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「自分の書いた小説に転生したのに、設定が崩壊してるので“書き換え”ながら生き残ります」―作者なのにヒロインに殺されかけてます―  作者: 百花繚乱


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第三十四話「続きを書く者たち」

 

『物語は、まだ終わっていない。』


 その一文が紙に落ちた瞬間、封鎖区画の空気は、明らかに変質した。


 さっきまで水の器に映っていた真理と母の姿は、そこで完全に消えたわけではない。むしろ逆だった。像として見えていたものが、こちらの空気へ薄く染み込んだみたいに、輪郭を失ったまま残っている。真理がこちらを見ていた視線の熱、母が涙を押し殺していた顔、その向こうでまだ何かを信じきれずにいる現世の息づかい。それらが、書いた一文に反応して、異世界側の空間と強く擦れ始めていた。


 そして、そこへ引かれるように現れた“書かれなかったもの”は、一体では終わらなかった。


 最初に出てきた人型の輪郭の背後で、もう一つ、さらにもう一つ、影が浮く。どれも人のようでいて、人として完成しきっていない。肩幅だけが異様に広いもの、顔の位置が定まらないもの、服だけが先に決まっていて中身が追いついていないもの。設定メモの段階で放置された存在が、こちらへ引っ張られているのだと、見れば見るほどわかってしまうのが気持ち悪かった。


「……増えてる」とノエルが呟いた。その声には、怖がっているのに目を逸らせない人間特有の細い震えがあった。


「当然だ」とセオドアが低く返す。「一つだけなら“個別の残滓”で済んだ。だが今の接続は深い。現世側の観測とこちらの改変が重なっている以上、“書かれなかった群”の層が引かれてもおかしくない」


「おかしいよ」と私は反射的に返した。「普通におかしい」


「その普通はもう壊れている」


 そう言われると何も言い返せないのが腹立たしい。


 最初に現れた人型の存在が、私だけを見ていた目をわずかに揺らした。顔の輪郭はまだ不安定で、目鼻立ちも決まりきらない。それなのに、その視線だけが妙にまっすぐで、私の喉元あたりを冷たく掴んでくる。


「……終わっていない、か」


 二重に響く声だった。男にも女にも聞こえる。若くも老いても聞こえる。設定が定まっていないくせに、問いかけだけはやけに核心へ来る。


「なら」


 その存在は、ほんの少しだけ前へ出る。足音はしない。床を踏んでいるのに、結果だけが曖昧なまま滑ってくる。


「どこからだ」


 私は息を詰めた。何のことかと聞き返す前に、わかってしまったからだ。


 どこから続きを書くのか。

 どこまでを切り捨て、どこからを救うのか。

 誰を登場させ、誰を役割から外すのか。


 “物語はまだ終わっていない”は、ただの否定ではない。なら、その続きはどうするのかと問われるのは当然だった。


「……ユイ、下がって」とリゼットが言う。彼女はすでに半身をこちらへ向けていて、完全に庇う位置取りに入っていた。「あれは、あなたに言葉を返させる存在です。応じると引かれる」


「でも」と私は言う。


「でももありません。今は――」


「今じゃないと駄目かもしれない」


 そう言ったのは、私ではなくアリアだった。


 全員が彼女を見る。アリアは前へ出ていた。さっきまで現世の接続に揺らされていたとは思えないくらい静かな顔だったけれど、その静けさは無感情とは違う。むしろ、いろいろなものを一段押し込めた上で、必要なものだけを前へ出している顔だった。


