3.『スクラッチ』
京桜・紫苑ペア
「不審者は不審なだけであって、必ずしも不審者=犯罪者とは限らない。警戒は大事なことだけど、今君がやるべきことは他にあるでしょ。どうせならこの僕に集中しなさい!」
鏡張りのレッスン室。僅かなスペースの中で各チームが練習を始める。
その端で、神威を気にしてちらちらと視線を送っていた紫苑に、京桜が遮るように顔を覗き込む。
「さっきから偉そうに……」
「当然、僕は君よりお兄さんだからね」
無論、年齢などまだ聞いていないし、教えられてもいない。
「何歳?」
「17」
「そっ……………すか」
残念ながら、紫苑は15歳である。
(敬える要素が無いんだよな、今んところ)
はぁ、とため息を吐く。鏡に向き合ってファンサや表情作りの練習をする京桜の背中を見つめる。
「……神威の方が相性良かったんじゃねーの」
京桜は最初から神威に声をかけていた。いちいち突っかかって小競り合いをしてしまう紫苑は、少なくともそもそも選択肢に入っていないようなものかと思ったのに。
「僕じゃあの子を活かしてあげられないからね。お子様のごっこ遊びに付き合ってあげるほど僕は優しくないの。合理性を考えるなら僕に次ぐ実力者の君を選ぶのが妥当でしょ?」
紫苑の口が力なく、僅かに開かれた。
幼なじみの夢を“ごっこ遊び”と切り捨てられ、紫苑の目つきが鋭くなる。
「アンタ、天才(自称)なんじゃなかったっけ?」
「泉くんは計算が苦手なのかな。0には何をかけても0のまま。今はお友達ごっこなんてやめて現実を見るべきだね」
嫌味は皮肉で返される。紫苑は唇を強く噛み締めて、黙り込んだ。
自分の意見が絶対の自己中。こういうのは相手にするだけ無駄なのだ。
◇◇◇
神威・不審者ペア
レッスン室の隅。二人のスペースには妙な空間があった。明らかに他のペアから距離を置かれていた。
【同い年だから神威って呼んでいい?】
「はい。俺は何と呼べば?」
しかし、神威は特に気にするタイプでもなかった。
【マスクマン、もしくはマスク仮面とでも呼んでくれ】
当然ながら、名前は教えてくれないらしい。
「マスク仮面は□□□□──」
(あれ、マスクと仮面って同じ意味じゃね?恥ず)
己のワードチョイスへのツッコミに、神威の声は咀嚼されることなく流れてしまった。
【聞いてなかった。なに?】
神威は呆気にとられたような、ぼんやりとした顔で目を瞬かせる。
「いいや。練習しよ」
「……」
笑って流そうとする神威に背を向けられ、マスク男は目の前に回って、腕を広げ立ち塞がる。
【お前の今日の目標っ、アイドルになること!】
マスク男は宣誓のように目標を掲げて拳を突き出した。
【なるんだろ?】
神威は意図を読み取り、ぱっと表情を明るくして、拳を軽く突き返す。
「約束!」
マスク越しに覗く赤い瞳が、真っ直ぐ神威を見据えていた。
◇◇◇
「もっと早く動けるだろ!手ェ抜いてんじゃねーぞ!」
「僕がタイミングを調整してあげてるんだから、文句より先に感謝の言葉を述べるべきでしょ!」
「「阿久津さん/あっくん!!!」」
判決を求めて二人が一斉に向いた先。煉は赤旗を上げた。
京桜と紫苑。この時間で既に六回も言い争っている二人に、とうとう仲裁役が配置されたのだ。
紫苑が舌打ちをして、歯を食いしばる。
「僕に楯突く前にそのアーティスト思考を頭の片隅に仕舞いなさい!」
京桜は紫苑の前に仁王立ちして、したり顔で見下した。が、紫苑にフェイスタオルで臀部をパシンッと叩かれ、「痛い!」と叫んで、のたうち回る。
(何してんだ、こいつら)
煉は呆れてジト目を向けていた。
「少しはあっちを見習ったらどうだ?」
煉が後ろの神威とマスク男ペアに視線を誘導する。マスク男が神威にアドバイスを送り、神威も真剣な面持ちでそれに応じていた。
