02
「涼介!」
「おい、そんな走ると転ぶぞ」
パタパタと効果音が付きそうな走り方で、こちらに向かってくる少女。
髪が服が風に煽られてバサリ、と音を立てる。
こいつ転ぶんじゃないかな、と思ってたら案の定風香は躓いた。
言わんこっちゃない。
「へへ、転んじゃった」
「風香って結構ドジだよな。じっとしてれば清楚なお嬢さんみたいに見えるのに」
「みたいじゃなくて、清楚なお嬢さんですー!」
「清楚な人は服を翻しながら走り寄ったりしねえよ」
むくれた顔の風香に笑いがこみ上げる。
俺と同い年ぐらいだと思ってそう聞いたらやっぱり同い年だという。
しかし、どうも風香のやることは彼女を実年齢より幼くみせるのだ。
あれから俺たちは毎日のように会っていた。
俺は大抵開店前の準備と閉店後の片付けを手伝うくらいだからその間は暇である。
だからその間は近くの小さな公園で一日風香と喋っているのだ。
つまらなくはない。
むしろ楽しいし、俺的にはとても満たされる時間だ。
「あー暑い。夏がこんなに暑いもんだとは思わなかったなー」
「夏は暑いだろ。太平洋高気圧が上空にあってさ、夏型気圧配置っていうの」
「へえ!涼介物知りー!」
「こんなん普通だよ」
「えーじゃあ夏がじめじめしてるのも何でか知ってるの?」
「まあ…高気圧圏内なら空気は乾燥してるんだよ。でもその周辺は、温められた海の水蒸気が高気圧の風に乗って運ばれてくるからじめじめしてるの」
「すごいなあ、涼介は頭いいんだね!」
「…そんなこと、ないよ」
無邪気に笑う風香に罪悪感を覚えた。
勉強が嫌で学校から逃げたような自分だ。
今更頭が良いと褒められるような人間じゃない。
黙り込んでしまった俺に風香は首を傾げ、一拍置いてパッと立ち上がった。
俺は自然とその姿を目で追う。
「ねえねえ涼介!この制服どう?」
「どうって…」
「似合う?」
俺の目の前でくるりと回ってみせる風香。
スカートがふわりと舞う。
だから、清楚な女の子はそんなスカート翻すようなことしないって。
風香は相変わらずの笑みを浮かべながら感想を求めてくる。
その顔は初めて着た制服に心躍らす新入生の姿を彷彿とさせ、思わずふっ、と吹き出す。
さっきまでの自分が馬鹿らしくて、同時に風香のその姿が可愛らしくて笑いがこみ上げたのだ。
「似合ってるよ」
「本当?私制服って言ったらセーラーしか浮かばないんだよねー」
「…そういや、何で風香はセーラー服着てるの?この辺学校ないよね?」
自分から聞いといて、少しどきりとした。
聞いて良かったのか、この質問は。
流れで聞いてしまったが、この話題がタブーだったらどうしよう。
その時風香が突然俺の目の前に腕を伸ばしてきた。
突然過ぎてびっくりした。
「え、何?」
「見て。私の腕白いでしょ?」
「え…あ、うん…」
目の前にある腕をまじまじと見ると確かに美白を通り越して少し白すぎるかもしれない。
女性の肌をまじまじと見るのは少し気が引けたが、目の前に出されたのだからしょうがない、よな。
風香に視線を移すと、彼女は不満そうに俺の隣に腰掛けた。
その表情一つでさえ、彼女は本当に同い年かと疑いたくなる。
「私小さい頃から病弱でねー、あんまり学校に行けなかったの」
「そう、なんだ…」
「高校もね、受験出来なかったからお母さんにおねだりして一番気に入ってた制服買って貰っちゃった!」
「へえ…だから風香いつもそれ着てるの?」
「そう!お気に入りなの!それにここ学校とかないから静かで、のどかでしょ?私本当はもっと都会寄りの所に住んでるんだけど、今夏休みだから旅行兼ねてここに療養しにきたんだ!」
確かに風香の肌は健康とは言いがたいほど白い。
けど、彼女は俺の前で苦しそうな表情は一度として見せていなかった。
肌の色を除けば、彼女は健康な少女そのものなのだ。
「ここに涼介がいてくれてよかったよ!」
「え…?」
「ほら、この辺私たちぐらいの子供っていないじゃない?だから話し相手いないなーって思ってたの。だけど涼介がいたから私楽しい!」
