前に出る。
「慶次、戻って!」
「無理だな」
軽い返事。
「今、いいとこだ」
さらに踏み込む。
戦線が伸びる。
「……まずい」
春日部の声が、わずかに揺れる。
(これ、崩れる)
理解した。
遅すぎる理解。
「引くぞ」
低い声。
光秀だった。
「全軍、下がれ」
迷いがない。
「でも——」
「引く」
それだけ。
従うしかない。
退く。
整えながら。
崩れないように。
その時。
「殿を置く」
光秀の声。
一瞬の間。
「備えだ」
短く、続ける。
大谷が、一歩前に出る。
「自分が務める」
迷いはない。
慶次が笑う。
「いいねえ」
「付き合ってやる」
横に並ぶ。
「退屈しなさそうだ」
大谷は何も言わない。
ただ、前を見る。
敵は——
追ってこない。
だが。
誰も、止まらない。
距離を取る。
保ちながら。
やがて。
戦は、終わった。
勝っていない。
負けてもいない。
ただ——
何も、取れていない。
沈黙。
春日部は、その場に立っていた。
呼吸が、少しだけ荒い。
(……違う)
頭の中で、何度も繰り返す。
(こんなの、知らない)
さっきの配置。
動き。
判断。
どれも——
記録にない。
(これ——)
言葉が、出ない。
一拍。
風が、わずかに吹く。
(攻略、できない)