「これ、ただの敵じゃないです」と彼女は言う。「戦えば消える類じゃない。問いに対して、こちらが何を選ぶかを見てる」


 鏡の担い手が、その言葉に小さく頷く。「正しい。これは残滓でありながら観測体だ。書かれなかったものの中でも、“役割に届きかけたもの”ほど、こういう性質を持つ」


「役割に届きかけたもの……」とノエルが繰り返す。


「設定だけではなく、物語に組み込まれかけたが、最後の一押しをされなかった存在だ」とセオドアが補足する。「だから“書かなかったこと”への執着が強い」


 鍵の担い手が壁にもたれたまま笑う。「要するに、没になって怒ってる準レギュラー候補ってことだね」


「言い方を選んで」と私は言いながらも、その表現がいちばんしっくりくるのが嫌だった。


 たしかにそうだ。完全なモブですらない。何かしらの役目を負わせるつもりで輪郭を作り始め、でも最後には採用しなかった。そんな存在ほど、“なぜ私はここで終わったのか”を問う資格を持ってしまう。


 人型の存在の背後で、さらに二つの影が形を濃くした。一つは背が高く、片腕だけがやけに長い。もう一つは逆に、小柄なのに目だけが大きい。どちらも“何かの案”としてはありそうで、でも物語の中で生きるにはまだ足りない不自然さを抱えていた。


 私は、それを見ていて気づく。

 これ、戦闘で片づけられる話じゃない。

 少なくとも、核を見抜いて斬って終わり、にはならない。


「どうするの」とノエルが、半ば泣きそうな顔で言った。「増えてるし、しかも何か会話してくるし、普通に怖いんだけど」


「怖いのは同意」と私は答えながら、ペンを握り直した。でも、書くべきことはまだ見えない。下手に“消える”とでも書けば、たぶんこいつら全員に対して“終わり”を与えることになる。それは今の私がやりたいことと少し違った。こいつらは厄介だし怖い。でも、ただ消すだけでは、また同じ構造を別のところで繰り返す気がする。


「真理」と、私は思わず呟いた。


 現世側の像はもう見えない。それでも、さっきまでたしかに繋がっていた感覚だけは残っていた。真理なら、こういうときどうするだろう。たぶん感傷では動かない。相手が何者で、どこで躓いたのかを先に読むはずだ。母なら違う。母は存在そのものを見て、消えるなと願うだろう。弟はまた別で、たぶん面倒そうな顔をしながらも「で、何がしたいんだよ」と核心だけを雑に聞く。


 その瞬間、頭の中で一本の線が通った。


 そうか。

 こいつらに必要なのは、まず“何がしたかったか”を聞くことだ。


「ユイ」とリゼットが警戒した声で言う。「何をするつもりです」


「……話す」


「却下です」


「早いな」


「相手の性質を考えてください」


「考えた上で」


 私は一歩前へ出た。

 怖い。普通に怖い。

 でも、ここで怖がって黙ったら、結局“書かれなかったもの”の扱いをまた放置することになる。


「あなたたち」と私は言った。声が少しだけ掠れたのが、自分でもわかった。「続きを欲しいんでしょ」


 人型の存在が、首をわずかに動かす。その動き一つで、後ろにいた二つの影まで同時に揺れた。


「欲しい」と答えたのは、そのうち最初の一体だった。「だが、それは“生き残りたい”とは少し違う」


「どう違うの」と私は聞く。


「終わり方がほしい」


 その返答は、予想よりも静かだった。怒鳴り声や呪詛じゃない。もっと冷たくて、もっと深い飢えのような言い方。背筋がぞくりとした。

 そうか。

 ただ出番がほしいんじゃない。

 出て、意味を持って、終わりたいのか。


「……最悪」と、私は思わず言った。


 アリアが横で小さく笑う。「今のは、かなりあなたに刺さってますね」


「刺さるよ。だって、それ書く側の一番嫌な責任じゃん」


 本当にそうだった。始めるなら終わらせろ。出すなら意味を与えろ。キャラは便利に使って捨てるものじゃない。そんなことはわかっていた。わかっていたくせに、私はここまで何度も“強いけど扱いきれない”ものを途中で閉じてきた。そのツケを、いま物理的に払っている。