見た目こそ異様だが、その空気感はこちらの殺伐とした対立とは対照的にうまくやっているらしい。
紫苑は顔を顰めた。あちらの空気に比べて、こちらの醜く無意味な争いがあまりに滑稽に思えてくる。
「アレと比べないで下さいよ……」
視線の先で振り上げた腕がペストマスクのくちばしに突き刺さる。マスク男はその場に崩れ落ち、悶絶し始めた。
訂正。やっぱりあちらの方が滑稽かもしれない。
「俺も泉意見の方がカッコイイし映えるってのは分かるよ。でもさ、今お前が目指してんのはアイドルでしょ。アイドルは顔を見せるのが大前提なわけで。シンガーやらダンサーになりたいんだったら別に、アイドルにこだわらなくてもいいんじゃないの」
煉の言葉が、紫苑の想いを篩にかける。
「──っアイドルじゃなきゃダメなんだよ……」
紫苑は拳を強く握りしめた。
言わせてしまった。
その事実だけで、紫苑自身に苛立ちが込み上げる。
煉は目を逸らして「そう」とだけ呟いた。逃がした視線の先で、ペストマスクはいつの間にか、鳩のラバーマスクに替わっていた。
「阿久津さん。……アンタも」
紫苑の声に目線を戻す。鏡像の自分に見惚れていた京桜も呼ばれて直接、顔を向ける。
「俺はどうすればアイドルになれますか」
「知らないよ」
京桜の返答が紫苑の問いを一刀両断した。紫苑の悩みなど、京桜にとってはどうでもいいこと、関係のないことなのである。
「このオーディションに合格すればなれんじゃない」
煉にも曖昧な回答で濁された。
(なんにも教えてくんねーじゃんっ……)
「泉はさ、方向性がズレてんだよ」
「……方向性?」
「僕は別に、憧れを捨てろだなんて一言も言ってないでしょ。『頭の片隅に仕舞いなさい』とは言ったけどね。
というか、ダンスも歌もそんなに精通してるんだからアイドルも通ってるはずでしょ?好きなアイドルくらい居るんじゃないの?
そのアイドルはどんなふうに踊ってた?どんなふうに歌ってた?どんな表情をしてた?君が欲しい答えは僕たちより先に、そのアイドルに教えてもらうべきなんじゃないの?」
「ぅ……」
重石のような京桜の正論が紫苑の頭を殴りつける。
「泉くん」
京桜の「僕を見なさい」という命令を含んだ声色で呼ばれ、思わず顔を上げてしまった。
「僕がいるんだから、もう迷えないよね」
紫苑は深く息を吐いて、前髪をかき上げる。その顔は、清々しさとやる気に満ちていた。
「上等」
◇◇◇
最終審査の舞台はアリプロオフィス内の簡易ステージ。
「75番、玖珂京桜です。よろしくお願いします」
「219番、泉紫苑です。よろしくお願いします」
二人がステージに上がる。
どこから引っ張り出してきたのか、扇子と和装の羽織を纏っている。
桃幻綺譚の「四季彩々」、玖珂京桜の選曲。京桜が息を吸った瞬間──張り詰めた緊張感が走った。
京桜の扇子が翻るたび、観客の視線が吸い寄せられる。
歌い出しと同時に空気が震えた。
春宵の香に、盛夏の熱。二人の空気が溶け合う。
京桜が描く艶やかな景色に、紫苑が鮮やかな生命を吹き込んでいた。
最初から、このステージは玖珂京桜のために存在していた。
そう錯覚するほどのパフォーマンスだった。
紫苑の視線が、一瞬だけ客席を掠める。
十年前から何一つ変わらない、屈託のない笑顔が、たった一人の幼なじみに向けられた。
最終審査は順調に進んだ。
「お疲れ様でした。これにて、本日は以上と──」
裏方のスタッフがおずおずと顔を出して「あの……」とアンリの声に被せた。
「まだ…裏に一組残ってるんですけど……」
「そんなはずは……あっ」
(そういえば、あの不審者と組んだ子が居たっけ……。完全に忘れてた。チームの申請書出てないし。そもそも、なんで警備員が動いてないのよ?)
