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「自分の書いた小説に転生したのに、設定が崩壊してるので“書き換え”ながら生き残ります」―作者なのにヒロインに殺されかけてます―  作者: 百花繚乱


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第24話「地下観測区画」

 

 王都の地下へ降りる階段は、思っていたよりもずっと古かった。


 北棟書庫の奥から繋がる隠し通路を抜け、石造りの壁に埋め込まれた狭い入口をくぐると、すぐに空気が変わる。上階の書庫にあった紙とインクの匂いは消え、代わりに湿った石と古い水路の匂いが鼻に入ってきた。足元の階段はところどころ摩耗していて、長い時間、人の出入りがあったことを示している。でも今は静かすぎる。誰も使っていないのに、放棄された感じとも違う。

 **“残されている”空間**だと、そう思った。


「気をつけてください」とリゼットが先頭で言う。「旧観測区画は、魔力の流れが不安定です。上と同じ感覚で動くと足を取られます」


「はい」とノエルが真面目に返す。珍しく余計なことを言わないあたり、本当に緊張しているらしい。


 私はその後ろで、手にした紙束をもう一度見た。鏡の担い手に関するメモ。乱雑で、でも核だけははっきりしている。


 ――真実を映してしまう

 ――主人公の異物性を見抜く

 ――アリアと相性最悪


 最後の一行を思い出すと、少しだけ苦笑が漏れる。


「相性最悪って、どんな書き方してたんだろうね、私」


「たぶんそのままの意味ですよ」とノエルが振り返らずに言う。「アリアさんと衝突する役ってことですよね」


「そうなんだけどさ……」


 言いかけて、私は言葉を止めた。


 その“衝突”がどういうものになるのか、いまはもう単純に想像できない。本来の物語の中では、鏡の担い手は“構造を明かす存在”だった。主人公に真実を見せる。導き手の役割を映す。心塔の仕組みを言語化する。だからアリアとは衝突する。彼女は“導く役”でありながら、自分の最後がどうなるかを最初からすべて知っているわけではないはずだったから。


 でも今は違う。

 アリアはもう、完全に“何も知らない導き手”ではない。

 自分が器として消費される可能性を知っているし、それを拒絶している。

 その状態で、鏡の担い手と向き合ったら――どうなるか。


 私は横を歩くアリアをちらりと見た。


 彼女は前を向いたままだった。足取りはいつもと変わらない。でも、少しだけ呼吸が浅い。地下へ降りるたびに、空気が重くなるからかもしれない。あるいは、これから会う相手の性質を、すでに感じ取っているのかもしれない。


「まだ戻れますよ」と彼女が言った。


「今さら?」


「今さらです。鏡の担い手を出すっていうのは、たぶん、わたしにとってもあなたにとっても一番面倒な選択です」


「わかってる」


「なら、わざわざ選ばなくてもいいでしょう」


 私は少しだけ笑った。


「それ、あんたが言う?」


 アリアは小さく息を吐く。


「……そうですね」


 それ以上は何も言わなかった。

 でも、その短いやり取りで十分だった。

 私も彼女も、わかっている。

 戻れないし、戻らない。


 階段を下りきると、細い通路がまっすぐ続いていた。壁に埋め込まれた古い灯石が、弱い青白い光を放っている。水の流れる音がどこかから聞こえる。たぶん地下水路と繋がっているのだろう。


「ここから先が観測区画です」とセオドアが言う。


 通路の突き当たりに、半円形の広い空間が見えた。天井は高く、中央には円形の台座がある。その周囲に、割れた鏡のような板がいくつも立てかけられていた。完全な鏡ではない。ひびが入り、欠け、角度もばらばらだ。でも、それぞれがわずかに光を反射している。