「……ユイ」とアリアが今度は少し真面目な声で言った。「いま全部を引き受けるのはやめてください」


「でも」


「全部は無理です」


 はっきりと断じられて、私は口を閉じる。


 アリアは人型の存在を見たまま続けた。


「あなたたちが欲しいのは、“この場での救済”じゃないでしょう。ここで適当に終わらされたら、それこそまた同じです」


 存在の輪郭が、ほんのわずかに止まる。

 聞いている。

 反応している。


「なら」とアリアは言う。「今ここで必要なのは、“まだ先がある”と示すことです」


 鏡の担い手が、そこでようやく少しだけ顔を上げた。「導き手らしい答えだな」


「今の役割は、選べる道を増やすことですから」


「その先延ばしは、誤魔化しにもなる」


「ええ。でも、誤魔化しで終わらせません」


 アリアの声は、驚くほど落ち着いていた。

 たぶんこの子は、自分が“最後の器”として先延ばしにされ続けた痛みを知っている。だから、ただの棚上げと、“先がある”と言うことの違いを、人よりずっと正確に測れるのだ。


 私はその言葉を受けて、ようやく何を書くべきかを決めた。


 紙を引き寄せる。

 短く。

 でも逃げずに。


『未採用のまま終わらせない。』

『あなたたちには、あとで役割を決める。』


 書いた瞬間、腕の奥が少し熱くなった。軽くはない。でも重すぎもしない。これは“終わりを与える文”ではなく、“保留を保留のままにしない”という宣言だからだ。


 人型の存在の輪郭が揺れる。背後の二つの影も同時に揺れ、少しだけ薄くなった。消えたわけじゃない。けれど、今ここで暴れる理由だけは弱まったのだとわかる。


「……決める、か」と最初の存在が言う。


「今すぐじゃない」と私は答えた。「でも、もう放置はしない」


「信じろと?」


「信じなくていい。でも、ここでただの残滓として潰されるよりは、マシでしょ」


 その返しはかなり開き直っていた。でも、たぶん正しかった。完璧な答えなんて今はない。あるのは、逃げずに次へ繋ぐことだけだ。


 存在は少しの間、黙った。やがて、輪郭の曖昧な口元が、ほんのわずかに上がる。


「……なら、待つ」


 その一言とともに、背後の二つの影が霧みたいにほどける。最初の一体だけが最後まで私を見ていた。その目は、もう問い詰める色ではなかった。代わりに、“本当にやるのか”を測る目になっていた。


 やがてその姿も薄れ、空気の中へ沈んでいく。


 完全に消えたあとも、しばらく誰も口を開かなかった。

 張りつめていた結界が遅れて収まり、器の中の水がようやく静かになる。

 ノエルが一番先にへたり込んだ。


「……むり。今の、普通にむり」


「よく立ってたね」と私は言う。


「気持ちの問題じゃないんですよ。怖いの種類が新しいんですよ」


「それは本当にそう」と私は同意した。


 リゼットは剣を収めながら、まだこちらを睨むように見ていた。


「結果的には収まりましたが、かなり危うい橋でした」


「うん」


「“役割をあとで決める”なんて、そんな約束を安易にするべきではありません」


「安易ではないよ」と私は答えた。「かなり重い」


「重いとわかっていて口にしたのなら、なおさらです」


 その通りだった。でも、いまの私にはあれしか出せなかった。未採用を未採用のまま終わらせない。たぶんそれは、こいつらだけじゃなく、この世界全体に対する私の責任の取り方でもある。


 セオドアが記録紙へ何かを書き込みながら言う。「興味深いな。存在理由が“出番の不足”や“終わり方の欠落”にある場合、単純な消去よりも“将来の役割付与”の方が安定化に繋がるのか」