アンリは俯いて、頭を抱えながらも、パイプ椅子に腰を下ろす。
「はぁ……。まあいいわ、やりましょう」
◇◇◇
マスクを脱ぎ捨てた男は、養生テープにマジックペンで「000」と殴り書きして、左胸に貼り付けていた。
一方、神威の視線は床へと落とされていた。
「緊張してんの?」
「……するよ。怖いもん」
肘まで捲り上げていたパーカーの袖を、無意識に手の甲まで引っ張り出している。
「怖い?」
「ステージに立つのが。俺にはアイドルになる資格なんて無いって分かっちゃうじゃん」
神威は目にかかった重い前髪の隙間からステージを覗く。
「俺さ、ただ運が良くてここに居るだけなんだよ。これまではその場しのぎでどうにかなってきたから……現実を見る機会を逃してきた、みたいな……」
告白するほどに自分の足元が透けて消えていくような感覚に陥る。
神威は指先を遊ばせながら、再び視線を落とした。
「──神威」
テープもマジックペンもその場に投げ捨てられた。空いた両手が神威の頬を強く掴み、拒絶を許さぬ力で無理やり顔を上向かさせる。
「お前の目標は?」
「……、『アイドルになること』」
男は満足げに目を細めて笑う。
「お前が憧れたアイドルになろうよ。一緒に」
◇◇◇
ギターメロディーのソロイントロ。
リズムを叩くベースとドラムの音、キーボード。イントロが弾けると共に、ステージ全体が一気に照らされた。
王道の青春曲。
髪をハーフアップにした椿神威と、キャップを深く被って目元を隠す金髪の少年の登場に、審査員及び会場内の全員が固まった。
(何してんだっ、あのバカ!)
──日南ルカである。
煉は手にしていたペンを床に落とした。
サウンドに合わせ、二人の身体が弾かれたように動き出す。
数分前──ステージ袖。
『そんなに怖いなら、おまじないでもかけてやるよ』
『……ん?』
ステージ裏、日南ルカは手首に着けていたヘアゴムを神威の手に乗せた。
『これからお前がすることはただ一つ──、アイドルを演じろ』
神威の残酷なほど透き通った色のない声と、ルカの第六感を灼き焦がす鮮烈な極彩色の声が重なる。
ルカの刻むリズムに導かれるように、神威の身体が動いた。
太陽の光を受けたしゃぼん玉のようだった。
神威の髪や瞳がスポットライトを反射し、七色に煌めいた。
色を持たないはずの少年が、この瞬間だけは誰よりも鮮やかだった。
その姿にルカの視線が僅かに揺れた。
静寂の中、神威は息を荒らげて肩で呼吸していた。初めて浴びるスポットライトは暑かった。
「神威!」
ルカに名前を呼ばれて、引っ張られるように顔を振り向かせる。
「……日南くんっ!」
パチンッと乾いたハイタッチの音が響く。それを合図に会場内が次第にざわつき始めた。
アンリがマイクをオンにしながら手に取る。
「日南ルカをつまみ出してちょうだい」
眉間を押さえ、絞り出すような声でスタッフに指示を出した。
「ほらっ、日南さん、行きますよ!」
「暴れないの!子供じゃないんだから!」
「なんでだよ!?待って!話し合おう!煉、助けて!おいっ、離せーーーッ!!!」
プロアイドルの威厳もへったくれもなく、ルカは二人のスタッフに羽交い締めにされ、ずるずると外へ連行されていった。
「220番、椿神威さん」
「……っはい」
一人、ステージに残された神威は反射的に背筋を伸ばす。
「──失格です」