「……これが?」


 ノエルが呟く。


「旧観測鏡です」とセオドアが答える。「空の傷を観測するために使われていた。今はもう正式には使われていないが、構造は残っている」


 私はその鏡の一枚に近づいた。


 表面は曇っている。普通に見れば、ただの壊れた鏡だ。でも、視線を合わせた瞬間、違和感が走る。


 そこに映っていたのは、私じゃなかった。


 ほんの一瞬。

 でも確かに、違う姿が映った。


 ――もっと疲れている私

 ――もっと諦めた顔をした私

 ――ペンを持っていない私


「……何これ」


 思わず声が出る。


「映ったでしょう」とセオドアが静かに言う。「あれがこの場所の性質だ。“現在”だけではなく、“別の可能性”も拾う」


「それって……」


「鏡の担い手の能力に近い」


 背筋がぞくりとした。


 つまり、ここにいる時点で、私たちはすでに“鏡”に触れている。

 本体が出てくる前から、影響圏に入っているということだ。


 そのとき、奥の方で水音が変わった。


 一定だった流れが、誰かが歩いたみたいに揺れる。


 全員がそちらを見る。


 観測区画のさらに奥、半分崩れた通路の先。そこに、人影があった。


 立っているのか、座っているのか、最初はよくわからなかった。光が弱いせいで輪郭がぼやけている。でも、確かに“誰か”がいる。ゆっくりとこちらを向く。


 顔は、はっきり見えない。

 でも、目だけが光を反射していた。


 鏡みたいに。


「……来たか」


 低い声だった。


 男女の区別がつきにくい声。落ち着いているのに、どこか疲れている。長い時間、一人でここにいた人間の声だとすぐにわかる。


 リゼットが一歩前に出る。「名を名乗れ」


 影は少しだけ首を傾けた。


「名は……まだ決まっていない」


 私は思わず息を呑んだ。


 その言い方。

 まるで、自分が“未完成の存在”であることを当然のように受け入れている。


「なら役割を言え」とリゼットが続ける。


 少しの沈黙のあと、影は答えた。


「鏡の担い手……そう呼ばれている」


 空気が一段、重くなる。


 ノエルが小さく呟いた。「本当に……いた」


「当然だ」とセオドア。「構造がある以上、担い手も存在する」


 私はゆっくりと前へ出た。


 足音がやけに響く。

 鏡の板がわずかに揺れて、光が散る。


 影との距離が縮まる。


 ようやく、顔が見えた。


 年齢は私たちとそう変わらない。

 髪は短く、色は灰に近い。

 目だけが異様に澄んでいる。

 感情がないわけじゃない。むしろ逆だ。いろんなものを見すぎて、すべてを均等に受け取ってしまう目。


 その人は、私を見た。


 まっすぐに。


 逃げ場のない視線だった。


「……なるほど」


 その一言で、背筋が冷えた。


「お前か」


「……何が」と私は言う。


 鏡の担い手は、ほんのわずかに口元を動かした。


 笑ったのかもしれない。

 でもそれは、歓迎でも敵意でもない。

 ただ、“理解した”ときの表情だった。


「異物だな」


 その言葉が、静かに落ちる。


 ノエルが息を止める。

 リゼットの手が剣にかかる。

 セオドアは動かない。


 私は――動けなかった。


 予想していた言葉だった。

 紙束にも書いてあった。


 ――主人公の異物性を見抜く


 でも、実際に言われると違う。

 言葉の重さが、想像よりもずっと現実に近い。


「この世界の人間じゃない」と鏡の担い手は続ける。「だが、完全に外でもない。内側に入り込んでいる。……書いた側か」


 胸の奥を直接触られたみたいな感覚が走る。


「……そうだよ」と私は答えた。「ユイ。書いた側」


 鏡の担い手は、私を見たまま動かない。


 数秒。


 それだけなのに、長く感じた。


 やがて、その視線がゆっくりと横へ動く。


 アリアを見る。


 その瞬間、空気が変わった。


 王都崩壊案の残滓とは違う。

 もっと静かで、もっと深い揺れ。


 鏡の担い手の目に、わずかな感情が浮かぶ。


 驚きでも、敵意でもない。


 もっと厄介なもの。


「……お前が」


 アリアは一歩も引かなかった。


 視線を受け止めたまま、言う。


「何ですか」


 鏡の担い手は、少しだけ息を吐いた。


「導き手」


 その呼び方に、アリアの指先がわずかに動いた。


「そう呼ばれていた」と鏡の担い手は続ける。「そして――」


 ほんの一拍、間が空く。


 それから、静かに言った。


「最後の器になるはずだった存在」


 リゼットが一歩踏み出しかける。

 ノエルが何か言おうとして止まる。

 セオドアの視線が鋭くなる。


 でも、そのどれよりも先に、アリアが口を開いた。


「知ってます」


 短く、はっきりと。


 鏡の担い手の目が、ほんの少しだけ細くなる。


「知っているのか」


「ええ」


「それでも、ここにいる」


「ええ」


 そのやり取りは、静かだった。

 でも、どこかで何かが決定的に変わったのがわかる。


 鏡の担い手は、次に私を見た。


「なら、お前が書き換えたのか」


 私は首を振る。


「まだ途中」


「途中で、この状態か」


「うん」


 その短い会話の中で、鏡の担い手はすべてを測っているようだった。

 私がどこまで知っているか。

 アリアがどこまで拒否しているか。

 この世界がどれだけ歪んでいるか。


 そして、最後にこう言った。


「なら、選び直すしかないな」


 その言葉が、地下観測区画に静かに響く。


「本来の役割を知った上で、それでも別の終わりを選ぶかどうか」


 私は息を吸った。


 真理が言ったこと。

 アリアが言ったこと。

 さっき見たメモ。


 全部が繋がる。


「……選ぶよ」


 そう答えると、鏡の担い手は少しだけ頷いた。


「なら、見せる」


 その瞬間、周囲の鏡が一斉に光を反射した。


 割れた鏡面の一つ一つに、違う光景が映る。


 ――王都が崩壊し、アリアが心塔に立つ未来

 ――王都は救われるが、アリアが消える未来

 ――アリアは生きるが、王都が落ちる未来

 ――どちらも中途半端に壊れる未来


 そして、そのどれにも、私はいなかったり、いるのに何もできなかったりする。


「これが本来の分岐だ」と鏡の担い手が言う。


「そして――」


 その目が、まっすぐに私を捉える。


「お前が入ったことで、ここにない分岐が増えている」


 鏡の中に、新しい像が一瞬だけ揺れた。


 まだはっきりしない。

 でも確かに、存在している。


「……それを選べるかどうかが、お前の問題だ」


 静かに告げられたその言葉は、

 これまでで一番、逃げ場のない問いだった。


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