「研究対象みたいに言わないで」と私は言う。


「研究対象だからな」


 うるさい。でも、少しだけ救われる。セオドアがいつも通りだと、場がギリギリ現実へ戻ってくる感じがあるからだ。


 そのとき、水の器がもう一度だけ小さく揺れた。


 全員の視線が集まる。今度は強い接続ではない。残響みたいな薄い揺れだ。水面に、ほんの一瞬だけ真理の字が浮かぶ。


『見えてる。続けて』


 それだけで、私は妙に息が楽になった。

 現世はまだ繋がっている。

 真理も、母も、たぶん向こうで待っている。

 だから、こちらで放置したものをちゃんと拾い上げなければいけない。


「……よし」と私は言った。


「何がよしなんですか」とリゼットが即座に返す。


「今後の方針が増えた」


「嫌な言い方をすると?」


「仕事が増えた」


 ノエルが本気で嫌そうな顔をする。

 鍵の担い手は面白そうに笑い、鏡の担い手は静かに一言だけ付け加えた。


「当然だ。剣も歌も不在で、没の群れまで動き始めた。ここから先は、“正史を壊す”だけでは足りない。“周縁を拾い上げる”段階に入る」


 その表現に、私はゆっくり頷いた。

 まさにそうだ。

 心塔とアリアだけを見ていては駄目になった。

 本来なら登場しなかったかもしれないもの、途中で止まった案、周辺に押し込まれた役割、そういうものまで含めて組み直さなければ、一人の犠牲で成立する物語構造は壊せない。


 アリアが、そこで静かに言った。


「じゃあ次は、ちゃんと日常も拾ってください」


 私は一瞬、意味がわからず彼女を見た。


「日常?」


「ええ。こういうのばかり続くと、壊れるでしょう」


 その言葉は、温泉の湯気の匂いと一緒に胸へ入ってきた。

 そうだ。

 戦って、分岐を揺らして、構造を掘り返す。それだけでは続かない。

 食べること、休むこと、話すこと。

 現世と異世界の“普通”をちゃんと書かなければ、この物語自体がまた“強いだけで扱いきれない”ものになる。


「……わかった」と私は言う。


「本当に?」


「本当に。今日は戻ったら、ちゃんと食べる」


 ノエルがすぐに顔を上げた。「それ大事です」


「現金」


「現実的なんです!」


 そのやり取りに、リゼットが呆れ、セオドアが無言で筆を走らせ、鍵が笑い、鏡が静かにこちらを見ていた。アリアだけが、ほんの少しだけ満足そうに目を細めた。


 この空気を、私は覚えておこうと思う。

 戦いのあと、全部が綺麗に解決したわけじゃない。

 むしろ宿題は増えた。

 でも、それでも進んでいけると思えるくらいには、私たちは一人じゃなくなっている。


 水面の字はもう消えていた。

 でも、真理の“続けて”だけは、はっきり残っていた。


 だったら続ける。

 正史を壊すために。

 アリアを器にしないために。

 そして、書かれなかったものたちを、ただの残骸で終わらせないために。


 そう決めて立ち上がったとき、封鎖区画のずっと奥で、今度は別の音がした。

 鐘ではない。

 もっと乾いていて、もっと近い。


 金属が、どこかで打ち合わされる音。

 まるで剣戟の予兆みたいな。


 私は顔を上げる。

 リゼットも同時に反応し、鏡の担い手の視線が少しだけ動いた。

 鍵の担い手だけが、面白そうに口元を上げる。


「……次は、わかりやすいやつが来るかもね」


 その言葉に、私は小さく息を吐いた。


 剣。

 まだ来ないと決めたはずのもの。

 でも、“まだ来ない”と“絶対に来ない”は違う。


 物語は、こちらの都合だけで待ってくれない。

 だからこそ、次に何が来てもいいように、まずは戻って、食べて、話して、整理しなければならない。


「帰ろう」と私は言った。


 その一言で、全員が動き出す。

 今日のところは、まだ日常へ戻れる。

 戻れるうちに、戻っておく。

 それもまた、正史から外れるために必要なことなのだと、今の私はちゃんと知っていた。


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