無邪気に、何の含みもない純粋な笑み。
こんな笑い方が出来る子供が果たして世界に何人いるのか。
少なくとも日本の、高校二年生ぐらいの年齢でこんな笑い方が出来る人はいないと思う。
人は成長していく中で、心に何かしら孕むものなのだ。
でも風香の笑い方、話し方、俺との接し方は、そんなもの孕んでいない。
俺には少し眩しすぎると思った。
「あ、涼介、私今日はちょっと用事があるからもう行くね!」
「うん、分かった。そうだ、明日は勉強教えてあげるよ。風香もその内必要になるだろ?」
「本当!?やったあ!絶対ね、絶対だよ!」
「分かってるよ。絶対教える」
「ありがとう!じゃあね!また明日!」
「うん、また明日」
ちぎれんばかりに手を振って公園を出て行く風香。
その姿を見てまた吹き出しそうになったが、風香と入れ替わるようにして近所に住むおじさんが公園にやって来たので笑いを収める。
犬を散歩しにきたらしい。
「やあ、こんにちは涼介くん」
「こんにちはおじさん。タローもこんにちは」
「お、どうしたタロー唸り声なんて上げて。虫でもいたか?」
おじさんの飼っている柴犬のタローは公園の入り口を見ながら低く唸り声を上げていた。
おじさんは不思議そうにタローを見ている。
タローは唸り声をあげつつ、俺の方をちらりと見た。
俺はふ、と笑みを浮かべるとタローの頭をわしわしと撫でる。
「何だタロー幽霊でも見たか?」
「はは、涼介くん面白いこと言うね。でも確かに動物はそういうの見えるっていうからねえ」
「はい、案外タローも見えてるのかもしれないですよ」
「そうかあ、タローには霊感があるのかー。お前も大変だな!」
おじさんは豪快にわははと笑いながらタローの頭をわしわしと撫でる。
タローはくうん、と切なそうな声を上げておじさんを見ていた。
おじさん、タロー痛そうだよ…。
「そういやあ、さっき涼介くんの話し声が聞こえたけど、誰かといたのかい?」
「…ええ、まあ友人と話してました」
おじさんはきょろりと公園を見渡して、また笑いながら俺の頭を小突いた。
公園にいるのは無数の鳩たちだけだ。
「何だい、涼介くんの友達は鳩なのかい?」
「あはは、まさか。携帯電話ですよ。携帯で友達と話していたんです」
「はあ、そうか君たちの世代は携帯電話が一般的だもんなあ。いやー時代は変わるねー」
「そうですね…時が流れるのは早いです」
俺が差し出した携帯電話を見ながらおじさんが感慨深げに呟く。
タローは俺の携帯に付いていたゆらゆら揺れる赤い五角形のストラップに興味を示したのか、ジャンプして携帯のストラップに噛みついた。
ガツン、と音を立てて落ちた携帯電話に、おじさんが慌てて拾い上げようとする。
しかしタローはストラップに食いついたままだ。
お互いに引っ張り合っていたせいか、ブチン、とストラップが切れる音がした。
「ああ、ご、ごめんよ涼介くん。ストラップが…あ、それよりも携帯電話の方は大丈夫か?落とした衝撃で壊れたりしてないか?」
「大丈夫ですよ。携帯は動きますし…ストラップも、もう大分古かったんでちぎれてもしょうが無いです。」
「本当にごめんよ…」
申し訳なさそうに頭を下げるおじさんに笑いかける。
どうせ携帯電話だってアドレスなんかほとんど入ってないのだ。
家族と親戚ぐらい。
もちろん学校の人のアドレスなんて一つも入ってない。
だから、おじさんに言った友達と話してた、というのは真っ赤な嘘である。
ストラップに食いつきながら頭を振るタローを見て、おじさんがはらはらしていたが、古くなっていたのは本当なので気にしなくていいのに。
「そういえば、おじさんが公園に入るとき、誰か人とすれ違いませんでしたか?」
「公園に入るとき?うーん、すれ違っていないなあ。でも何故かタローが途中で吠えたから、幽霊とはすれ違ったかもね?」
「ふふ、そうかもしれないですね、それは」
タローはまだストラップに食いつくのをやめようとはしなかった。




